(写真は、「星野本陣遺構」)
大月宿を出て国道20号を暫く歩いて行くと、左手に上の写真の「下花咲宿標柱」があり、この辺りから「下花咲宿」が始まります。
「下花咲宿」は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠22軒でした。
下花咲宿と上花咲宿とは、半月交代で問屋業務を勤める「合宿(あいじゅく)」でした。
下花咲宿の宿場町を進むと、右手に、「星野本陣遺構」があります。
江戸中期の建物で、国の重要文化財です。
星野家は、代々、本陣を勤めていましたが、庄屋と問屋も兼ねていました。
明治13年、明治天皇巡幸の際にここが休息所となり、建物の前には、写真の「明治天皇 花咲 御小休所碑」があります。
「本陣遺構」の建物内部の見学は、残念ながら、現在、コロナのため中止です。
でもご安心下さい?
以前、「猿橋宿の猿橋」でご紹介したTV番組の「三宅裕司のふるさと探訪」には続編があり、そこで、閉鎖中のこの本陣遺構を、三宅裕司が
特別に見学させてもらっていました。
そこで、このブログは、この特別に許可を得た建物内部の番組撮影の様子を、チャッカリと流用させて頂きます。
以下は、その番組映像です。
(左側が「大名用の玄関」で、三宅裕司が入って来た右側が「土間の大戸口」:「三宅裕司のふるさと探訪」から)
三宅裕司を案内しているこの若い男性の名前が星野さんだったので、多分、この「星野本陣」の何代目かの当主なのでしょう。
(明治天皇が休息した「上段の間」:「三宅裕司のふるさと探訪」から)
天皇をお迎えするために、写真のペルシじゅうたんを横浜に買いに行かせたそうですが、このじゅうたんは、当時、家1軒の値段だったそうです。
また写真左上の「御小休」の文字は、当時、天皇の侍従をしていた「山岡鉄舟」の筆になるそうです。
(山岡鉄舟については、「電車で行く東海道・薩た峠」を見てね。)
(風呂場:大名行列が持参していた「マイ風呂桶」の説明を受ける三宅裕司:「三宅裕司のふるさと探訪」から)
(大名行列のマイ風呂桶については、「映画・超高速!参勤交代」と「バスで行く東海道・草津宿」を見てね。)
(殿様用のトイレ:「三宅裕司のふるさと探訪」から))
星野本陣遺構を出て少し進むと、右手に807年の創建の下の写真の「稲村神社」があります。
下花咲村の鎮守であるこの神社の総代は、下花咲宿の本陣を勤めた星野家です。
国道20号を暫く歩いて、大月インター入口交差点を過ぎると、この辺りが「上花咲宿」です。
上花咲宿は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠13軒でした。
上花咲宿を抜けて、中央自動車道高架をくぐり、下の写真の大月警察署を過ぎると、笹子川を真木橋で渡ります。
国道20号を暫く歩いて、上の写真の歩道橋の手前を左に入ると真木旧道です。
この旧道は短いですが、写真の様に、趣のある旧家が点在します。
真木旧道は、直ぐに再び国道20号に合流します。
国道20号の右手の石段を上ると、真木諏訪神社があります。
入母屋造りの本殿は、1827年の再建ですが、写真の様に、見事な彫刻が施されており、八王子の藤兵衛の作だそうです。
真木諏訪神社から国道20号に戻り、真木川を初月橋で渡ります。
更に進んで、源氏橋で、国道20号から分れ、笹子川を渡り、JR中央本線に沿って進みます。
やがて、写真の「甲州砕石鉱業所」内に出ました。
鉱業所を抜けると、街道の左手の段上に、写真の石祠や地蔵尊などが並んでいました。
JR中央本線を踏切で渡ると、再び国道20号に合流します。
合流した先が、次の宿場町の「初狩宿」です。
花咲宿から初狩宿までは約2キロです。
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