![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f8/9198009215664c52189904281e7e9a10.jpg)
(写真は、尿前(しとまえ)の関)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f6/fa412ee97d872c84acc031a963d7a333.jpg)
2017年10月から2年間、私は、旅行社の「バスで行く奥の細道」に参加しました。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
このバス旅行は、2か月に1回の開催で、毎回2泊3日でした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
スタートの「深川」から、約2,400キロ、ゴールの「大垣」まで、2年間もの超長旅だったので、参加メンバーの15名とはすっかり親しくなりました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
ただ、心残りだったのは、平泉から山形の湯殿山までの間の立石寺や最上川については、メンバーの皆さんが複数回行ったことがあるということで、これらを飛ばしてしまったことでした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
この飛ばした区間がずっと気になっていたので、昨年の秋に思い立って、この奥の細道の未制覇区間を3泊4日で訪れて来ました。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
以下に、この「奥の細道」の未制覇区間の昨年秋の旅行について、今回からシリーズで連載します。
東京 9:40 →(東北新幹線)→ 11:49 古川 12:15 →(陸羽東線・奥の細道号)→ 13:01鳴子温泉 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/37/63935ea74149c07e445540337480d8af.jpg)
(東京駅)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/74/0c83e76300d2d836069c658a730f660c.jpg)
(陸羽東線の奥の細道号)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/b0/c684b5fa31d14aba923cc8d4e2674f49.jpg)
(鳴子温泉駅)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/38/9089bcf8405067cda8f8a644c6d0f9ed.jpg)
JR鳴子温泉駅で下車して、取り敢えず、今晩の宿の鳴子観光ホテルへ向かいます。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/00/1e7d9d2149949d63e6e88e67d5129e00.jpg)
ホテルの案内で聞いたら、「尿前の関」(しとまえのせき)までは、徒歩15分くらいだというので、荷物を部屋に置いて直ぐに出かけます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/c2/98cb1a4814cffc74393b469035177eab.jpg)
外に出ると、風雨が段々と強くなってきました・・・ ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0006.gif)
横殴りの雨に濡れながら、もう20分も歩いたでしょうか、行けども行けども、それらしき案内も標識も何も見当たりません・・・ ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0003.gif)
やがて、強風のために傘の骨が折れてしまいました・・・ ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/rain_sim.gif)
下着までずぶ濡れになって、強風と横殴りの雨の中を、必死で歩いて行きます。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4a/449fcc88ef3b7ad6b1eec43d1b7b692c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/7c/101dc54d88321dcd7a4bcd2e0c7003db.jpg)
ようやく、初めて尿前の関の入口の標識らしきものがありました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/5b/a05ead71a30d5a4c28ca0f7b185b054c.jpg)
標識に従って、細くて暗い道を進んで行くと、ようやく、写真の「尿前の関」の門がありました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/33/2e63503e1a89d52869c37283c9d24649.jpg)
「尿前の関」の門から入り、関所の屋敷があったという敷地へ、石段を下りて行きます。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0089.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/2f/d918efa9557eb3c211fee35c94c793fb.jpg)
案内板によると、関所は、間口73メートル、奥行き80メートル、面積1,760坪もあったそうです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
関所の門をくぐり、石段を降りた所には、芭蕉像と石碑があるだけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/4d/0b56c67b63a6cf201ca32a216798d928.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a8/b3f3a3f3e2894949d98943aceaadc30d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/fa/5a432abe01b36675e31deaa929105b78.jpg)
芭蕉像の脇の石碑には、芭蕉一行がこの「尿前の関」を通過するのに苦労した経緯が記されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b8/5698830f5f43734e0e987207c3655c96.jpg)
石段を上って、尿前の関の門に戻り、門の前の細い道を更に奥へ進むと、自然石に刻まれた下の写真の石碑が建っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/db/6f677569eae14f73ce61ff3d6f20d70f.jpg)
石碑の正面には、上の写真の様に大きく「芭蕉翁」の文字があり、石碑の裏面に「蚤虱 馬の尿する 枕もと」の句が刻まれています。
(句意については、次回の封人の家で詳しく説明します。)
平泉を出て、出羽街道の中山峠を越えた芭蕉は、「尿前の関」を経て、尾花沢(山形県)へ向かいます。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
「尿前の関」(しとまえのせき)は、出羽(でわ)街道の途中の、「陸奥(むつ)の国」と「出羽の国」の国境にあり、仙台藩が設けた関所でした。
(「陸奥の国」は、現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県にまたがる大国で、「出羽の国」は、現在の山形県と秋田県。)
当時、最上(もがみ)氏と伊達(だて)氏の対立が続いていたことから、尿前の関は、人馬や物資の出入りを厳しく取り締まっていました。
芭蕉と曽良は、野宿をしながら、出羽街道の中山峠を越えて、鳴子温泉を目指しますが、この中山峠越えコースが、”奥の細道の最大の難所”でした。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
この出羽街道の中山峠越えは、芭蕉の頃は、人が滅多に通らない寂しい街道でした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0142.gif)
この「尿前の関」に着く迄に、険しい山道を、風雨にまみれ、野宿しながら歩いたので、どう見ても、怪しげな恰好の2人連れだったでしょう。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
その怪しげな恰好に加えて、芭蕉と曽良は、通行手形を持っていませんでした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_2.gif)
当時、旅人は、仙台領に入る際に通行手形を受け取り、領外に出るときに返却することになっているのですが、芭蕉と曽良は、その大切な通行手形を持っていなかったのです!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
芭蕉は、事情を説明してもなかなか信じてもらえなかった、と「奥の細道」に書いています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
(奥の細道:「此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす」)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0070.gif)
そりゃそうですよね、よそ者であった芭蕉一行が、通行手形無しで、この関所を抜けるのは相当困難だったと思いますよ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
また、仙台藩は、芭蕉を幕府の隠密だと疑っていたので、関所の役人は特に厳しく取調べをした、という説もあります。
(芭蕉が幕府の隠密だったという説については、「芭蕉忍者説」を見てね。)
あの筆まめな曽良が、この出羽街道の中山越えについて記録を残していないのは、難所の連続と、関所の厳しい取調べに疲労困憊したせいであろう、と言われています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
下の写真は、「尿前の関」の道向かいにある「出羽道中 中山越」の石碑です。
中山越えは、尿前の関への細い道を、この石碑で左折し、写真の暗い林の中の道へ入って行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/89/c8375043a1cca7fce63777d873b187b0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/7c/891a640eb3edb77789887346b8ffc79c.jpg)
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