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行く「奥の細道」(その49) 室の八島(栃木県)2020.7.2 


 (写真は、「室の八島」)

小池知事の「不要不急の他県への移動は控える様に」というアナウンスがあり、暫くの間、
ブログネタのためのウォーキングを中止することにしました。

しかし、実は、先月下旬から、細々と甲州街道踏破をスタートしており、また、先週は、奥の細道の
未訪問地の訪問を始めました。

従いまして、今週から自宅に籠って、これらの写真整理をすれば、1か月程度はブログネタには
困らない計算になりますのでご安心ください。


さて、話を「奥の細道」の未訪問地に戻します。

旅行社主催の「奥の細道のバス旅行」は、私は、栃木県の黒羽からの途中参加でした。

従って、このバス旅行の出発地の「深川」と、最初の歌枕の地の「室の八島」には参加していません。

という訳で、前回は、出発地の「深川」を一人で訪れました。

そして、今回も一人で、未訪問の「室の八島」(むろのやしま)へ、先週の木曜(7/2)に行って来ました。


1689年、深川を発った芭蕉は、埼玉県の春日部宿、栃木県小山市の間々田宿で各々1泊しました。

(芭蕉が宿泊した「春日部宿」と「間々田宿」については、「日光街道を歩く・春日部同左・間々田」を
見てね。)          

そして、芭蕉は、「間々田宿」の次の「小山宿」の先の「喜沢(きざわ)追分」から左に分かれて
「壬生(みぶ)道」を進み、日光へ向いました。

(日光街道と壬生道との分岐点の「喜沢追分」については、「日光街道を歩く・小山」の最後の部分を
見てね。)            
         

芭蕉は、壬生道を日光へ向かう途中で、「室の八島」(むろのやしま)に立ち寄りました。


横浜9:04 →(湘南新宿ライン)→ 11:31JR宇都宮---(徒歩20分)---東武宇都宮12:20
→(東武宇都宮線)→ 12:48野州大塚---(徒歩15分)---室の八島 

久し振りにJR宇都宮駅で下車します。


私は、日光街道踏破の中間地点として、また、奥州街道踏破の起点として、宇都宮には数泊しました。 

宇都宮に来たら、宇都宮名物の”餃子”の前を素通りする訳にはいきません。

駅前に設置されている”悲劇”の「餃子像」も、写真の様に、今のところ無事みたい?です。

(「餃子の像」を襲った突然の惨劇?については、「日光街道を歩く・徳次郎」の中程を見てね。) 
                                                            


駅前の餃子店に入ります。

写真の「8種類食べ比べ」(600円)を注文します。


肉、ニラ、シソ、ニンニク、チーズエビなどの8種類です。

美味しい!

餃子店を出て、JR宇都宮駅から東武宇都宮駅まで、炎天下を約20分も歩きます。


実は、宇都宮駅で乗り換えといっても、JRと東武は街の両端にあり、乗り換えるには一苦労です・・・
 



東武宇都宮駅から東武宇都宮線に乗り、写真の野州大塚駅で下車します。

野州大塚駅は、のんびりとした田園地帯にありました。




駅前の道を少し歩き、割と車の多い道へ出て歩いて行くと、間もなく、右手にこんもり茂った森が
見えてきて、「大神(おおみわ)神社」の看板が出ていました。

看板に従って右折すると、懐かしい水田風景の先に神社の鳥居が見えました。


長い間、自宅に籠っていたので、久々の一面の水田風景に癒されます。


水田の中には、懐かしいオタマジャクシがたくさんいます。



鳥居をくぐり、長い杉並木の参道を歩くと、その奥に、この下野国(しもつけのくに)の惣社である
「大神(おおみわ)神社」がありました。



私の目的地の「室の八島(むろのやしま)」は、この大神(おおみわ)神社の境内にあるハズです。






芭蕉が訪れた江戸時代には、この大神神社の池に八つの小島があり、この八つの小島が歌枕の
「室の八島」とされていたそうです。

この池から立ち上がる水気(川霧)が、当時、歌枕の「室の八島」から立ち昇る「煙」として詠われて
いました。

芭蕉は、曾良の言として、以下の様に、この神社の縁起を紹介しているだけで、「奥の細道」の中では、
室の八島の実際の景色については何も記述していません。

  この大神神社の祭神は、「古事記」の神話に登場する「木の花さくや姫」(コノハナ サクヤヒメ)です。

  姫は、夫の「ニニギノ ミコト」と床を共にしますが、わずか1夜で懐妊したため、貞操を疑われて
しまします。

  そこで、夫のニニギノミコトの子なら、火の中でも生まれるはず、と戸口のない部屋にこもり、
火を放って無事に出産し、夫の子であることを証明しました。

い〜や!、それにしても、激しい神話ですねえ。

この地域では、「このしろ」(別名:こはだ)という魚を食べることを禁じられていますが、それは、
この魚を焼くと、人体を焼く匂いがするため、火に焼かれながらお産をした姫の苦労を思ってのこと
だそうです。

この神話に基づいて、この地では、平安時代から、煙にちなんだ和歌を詠むのが習わしになっている
のだそうです。


(境内にある「木の花さくや姫」を祀った社)

 


現在は、大神神社の境内には、橋で結ばれている八つの小島があり、島のまわりは池になっています。



気温と水温の関係で、「けぶり」(川霧)が立つことがあるそうです。




私も、池の中の小道を歩いて、筑波神社、天満宮、鹿島神社、雷電神社、浅間神社、熊野神社、二荒神社、香取神社の小さな社を一回りしました。






その池のほとりに、写真の芭蕉句碑がありました。


”いと遊(糸遊)に 結びつきたる 煙かな”

(室の八嶋の煙は、春の陽炎(かげろう)と結び合って立ち上っていくことだ。)

「いと遊(いとゆう)」は、陽炎のことで、上の句では、「糸」と「結ぶ」が縁語(えんご)になっています。

芭蕉は、この句には不満だったのか、「奥の細道」には採り上げませんでしたが、曾良が日記に
書き留めておいたので残りました。

ここ歌枕の地である「室の八島」では、平安時代以来、煙を題材にした歌が多く詠まれました。


上の写真は、境内にある平安時代の歌人の「藤原実方(さねかた)」の歌碑です。

 ”いかでかは 思ひありとも 知らすべき 室の八嶋の 煙ならでは”

 ((私は、「恋の思いを伝える室の八島の煙」ではないので、どうやって恋の火が燃えていると、
あなたに知らせることが出来ましょう。)

( 「藤原実方」については、「バスで行く奥の細道・実方の墓」を見てね。)