![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/7e/de4f4efb8abb820398720104ff08c1f2.jpg)
( 写真は、義経が雨宿りをした「雨晴海岸の義経岩」 )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/dd/7ad13d5338ed6e27993d1a2f7673cd4a.jpg)
(ホテルの部屋から)
我々のバス旅行は、昨晩1泊した富山の市街地のホテルを出て、万葉の歌枕の地「那呉の浦」
(なごのうら)へ向かいます。![](cars_train4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/78/8b6655869f8fb7b397c1d1895eebca8a.jpg)
昨晩の富山のホテルの夕食では、ホタルイカ等の色々な富山名物の海の幸を満喫出来ました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0246.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/29/684bc2f87d5296896f5029060e971dbb.jpg)
(夕食の撮影を忘れ、食べ終わるときに気付いたので、最後に出た「白エビ」の天ぷらの
写真しかありません・・・ )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e7/2dbd75d6407e13105187280fa020f457.jpg)
我々のバス旅行は、歌枕「那呉の浦」(なごのうら)がある「放生津(ほうしょうづ)八幡宮」に
着きました。![](cars_train4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/6c/1e4b54782870b0173add1444d3fe4b7d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/05/ea225d184cd5102af614363857b75601.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/15/1bae165b916aa153e456c3a4da3d9a7a.jpg)
親不知を抜け、市振宿を出発した芭蕉一行は、ここ歌枕の地「那呉の浦」にやって来ました。![](m_0070.gif)
そして、ここから更に、同じく万葉の歌枕の地である「有磯海」(ありそうみ)を訪れようとします。
しかし、土地の人から「有磯海は、ここから五里もあるし、有磯海には泊めてくれる宿もない」
と言われ有磯海に行くのを断念します。![](m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e8/857f42b5994132b9bbb33bc737c9c02d.jpg)
八幡宮の右手に、このときに芭蕉が詠んだという、写真の句碑が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ad/8cdb3888457659c0cc6b06f0e27dbced.jpg)
”わせの香(か)や 分入右は(わけいるみぎは) 有そ海(ありそうみ)”
(早稲の香の漂う稲田の中を分け入って進んでいくと、海岸沿いの右手の遥かな先に、
歌枕の地である紺碧の「有磯海」が開けて見えることよ。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/40/02e229a3eccbd2ca8da2c7af0a41fc94.jpg)
八幡宮の拝殿の裏の堤防の上に、写真の「那呉の浦」の石碑と説明板がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/a7/a8e37f55dc5295141cdf2da0c511cbf4.jpg)
「那呉の浦」は、芭蕉が訪れた江戸時代には、北に能登半島を望み、南に立山連峰を仰ぐ
景勝の地で、ここ八幡宮の裏の堤防の向こう側は、有磯海を臨む紺碧の海でした。![](m_0228.gif)
しかし、八幡宮の裏の堤防の向こう側は、今は埋め立てられ、漁港の倉庫が立ち並んでおり、
万葉の歌枕「那呉の浦」の面影は何もありません・・・![](m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/bb/8bb460ff0d71a47dd6e86465517588ef.jpg)
この芭蕉句碑の後には、新年号・令和ですっかり有名になった、万葉集の編者の「大伴家持」
(おおとものやかもち)の句碑が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/cc/b59a40a2a67dc7a74523561ca86a7e82.jpg)
”あゆの風 いたく吹くらし なごの海士(あま)の 釣する小舟 漕ぎかくる見ゆ”
(東風が激しく吹いているが、奈呉の釣り人の小舟が漕ぎ進むのが、高波の間から見え隠れ
している。「あゆの風」は富山の方言で東風のこと。)
大伴家持は、国司として、ここ越中の国(富山県)に5年間も赴任しています。
我々のバス旅行は、放生津八幡宮を出て、能登半島国定公園の景勝地「雨晴(あまはらし)海岸」
へ向かいます。![](cars_train4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/9b/d5b8ce3ec8c0bd71f28bc6114b322c46.jpg)
「雨晴(あまはらし)海岸」の駐車場でバスを降り、踏切を横切って、「義経岩」へ行きます。![](body_walk.gif) ![](m_0228.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e4/99e5b411076151f3f4ae7109dfbcfd17.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/3b/e5fdf4f086aaf40f0f7747bf0671f1aa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/5f/9046772ab83646cc04c728464cf0f20f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/61/9de12bc5d06f2fd91c55c2fd30678c6c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/30/80ada5fb43ae4d82b35fb663be7f1704.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d9/301cae8f1e901b5dd4ff535a0ae3eed0.jpg)
1187年、義経一行が奥州平泉へ向かう途中に、急に雨が降り出したため、弁慶が写真の岩を
持ち上げ、義経は、その陰で雨宿りをしたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/rain_face.gif) ![](kuri_53.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4a/c7a46d9147d0828d239a0ae23dd4fa28.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/40/955b0bf01f275c235d62a08670bfbbf2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/82/ffbdd9b944424341c66fd4ac4f9530b3.jpg)
「義経岩」の上には、写真の「義経神社」が建てられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/3b/3c14ed234b39183c1184e24604a34a7d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0a/b2904a79c28a1c789fe274b07a55ef7a.jpg)
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