![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/71/8198eaeda195952b5e7892922cd5e451.jpg)
( 写真は、親不知の断崖絶壁 )
「親不知・子不知」(おやしらず・こしらず)は、古くから、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を
阻む”越後路の最大の難所”として知られてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0228.gif)
かつて、旅人は、この断崖の下にある海岸線に沿って進まねばならず、波間を見計らって
狭い砂浜を駆け抜け、大波が来ると洞窟などに逃げ込みましたが、途中で波に飲まれる者も
少なくなかったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0228.gif)
危険な波打ち際を駆け抜ける際には、”自分を守るのが精いっぱいで、親は子を忘れ、
子は親を顧みる暇がなかった”ことから、”親知らず・子知らず”と呼ばれるようになりました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
そして、江戸時代の参勤交代では、加賀藩主は、親不知・子不知を往来することが必要に
なりました。![](kuri_52.gif)
その際は、500人くらいの”波除人夫”が近隣から集められ、この人夫達が人垣をつくって
波濤を防ぎ、加賀藩主を通したそうです!
![](cat_53.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0228.gif)
波除人夫が可哀想〜!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/d3/6d649d5e86c32e434e6ff4b779bbea38.jpg)
我々のバス旅行は、曲くねった国道8号線の岩石避けシエルターの中を「親不知」に
向かって走って行きます。![](cars_train3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/90/1faffe679d58c657cf59ee66408db5b8.jpg)
この国道と並行して、高速道路が、写真の様に海の上を走っています。![](cars_train3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/7b/9123431428a070a5610735e5effc2120.jpg)
親不知の断崖絶壁の端に建つ「親不知観光ホテル」の下の市営駐車場で下車します。![](cars_train3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/38/9836a28fa31c849f631c4e02add4a345.jpg)
この駐車場の脇にある展望台に、写真の「親不知の地形の模型」と説明版がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/4d/5115f84bfe89a1627269f6f4fff62211.jpg)
写真の上部の白い横線が遊歩道(旧国道)で、写真の下の青い部分が海を表していますが、
この海沿いの砂浜が、かっての北陸街道でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/ce/a65f36506025785f6fbd51996f59c97f.jpg)
「地形の模型」には、写真の様に、砂浜の@からJのスポットについて解説してあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/52/c45bd8b0fe73145fc0659c384f38ac8f.jpg)
上の写真を例にとると、D大懐 E小懐 F大穴 G子穴 H長走り、と天然の避難所に
名前が付いています。
旅人は、荒波が来たら、ここに逃げ込んでいました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_run.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0228.gif)
説明版によると、この穴に逃げ込んだものの、荒波が続き、1週間も出られなかった旅人も
いたそうですから、驚きです!
![](cat_53.gif)
この親不知を通行する旅人は、まさに命がけだった訳で、その旅の様子が浮かんできます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0228.gif)
芭蕉も、きっとこの危険な浜辺を歩いたのでしょうね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/19/daa771c9cd99b7b42e732eaa968266e9.jpg)
この地形の模型がある展望台から先は、コミュニティロードと名付けられた”親不知見学”
のための遊歩道( 旧国道8号線)になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/fa/77b60039d6c9c5f61a25e3e5d936f4d4.jpg)
風雨の中、この遊歩道を歩いて行きます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/60/c9e5a641a1f5cfa9343300749c28979b.jpg)
下を覗くと、恐ろしい断崖絶壁です!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/12/e8008d28d07c8557b953c3fad38da477.jpg)
上の写真は、「如砥如矢=とのごとく やのごとし」と刻まれた遊歩道沿いの岩です。
明治16年、この旧国道8号線の開通を記念して、”砥石のように滑らかで、矢のように
速く通れる”という意味で刻まれたのだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/85/ce1cce97a8ea0ea0db2ebb84ddd877ce.jpg)
観光ホテルの前から親不知海岸へ下りて行く遊歩道があったので、砂浜まで下りて、
昔の旅人が歩いていた海岸線を歩いてみたかったのですが、風雨が強くなってきたので
断念しました・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0228.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/5a/61d71d31731e2b06540b503134f890dd.jpg)
ここからコミュニティロードを引き返し、バスに戻って、北陸街道の次の宿場町の「市振
(いちぶり)」を目指します。![](cars_train3.gif)
芭蕉は、約15キロも続く親不知子不知の海岸線を抜け、やっとの思いで市振宿に到着
しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
越後路については1行も書かなかった芭蕉ですが、ここ市振から「奥の細道」の本文の
記述が再び始まります。![](m_0070.gif)
芭蕉は、ここ市振の旅籠「桔梗屋」で、伊勢へ参詣に向かう2人の遊女と隣り合わせの部屋
になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_f.gif)
翌朝、芭蕉と曽良が宿を出ようとすると、遊女らは、「女2人の心細い道中ですから、
見え隠れでもいいから、お二人について行きたい。」と、涙を落とします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
どうも芭蕉を僧侶だと勘違いしている様ですが、芭蕉は2人の頼みを冷たく断ります。
断りはしたものの、「あわれさ、しばらく やまざりけらし」と、薄幸な遊女の身の上に同情し、
彼女らの行く末を案じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0142.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/dd/05312d8594483437410cc6d136e2f027.jpg)
”一家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月”
(同じ一軒の宿屋に遊女と泊り合わせたが、折からの秋の庭には萩の花が咲いており、
それを月が照らしている。)
我々のバス旅行は、「市振(いちぶり)」の宿場町の入口でバスを下車します。![](cars_train3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/dc/fbf0a3f2ed6e94af2cac527319db426b.jpg)
宿場町の入り口には、写真の「海道の松」跡があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/61/9e9a8810859db553d6a15a5a630ad471.jpg)
「市振小学校」の校庭の一角に写真の「市振関所跡」の石碑がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/48/8721d2c7e4979520c850ba3ee4aa5977.jpg)
説明板によると、江戸時代、この関所は、海陸の通行を監視しており、入り鉄砲と出女に
厳しかったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/23/28de1566b4d8c8a0e00a326a115c9478.jpg)
上の写真は、芭蕉が泊まった「桔梗屋」跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/ff/1edc0b0026a0213cee0198193d369fc4.jpg)
上の写真は、「弘法の井戸」です。
この宿場町の茶屋に、弘法大師が来て、「水がほししい」と言ったところ、茶屋の婆さんは、
1キロも遠く離れた赤崎の冷たい清水を汲んできてくれました。
弘法大師は、これを憐れんで、足元の土を杖で三度突き、この井戸を作ったそうです。![](m_0140.gif)
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