![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/6b/2a809f78bf8cb378e71e3c5caaec0ab9.jpg)
( 写真は、春日山城の土塁と堀 )
大変です!、越後路の芭蕉にトラブル発生です!
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「曽良随行日記」によると、出雲崎を出た芭蕉は、象潟の門人の紹介状を
持って、次の宿泊予定地「柏崎」の豪商・天屋弥惣兵衛を訪ねます。
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しかし、何かが不快で、怒って、この天屋を飛び出してしまいます!
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天屋の家人が2度も走ってきて引き留めましたが、怒りが収まらないのか、
芭蕉は聞く耳を持ちませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
芭蕉は、雨が降りしきる中を、何と!、米山峠を越えて次の宿場の鉢崎まで、
一気に16キロも歩き通しました・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0003.gif)
驚き!!
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芭蕉は、江戸では超売れっ子の”大スター”なのに、ここ「柏崎」では無名の
”一般人”扱いをされたので、怒りが爆発してブチ切れたのでしょうか。
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「曽良随行日記」を読み解いているうちに、「奥の細道」の本文からは
分からなかった、生身の芭蕉の人間らしい気持ちが、だんだんと理解できる
様になってきました。
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我々のバス旅行は、「出雲崎」の妻入りの街並み見学を終えて、出雲崎の
隣町の芭蕉がトラブルを起こしたという「柏崎」に入ります。
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「柏崎」の西山町の「田中角栄宅」の前を通って、「直江津」の「春日山城跡」へと
向かいます。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/ef/dd3b61f61c0b8cd6b12bfec751df9634.jpg)
春日山城は、戦国の名将「上杉謙信」の居城として有名です。
城は標高189メートルの小高い山にあり、東西2キロ、南北1.3キロに及ぶ巨大な
山城でした。
複雑な自然の地形を利用した堅固な城塞で、難攻不落の天下の名城と言われ
ました。
NHK大河「天地人」の主人公は、「上杉景勝」に仕えた上杉家の家老「直江兼続
(なおえ かねつぐ)」で、ドラマの舞台として、ここ春日山城が度々登場しました。
ドラマでは、「直江兼続」役の「妻夫木聡」が、「愛」を重んじ「義」を貫き通した
戦国武将として描かれており、当時、”妻夫木フィーバー”が起きました。
我々のバス旅行は、小雨の中、かつての春日山城の一部を再現した「春日山
城史跡広場」で下車します。
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雨が激しくなったので、雨宿りを兼ねて、春日山城史跡広場の脇にある「春日山城跡・ものがたり館」に入ります。
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館内は、小じんまりとしており、展示は多くありませんが、当時の春日山城の
様子などを 大型画面のビデオで紹介しています。
入場無料ですが、スタッフの人が親切に我々の質問に答えてくれます。
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上の写真は、館内の「直江兼続」ですが、妻夫木聡の写真ではなくてアニメです
・・・
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あの”妻夫木フィーバー”はどこへ行ってしまったのでしょうか、館内はひっそりと
しています。
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(上杉謙信:「春日山城跡ものがたり館」のパンフレットから)
雨が小降りになったので、春日山城跡ものがたり館を出て、史跡広場を散策
します。
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当時の「土塁」や「監物堀」(けんもつぼり)などが立派に復元されています。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/78/4e4ad2be1f6bef88b64c593e2faec423.jpg)
現在の「春日山城跡」は、日本100名城の国指定遺跡で、山頂には、天守閣跡
や二の丸跡などが残っているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/8e/1b5150ee35aedbf54e0514f9fc7983e4.jpg)
また、山頂までの途中の道では、曲輪や土塁、それに上杉景勝や直江兼続の
屋敷跡なども見られるそうです。
しかし、ここから山頂までは、相当の距離の山道を歩かなければならず、
あいにくの小雨で、高齢者が多い我らのバス旅行は早々にここを引き揚げ
ます・・・
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もし、個人旅行で来ていたら、小雨の中、山頂まで歩いて上ったと思いますが、
残念!
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春日山城史跡広場を出て、「五智国分寺跡」へ向かいます。
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ちなみに、「五智国分寺」の”五智”の由来は、大日如来を初めとする5人の
如来を、「五智如来」と呼ぶためだそうです。
律令時代には、直江津に越後国(新潟県)の国府が置かれ、越後国の国分寺
として「五智国分寺」が建てられました。
現在の国分寺は、1562年、上杉謙信が再建したものだそうです。
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上の写真の山門を守る仁王像は、1836年に造られました。
山門を入ると左手に芭蕉句碑がありました。
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”薬欄に いずれの花を 草枕”
説明版によると、この句は、「薬園の草が秋で美しいが、どれを枕としてここに
旅寝しようか」の意味で、芭蕉が、直江津の近くの高田の医師・細川春庵を
訪れた時に、主人への挨拶をこめて詠んだものだそうです。
不快な思い出しかない越後路での出来事なので、芭蕉は、上記についても、
「奥の細道」の本文では一切触れていません。
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(本堂)
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(経堂)
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上の写真は、1856年に着工の「三重塔」です。
我々のバス旅行は、五智国分寺の近くにある、「居多ヶ浜」(こたがはま)に
向かいました。
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越後へ配流となった親鸞聖人は、ここ「居多ヶ浜」に上陸しました。
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