![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/7b/531d20031dba4e1e98f7328b42a4543f.jpg)
( 写真は、「出雲崎代官所」の入口で、立ち上がって観光客を迎える「代官」。)
新潟県の「出雲崎」(いずもざき)は、佐渡ヶ島から、海を隔て50キロ余り、
「佐渡金山」から産出される「金」の陸揚げ港でした。
このため、幕府は、佐渡と同様に、「出雲崎」を、幕府直轄地(7万石)にして
「出雲崎代官所」を置きました。
また、出雲崎は、北国街道の宿場町でもあり、更に、北前船の発着の港でも
あったので、大いに繁栄しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/5e/516fb9a7150c28ed75c85433d2b58c95.jpg)
我々のバス旅行は、道の駅の「越後出雲崎・天領の里」で下車して、「天領
出雲崎・時代館」に入ります。( 500円)![](cars_train1.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e6/4268586269a06d323ed660368b1e1488.jpg)
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入口では、「出雲崎代官所」のロボットのお代官様が立ち上がって、我々を
迎えてくれます。![](m_0199.gif)
出雲崎代官所の最初の代官の高田小次郎は、当時、出雲崎では民衆の力が
強かったので、「橘屋」を名主にして、強い民衆を治めようとしました。
そして、幕末の最後の代官は、代官所が官軍の襲撃を受けたとき、一切の
記録を焼き捨てて、新潟方面へ敗走したそうです。![](m_0200.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/03/4afda472b40adfdb4c5e5a87b67cf211.jpg)
時代館の館内には、出雲崎の往時の町並みが再現されており、また、佐渡
への航行に使われた御奉行船の大型模型など、当時の様子が展示されて
います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/98/9f5a9c3b311f897f21d5347509b46c0f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/f4/2d0e950d4616c25d7378db0859b75007.jpg)
(出雲崎の宿場町の入口の番人)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/e4/18436cdfab7b1b26a9c5b6f737cd51e5.jpg)
(古道具屋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/64/19cc8d8a7de25570a2c260dadc44f1e0.jpg)
(将軍名代の巡見使が、出雲崎から佐渡へ渡航する際の行列)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/67/727a057e126a8aa923b229490ac7b9df.jpg)
また、時代館の隣は、「出雲崎石油記念館」(共通入場券)で、日本で初めて
石油採掘をした出雲崎の石油に関する資料等を展示しています。
石油記念館の道路向いには、「石油産業発祥地記念公園」があります。
出雲崎では、江戸時代から、石油が湧出することは知られていましたが、
明治維新になって石油ランプの時代になると、急速に石油の需要が拡大
しました。
この波に乗って、出雲崎の海岸を埋め立てて、石油の機械掘りをしましたが、
そのときの”石油を掘っていた櫓”の跡が下の写真だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/cc/93acd1dec9b08b1f7aa1f38b44eccb01.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/6f/bf06b7b7d807942dbdf4e604d30c1592.jpg)
時代館を出て、「妻入りの街並み」を散策します。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
出雲崎の町並みは、”鰻の寝所”の様に、間口が狭く奥行きの長い「妻入り」
の構造で、これは、江戸時代に、”出雲崎が越後一の人口密度”を誇った
繁栄の名残りなのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
今も、約4キロにわたる「妻入り」の町並みが残っており、見応えがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0139.gif)
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上の写真は、「旧新津邸」で、出雲崎出身の実業家である新津恒吉が所有
していた邸宅です。
ちなみに、新津恒吉は、「昭和シェル石油」の前身の新津石油の創業者です。
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上下の写真は、観光案内所の「妻入り会館」で、ボランティアのおじさんが、
出雲崎の観光スポットについて解説してくれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/70/70a08f603fbf8c39d8f84ab82fdb14de.jpg)
妻入りの街並のなかほどに「芭蕉園」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/82/08a5a84e94935000f9ec41a56421cc02.jpg)
「芭蕉園」には、写真の「芭蕉像」があり、その奥に、芭蕉の「銀河ノ序」(注)
の全文が刻まれている碑があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/2d/7d829d6a3933b3ff0f484be838b53aba.jpg)
(注)「銀河ノ序」
芭蕉門下の許六が、芭蕉門下生の句を集めた俳文集「本朝文選」(風俗文選)
には、出雲崎に深い感懐を抱いて書いたという芭蕉の序文(銀河の序)が
掲載されています。
奥の細道の本文中には、芭蕉は、越後路について1行も書いていないものの、越後路で下記の2句を詠んでいます。
”荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)”(芭蕉)
(眼前の日本海には荒波が立ち騒ぎ、その彼方には幾多の悲しい歴史を
秘めた佐渡島があり、仰ぎ見ると、七夕の夜空には、年に一度、牽牛と織女が
出逢うという天の川が横たわっている。)
佐渡は、古くからの流刑地で、順徳院、日蓮などが罪人として島に流されて
います。
”文月(ふみづき)や 六日も常の 夜には似ず”(芭蕉)
(いよいよ明日は牽牛と織女の2星が会う七夕だと思うと、今宵も、普段とは
違って、華やいだ気分に感じられるなあ。 )
この芭蕉園の斜め向かいの家が、芭蕉が宿泊したと言われている「大崎屋」
の跡らしいのですが、何の表示もありません・・・
また、出雲崎は、「良寛」(りょうかん)の生誕の地でもあります。
良寛は、芭蕉よりも百年あまり後の人ですが、歌を詠み、書をしたため、
一生清らかに暮らした和尚として有名です。
「良寛」は、ここは出雲崎の名主の「橘屋」の長男として生まれました。
「橘屋」は、出雲崎の初代代官・高田小次郎が、名主に指名したほどの
名家でした。
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上の写真は、その「橘屋」の屋敷跡で、現在は、写真の「良寛堂」が
建っており、そこに、佐渡を見つめる良寛の銅像も建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/c6/1323976fd8effd74b7c3a12f0007f6bc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/be/0f27d9a50d4f3a5e186b75fef904148b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a7/b96e4c9be91f1139cc9d5b4537c1f14a.jpg)
我々のバス旅行は、「出雲崎」の妻入りの街並みを抜けて、隣町の「柏崎」へ
向かいます。 ![](cars_train1.gif)
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