![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/31/637fb3cf0397ac43ae640cfd7c6dc025.jpg)
(写真は、奈良時代に「鬼婆」が住んでいた「岩屋」。)
今回は、「安達ケ原の鬼婆」を訪れますが、先に、その「安達ケ原 」の「鬼婆(おにばば)伝説」に
ついて、以下にご紹介します。
ここ安達ケ原の「鬼婆」は、京都のある公家屋敷の乳母でした。
長年、手塩にかけて育てた姫の病気を治したい一心から、「妊婦の生肝(いきぎも)を
飲ませれば治る。」という易者の言葉を信じ、遠くみちのくに旅立ち、ここ安達ケ原の岩屋に
たどり着きました。
![](cat_5.gif)
そして、木枯らしの吹く晩秋の夕暮れ時、生駒之助(いこまのすけ)・恋衣(こいぎぬ)と名のる
旅の若夫婦が一夜の宿を求めてやって来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif) ![](ny_kimono_f.gif)
その夜ふけ、恋衣が急に産気づいたため、生駒之助は産婆を探しに出て行きました。
鬼婆は、この時とばかりに、出刃包丁をふるって、苦しむ恋衣の腹を裂き、「生肝」を
取り出しました。![](face2_shock_s.gif)
恋衣は、苦しい息の下から、「私は、幼い時に京都で別れた母を探して歩いているのです。」
と語り息をひきとりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
鬼婆は、亡くなった恋衣のお守り袋を見て、昔、別れた自分の愛しい娘であることに気付き、
驚きのあまりに気が狂い、鬼と化してしまいました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/nakioni.gif)
以来、宿を求めた旅人を殺し、生き血を吸い、肉を食らい、いつとはなしに「安達ケ原の鬼婆」
と言われる様になりました。![](m_0143.gif)
数年後、何も知らずに宿を求めた紀州熊野の僧・東光坊は、岩屋の秘密を知り逃げ出しますが、
鬼婆はすさまじい形相で追いかけて来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/isona.gif)
東光坊は、もはやこれまでと、如意輪観音が入った笈(おい)を降して祈願すると、観音像が
空高く舞い上がって、一大光明を放ち、白真弓(白木のマユミで作った弓)で鬼婆を射殺して
しまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/etc_fire.gif) ![](cat_5.gif)
鬼婆は、阿武隈川の川岸に埋められ、その塚は「黒塚」と呼ばれる様になりました。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/huririhi.gif)
奥州街道の道筋ではありませんが、江戸時代、二本松地方を通る多くの旅人が、「安達ケ原
(あだちがはら)の鬼婆」伝説の地に立ち寄る様になりました。
芭蕉も、奥州街道から外れて寄り道しています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
私は、「安達ケ原」は、奥州街道の「二本松宿」の近くにあると思っていました。
しかし、調べてみると、二本松宿から4キロ余り離れており、徒歩往復に2時間かかることが
分かりました。
という訳で、1日徒歩5キロ制限の私は、今回の「奥の細道」の「安達ケ原の鬼婆」も、バスツアーの
お世話になります。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/56/38d83f946f78ff5a8ef93affeafd60e0.jpg)
(バスの中)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/2a/b65417048aa74015f4f636bc790d07e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/34/267d09a4c6c2a93b199adb576db01567.jpg)
鬼婆が住んでいたという「岩屋」が境内にある「観世寺」(かんぜじ)に着きました。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/49/82a7a83966404b33f11fba6f5c63f6e2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/be/f3e88e071e5f09786502f1efa794f488.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/06/7072b325a15beb5b3e162a03d32f9d2a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/51/e5847d6ac8e83998af4258bdb9864601.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/20/9b063324aff95ba0dda4ecfc96636174.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a7/ece0368b47b5977e8dc2a6c2267c725c.jpg)
観世寺の境内にある色々な岩の前には、それぞれ説明の立て札が立っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/03/5496373d7bc9b20a6dac03cb7b60c9b3.jpg)
上の写真が、鬼婆が暮らしていたという岩屋で、張り出した岩が笠のような屋根になっています。![](kuri_5.gif)
ここで、旅人が来るのを虎視眈々と待っていたのでしょう。![](cat_6.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/09/d3958ba31bd69128cb198000a02d4d16.jpg)
上の写真は、鬼婆が旅人を殺した時に出刃包丁を洗ったという「出刃洗いの池」です!
怖っ〜・・・![](face2_shock_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/0e/031db85d8435dfa5d46076ffa435a0d7.jpg)
上の写真は、「蛇石」で、この石には、参詣人の安全を守ってくれる白蛇が住んでいたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/44/757b27359cb01cb7f76ac586d43f8477.jpg)
上の写真の「安堵石」は、悩み事を聞いてくれるという石です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/92/df266b44ea3905d6cb176d1ef34cc91e.jpg)
写真の「胎内くぐり」は、巨岩が組み合わさった、かろうじてくぐり抜けられる隙間のある岩なので、
スリムな体型でないと無理みたいです・・・![](m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/59/8b8aeba11854531b63652167166780ab.jpg)
境内の「宝物資料館」では、鬼婆ゆかりの品々の展示が見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/41/04c873570da401088ab153efe78ac331.jpg)
写真撮影は禁止ですが、ここの岩屋から出土したと言われる鬼婆の使った出刃包丁、人肉を
煮た鍋、生き肝を入れたツボ等、おどろおどろした品が並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
![](kuri_5.gif)
更に、鬼婆が殺戮する生々しい場面の絵巻も・・・![](cat_6.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dokuro.gif)
背筋がぞっ、ぞぞ〜。![](face2_shock_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/24/4982b13476bf8a0187aadc483d9a6981.jpg)
観世寺の前の阿武隈川の河原には、写真の「黒塚」があります。![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/0d/83f765d9fb0212a51478a0f6581d1809.jpg)
黒塚には、杉の大木がそびえていて、その根本に「黒塚の石碑」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/62/3946f6ddc15b42244ae01fcc5753be14.jpg)
ここには、退治された鬼婆の亡骸が埋められているそうです。![](cat_5.gif)
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