![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/aa/5c1238d5b5a7581a49bac743687685e1.jpg)
(写真は、江戸初期の創業で、現在も営業を続ける鰻屋兼旅籠の「丁子屋」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/74/18abd197335544d09c0eb678e5333153.jpg)
朝、芦野温泉ホテルを出て、「芦野宿」への坂道を下りて行き、宿場町の入口に着きました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
「芦野宿」は、那須7騎の一人である芦野氏の城下町として発展し、江戸時代は、旗本で
3千石の芦野氏の知行地となりました。
芦野氏は、那須一族の血をひく名門だったため、1万石以上の待遇を受け、参勤交代も
行いました。
また、奥州街道の宿場として、40軒余りの旅籠がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/1f/2c67a47aff3602df827cb561f3846273.jpg)
芦野宿に入ると、右手に、日本三聖天の一つという上の写真の「三光寺」があります。
三光寺を後にして、芦野宿の中心街に進んで行きます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7f/451e1498fdc0e85cab57f67f242e8332.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/a8/46a1e96405edda11ba12f5684c5410f4.jpg)
芦野宿に入ると、 道の両側の各々の軒先に、屋号を記した石灯篭が建っています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/4e/1772aa87542479131a099a5ddc42d0f7.jpg)
芦野の交差点で右折して、芦野郵便局の横を通って進むと、芦野家の重臣だった
「平久江(ひらくえ)家」で、現在も、ご子孫が住まわれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ba/fbbef077428b0a01081e247a3209a953.jpg)
写真の「平久江家の門」は、上級武家屋敷の門が当時のまま現存しています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
平久江家の庭には、上の写真の左端の推定樹齢400年の「平久江家のしだれ桜」が
あります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/16/22c49f220773ef1bc59894e6d6e968f0.jpg)
平久江家の前の道を進んで行くと、廃城になった館山城の本丸の跡に、上の写真の
那須歴史探訪館がありましたが、残念ながら閉鎖中でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/0d/c07439c2eafd4c54f97b08577256c16e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e0/e54223eeac816401c36c7295cef179fa.jpg)
この那須歴史探訪館の前の丘の上に、芦野氏の居城の「芦野城」(芦野氏陣屋跡)の
本丸、二の丸、三の丸の跡があるそうです。
城跡を目指して坂道を上って行きますが、急な坂道が延々と続き、途中で息切れして
しまいました・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_deject.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
心残りですが、今日は、まだ先が長いので、急な坂道を芦野のメインストリートの交差点
までまで引き返します。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0089.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/60/c35c04474007c7be9ac978d0a88a8f10.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/79/e1287731dad9df8450ed27ca07aad340.jpg)
メインストリートの右手の奥に芦野氏の菩提寺の「建中寺」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/31/73690a21128969098f51223e7f26e439.jpg)
寺の右側を上がって行くと、小高い所に、歴代の芦野氏と家族の墓がありました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/c6/5f09eac431e333b15240467a60463c5d.jpg)
江戸中期になると、当主の芦野氏は江戸滞在が多くなり、亡くなると、駒込千駄木の總禅寺
に葬られ、菩提寺であるここ建中寺には、遺髪のみが埋葬される様になったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/83/0bcf8e7deb063df7065560bb6bc85cfb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e3/906299b87d55798a0f00fd11ff68ede9.jpg)
街道のメインストリートに戻ります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/9b/7af43a8c4c3ec32d6a95628381aeae5e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/88/9626bed12ed044ae96182d32f2bb633a.jpg)
上の写真は、「石の美術館」ですが、この辺りに「臼井本陣」があったらしいです。
地場産の芦野石を使った上の写真の「石の美術館」は、あの新国立競技場を設計した
隈研吾氏の設計らしいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/86/dfc26d44ec7e94f962ee32a54b7023f8.jpg)
上の写真は、「旅籠・吉川屋」の跡に建つ「ほてい屋」です。
下の写真は、江戸初期の創業の旅籠「丁子屋」(ちょうじや)で、現在は15代目の当主
だそうです。
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店の奥には、当時からの蔵屋敷が残っているそうです。
現在も、旅館と割烹の兼業で、この店の鰻は、江戸時代からの名物だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/29/2182b0d529f18550e9840e06d68234b8.jpg)
お昼近くになったので、その名物の鰻重(2,500円)を頂きます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/31/aa05af3e1c12985492fe5161ae1d3a05.jpg)
鰻重で満腹になり、メインストリートを進むと、1717年建立の新町の地蔵尊のところで
芦野宿は終わりでした。
ここで、奈良川を渡って国道に合流します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/0c/020693d1bba53cd909177f8e7d08edab.jpg)
芦野宿を出ると、直ぐ左手の「那須湯泉(ゆせん)神社」へ向かう参道の脇の石囲いの中に
「遊行柳」(ゆぎょう やなぎ)があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/71/506a89878e4a3dd405ce59455043b9bb.jpg)
遊行柳を訪れるのは、「奥の細道バスの旅」に続いて2度目です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
(バスの旅のときの遊行柳については、(遊行柳)を見てね。)
遊行柳は、 時宗の宗祖である一遍上人(遊行上人)が、旅の途中で使用していた
柳の杖が、ここに根付いて柳になった、という伝説に由来します。
西行法師も、ここの柳を詠みました。
”道のべに 清水流るる柳かげ しばしとてこそ 立ちとまりつれ”(西行法師)
(旅に疲れて、道の脇の清水が流れている柳の木の下で、しばらく休もうと思って
立ち止まった。)
西行のこの歌は、謡曲「遊行柳」の舞台で詠われたため、これにより、芦野の柳は
「遊行柳」として広く世に知られ歌枕の地になっていました。
芭蕉もまた、尊敬する西行法師ゆかりのこの柳を見に行き、柳の木の下で、
もの思いにふけりながら詠みました。
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”田一枚 植えて立ち去る 柳かな”
(有名な柳の陰で西行法師を偲んでいると、いつの間にか時間が過ぎ、気がつくと
早乙女たちは田を一枚植え終えて立ち去ってしまった。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/45/18afc66763f83d3ac4551872523682e5.jpg)
「遊行柳」から国道に戻って、次の白坂宿を目指して歩いて行きます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/36/d3066ad0e30ba660a987fa84108433f5.jpg)
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