![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/55/612b282fa7aaa8f34872325cd27dab77.jpg)
(写真は、道標を兼ねた永代常夜燈)
長らく悩まされていた股関節炎の痛みも、徐々に治まってきたので、
昨年末から、恐る恐る”奥州街道の踏破”を再開しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
前回、危うく野宿になりかけた、”悪夢の練貫十文字・バス停” から
歩き始めます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/c7/af4292fe9c69f66bc1f0fa4cae10aee4.jpg)
(”悪夢の練貫十文字・バス停”については、(奥州街道を歩く22-4)を
見てね。)
栃木県では、「交差点」のことを「十文字」と呼ぶみたいです。
街道を進んで行くと、左手に、1756年に建てられたという道標を兼ねた
「永代常夜燈」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/5a/c2680f7800d5cf1a97c5c9e5edaa3f2c.jpg)
上の写真の様に、正面に「永代常夜燈」、左側面に「左 原方那須湯道」、
そして、下の写真の様に、右側面に「右 奥州海道」と刻まれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/93/1b4bd8740034d4be6d515fdb569500d6.jpg)
永代常夜燈の後ろには、2つの念仏碑と十九夜塔が建っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/b1/5d7a337125daddb1c6eae30be95e7fec.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/dd/02972d09d0017095f8343a89b2d00f2a.jpg)
更に進んで行くと、やがて、大田原市から那須塩原市へ入ります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/69/c73570ac8af1fd29da36589a5921cda6.jpg)
那須塩原市の樋沢(ひざわ)地区に入ると、街道の左手の上の方に
「鍋掛の一里塚」の表示が見えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/75/a2dd42fac307d5221e778014e1158291.jpg)
矢印に従って石段を上って行くと、「鍋掛神社」への参道が続いており、
参道の途中に下の写真の「鍋掛の一里塚」がありました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/b8/68d4644f834771f0ce9b8898fb6016a2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/9b/bec3f67bbee66dc2b8fdf4d35561c081.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/d6/45b4844e5012780ba7b43f4fa98a93bc.jpg)
街道に戻り、上の写真の鍋掛十文字のバス停を過ぎると、もう「鍋掛宿」
です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
鍋掛宿は、奥州街道の難所とされた那珂川を控え、対岸の「越堀宿」と
2つで1宿の務めを果たしていました。
鍋掛宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠11でした。
また、那珂川は、幕府にとって天然の防御ラインだったので、鍋掛は
天領でした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
那珂川には、船橋や土橋があったそうですが、増水すると川留めになり、
宿場町は大いに賑わいました。
那珂川の増水で川留めとなったとき、溢れた旅人達に、住民が総出で
鍋を出して炊き出しをしたのが「鍋掛」の地名の由来だそうです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/01/0e5f173e99208ece3bf4244e77d611ff.jpg)
鍋掛宿に入ると、歩道と車道の境界に、ガードレールの代わりに、
石碑風の石が写真の様に並んでいますが、明治に大火があり、
宿場町の面影は何も残っていません。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6d/4be91b3154e316922ea584d91094b5c0.jpg)
少し歩くと、右手に上の写真の小さな神社があり、その境内に
「芭蕉句碑」が建ってました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/08/0b6b8b88d0ebce36d1bb022ad7ce788c.jpg)
”野をよこに 馬ひきむけよ ほととぎす”
(何処かで ほととぎすが鳴いている。さあ、聞こえる方に馬を
差し向けて、一緒に聞こうではないか。)
この句碑は、1808年に、鍋掛宿の俳人達によって建てられたそうです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/e1/363529b23901f55289beaddbdf52eeb3.jpg)
その先の写真の「正観寺」(しょうかんじ)には、樹齢250年の枝垂桜が
あり、その横は、蔵造りを模した鍋掛宿消防小屋です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/aa/3c33087f2d635691ab194c50f86acb32.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/b0/f62de0465b90a0c54bb20e67bb3d68df.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b4/52f7bdfbbb23f5de58eaff052bc4a2f8.jpg)
鍋掛宿は、直ぐに那珂川に突き当たり、左にカーブして「昭明橋」を
渡ります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/e9/a5ed8c980156fba881a85d8a99ae5ac4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/3b/1236a563b283ec6a3e5c15b98f26be57.jpg)
昭明橋の手前に、左に入る小道があり、入って行くと、右手に写真の
大きな馬頭観世音碑がありました。
那珂川に架かる「昭明橋」を渡って左折すると、もう次の「越堀宿」に
入って行きます。![](body_run.gif)
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