![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/ec/911deb2cc2e73b67701f832cb825f9f2.jpg)
(写真は、戊辰戦争の際に有名になった傷薬の薬屋の古い看板)
佐久山宿(さくやまじゅく)は、戸数121、人口473人で、うち本陣1、脇本陣1、
旅籠27でした。
佐久山は、1187年、源平合戦の際に弓で活躍した那須与一の兄の那須次郎が、この地に佐久山城を築城して、佐久山氏を名乗ったのが始まりです。![](m_0151.gif)
しかし、同族の福原資孝(すけたか)が佐久山氏を攻め、佐久山城は落城、
佐久山氏は追われました。![](m_0211.gif)
その後、1702年、福原資倍(すけます)が佐久山城を修復、以後、福原氏が、
旗本として明治維新までこの地を支配しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/41/12dd1041546d87b95c4e884ade69de7b.jpg)
佐久山宿の入口の佐久山前坂交差点の脇の長い坂道を下り、佐久山宿の中心の通りに入って行きます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/bf/6453b5042779d664a88eb1ab3b2567be.jpg)
佐久山宿に入って直ぐ左手の民家の立派な門の脇に「運用膏」と書かれた
古い看板があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ef/7a9668c59e9961972b27012f08d2cae4.jpg)
運用膏は、戊辰戦争の際、官軍が傷薬として用いて効き目が絶大だったため、
その後九州などからも注文があった有名な薬屋らしいですが、現在は
営業している気配はありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/68/a19786aa88c9f269475ea81958b654d3.jpg)
上の写真は、安政2年(1855)創業の「小島屋」菓子店です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/5f/ee8385cf6e7b197c00b7760ea19c32f3.jpg)
新旧の家が混じった家並みですが、かっての宿場町の面影はほとんどなく、街道沿いには、空き地が目立ちます。 ![](m_0142.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/74/fb06991ccf91b06504c0d99569702dee.jpg)
上の写真の郵便局の隣の駐車場が、かっての井上勘左衛門「本陣跡」らしい
のですが、説明板すらありません・・・![](m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/e4/27168d7a7cd167d0cb6bcc4c4e024c9b.jpg)
郵便局の手前には、上の写真の「村上英俊翁 生誕之地」の石碑があります。
村上英俊は、ここ佐久山の出身で、日本で初めてのフランス語の辞典を刊行するなど、幕末期から明治期にかけて活躍した学者だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/50/4ec741db3a9dac816658463d580ae100.jpg)
また、郵便局の隣の駐車場の横の空き地には、上の写真の「豊道春海翁 生誕之地」の大きな石碑が建てられています。
豊道春海は、ここ佐久山の出身で、明治から昭和の日本を代表する書家だ
そうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/31/fe8409c1c635827b646163ac9e70d624.jpg)
この石碑のすぐ先の右側に、上の写真の「大田原市消防団」の倉庫があり、
その隣は、壁に那須与一が描かれた公衆便所です。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/df/e74799454832d62c46a75b49e512a7d1.jpg)
ここ佐久山は大田原市ですが、至る所に「那須与一」関連の立て看板などが
あり、大田原市は「那須与一」で地域興しを図ろうとしているみたいです。![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/a3/673078e6040321997b37c7e5726477af.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c1/99752d945c328d0324dbde31a56e4f29.jpg)
消防団の倉庫の前には、「旧奥州道中 佐久山宿 下町」の石柱が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/3c/e23203c43aee12989dd6366d34ee1e7e.jpg)
消防団の建物の前の道標を右折すると、写真の「不動明王を祀った大日堂」が
あります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/e7/23844f8848cfda40e288d6f466648d5b.jpg)
大日堂の裏には、樹齢800年の「佐久山の欅(けやき)」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/5e/4d0ef1ee151d88bb07628c1965887694.jpg)
大日堂から街道に戻り、左手のガソリンスタンドを左折して、佐久山小学校へ
向かいます。![](body_walk.gif) ![](m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/2b/35858270bcbc262cf14d70eb6db8fd5e.jpg)
この小学校の裏山が「佐久山城址」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/ab/0535711a0f04f1c938f9536dc5415cbf.jpg)
佐久山城址は、現在は「御殿山公園」として整備されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/e8/674d3f70b177b29753dad3b4433745cf.jpg)
土塁などの一部が残っているらしいので、公園内をウロウロしましたが、
その遺構へ行く道順の案内板が見当たりませんでした。![](kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/92/ef66fc1105dc56ce0ffcbd95a07828ac.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/68/e0029a8af4547f02eca70e01af00443d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/32/8c50fce73f33fbc969b4ce9c6807ef7b.jpg)
城址から小学校の前に戻り、小学校の手前の石段を上って行くと、写真の
「薬師堂」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a8/3a046300ee8cbd9af7c8e391648db34a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/87/357eb543247c26d9a048a395f1c7dd34.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/8b/78e3d320a0df67fe4a9f75ede9b6e209.jpg)
上の写真の天井の竜の絵は、日光東照宮の鳴き竜を描いた絵師によるもの
という説がありますが、真偽のほどは不明です。![](kuri_3.gif)
佐久山宿の見物を終えて、郵便局の前のバス停へ戻ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c5/329ea710840a3c22e61ea7bf332012f0.jpg)
次のバスまで2時間半あり、次は16:51の最終便です。![](face2_shock_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/ae/134d27774ecd31ec2f013760352bd1c6.jpg)
バスまでの2時間半をどうやって過ごすか?![](kuri_3.gif)
「安心して下さい。ちゃんと調べてますよ!」![](m_0087.gif)
この前の喜連川宿で学習しましたから!![](m_0199.gif)
佐久山宿の入口に、日帰りの温泉があることを調査済みです。![](face2_happy_s.gif)
佐久山宿の中心通りから、長い坂道を、佐久山宿の入口まで戻ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/45/46067df01be8f65031f0a4b1bd6ff8a5.jpg)
佐久山宿の入口の交差点を右折した直ぐ先が、「佐久山温泉 きみのゆ」
という日帰り温泉施設です。![](m_0147.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/8e/5985d930a08212513c7e669d96b34e62.jpg)
直ぐ横は、魚鶴という温泉ホテルで、きみのゆとは同族経営みたいな感じです。
入湯料620円を払って、バスの時間までの2時間を過ごしました。![](m_0199.gif)
源泉かけ流しのアルカリ性単純温泉で、少しヌルッとする程度の優しいお湯です。![](m_0147.gif) ![](m_0139.gif)
大浴場、ジェット浴槽、座湯、サウナの他に、岩造りの露天風呂もあります。![](face2_happy_s.gif)
食堂の料理は、安くてメニューも多く、味もまあまあで、常連客らしき人達で
ほぼ満員です。![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/beers.gif) ![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0241.gif) ![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/8c/266cd48077e1e7584d4c5cec660a10c8.jpg)
館内の売店には、地元の野菜や果物も販売されていました。![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0234.gif)
「佐久山温泉 きみのゆ」を出て、16:51の最終バスに乗り、大田原市役所前で
乗り換えて、JR西那須野駅へ向かいます。![](cars_train.gif)
JR西那須野駅から東北本線に乗り、宇都宮駅で上野東京ラインに乗り換えて、
横浜に帰りました。![](cars_train.gif)
今回は、佐久山宿行きの始発バスに間に合う様に、東京駅から新幹線を
利用します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/38/d3436ee7853cce865a230e633d9cab26.jpg)
早朝に、JR横浜駅から上野東京ラインで東京駅へ行き、東京駅から東北新幹線で那須塩原駅へ向かいます。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/7e/bbe5139e0016e513994a35d326b7965f.jpg)
那須塩原駅前からバスに乗り、大田原市体育館前で、佐久山行きの始発バスに乗り換えて、前回ゴールの佐久山郵便局前に到着しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/69/20ebba85cb59e33a779c8b4b8be902e6.jpg)
横浜(6:58) →(7:28)東京(7:44)→新幹線やまびこ→(8:58)那須塩原
那須塩原駅前(9:15) →大田原市営バス →(9:38)大田原市体育館前(9:40)
→大田原市営バス →(10:00)佐久山郵便局前
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/1b/15e20b49d0b18905b808b537579dbae0.jpg)
前回ゴールの佐久山郵便局前をスタートすると、直ぐに佐久山宿を抜け、街道は右にカーブしながら坂を下ります。![](m_0089.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/8e/a653a61b08328a1a440c7247af3beb7d.jpg)
坂の途中の「正浄寺」には、芭蕉の句碑がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ae/c126cfcfa6966295600266c96b9c230b.jpg)
「花の陰 謡(うたい)に似たる 旅寝哉(たびねかな)」
(吉野の花に行き暮れて、こうして旅寝をしていると、なにやら謡曲の
主人公になったような気分になる。)
この句は芭蕉が吉野で詠んだものですが、この様に、芭蕉の句碑は、全てが
そこで読まれた句という訳ではなくて、後世に、その地域の芭蕉ファンが
好きな句を選んで建てたのも多い様です。![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/f0/1d5071f56d7840c9f8b89caf603a1fbe.jpg)
暫く街道を進み、「箒川(ほうきがわ)」に架かる「岩井橋」を渡ります。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b9/c364cae1be34be970a9a14896e04c65d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/21/c320f12a3ad67b821a8871e5eb123962.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7e/0d3b27c9faac9ef61ea24071f90aabca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/f1/059714bfc368a51a4a138acea1972241.jpg)
岩井橋の直ぐに先の上り坂の左手に、上の写真の馬頭観音らしき石碑群が
ありました。![](m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/e3/7b199d082a3cc0714bd1e9ff202f5043.jpg)
そのあとは、ほぼ直線の道がずっと続きます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/66/4717287130b261943e644bdbea946eb8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/28/3450960bdd0213441fefa2f09e1ba68e.jpg)
やがて、吉沢地区に入り、谷田川を渡る小さな橋を渡ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/66/dea0585c76048dab2d13866210b513aa.jpg)
川の左手の小さな中島に、聖徳太子の碑が立っていますが、この周辺が、
県天然記念物「「イトヨ(糸魚)」の生息地らしいです。![](cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/0f/a829ee513e3aaa6038dbd29d41078140.jpg)
小川を覗いてみると、澄み切った清流に水草が揺らいでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a3/3adae5b21a98a5e4d8c0c1c4b3c4322c.jpg)
残念ながらイトヨは見えませんでしたが、いかにもイトヨの生息地という感じの
湧き水です。![](m_0139.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f2/e59fea4630a1c90a8eb3d0b78902b72d.png)
上の写真は、大田原市のホームページに掲載されていた「イトヨ(糸魚)」の
写真です。![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/93/56433f016548fc27a306a974eedcdf8c.jpg)
旧道は延々続きますが、更に進むと、右手が開けてきて、遠くには山並みが
見えます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/53/97f2a4ee51a3977c3ea1c7925a1ba8e8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4b/d43a206db759c17d55fac02e616fab78.jpg)
やがて「めがみばし」と書かれた橋を渡り、「親園」(ちかぞの)という集落に
入っていきます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/0d/2df7e8823a782587b0c5d92bf7e70b6f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/e5/c98100fd9214fe518e550eb5bc5acbf9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/64/fd77528ab0315b62ff7183e41440910d.jpg)
少し進むと、左手に上の写真の「湯殿神社」があり、その鳥居の手前に
「鞘堂」があって、中には下の写真の「浦蘆(ほろ)」石碑が納められています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/e6/3e5337a42b00b923df184af82abed2d6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b3/183dc3a2c6cf93f21190b8b8795e0508.jpg)
「浦蘆」(ホロ)とは「蜃気楼」のことだそうです。![](m_0151.gif)
1812年、ここ那須野に、兵士の隊列が行進する「蜃気楼」が現れました。![](cat_5.gif)
この蜃気楼を、旅の僧が目撃して記録、のちに、その記録した光景をこの石碑に刻みました。
当時、ここ親園地区は、代官・山口鉄五郎の支配下にありましたが、
鉄五郎は、新田開発等の農村振興に努め、領民から非常に慕われていました。![](m_0140.gif)
この「浦蘆(ほろ)」石碑には、その山口代官の善政を讃える文言が加えられて
いるそうです。
村人は、奥州街道を旅する人にも、広く山口代官の善政を知ってもらおうと、
街道筋にこの石碑を建てたのだそうです。
でも、どの様にして、この蜃気楼の発生と、鉄五郎の善政が結びつくの
でしょうか?![](kuri_3.gif)
インターネットで調べてみると、どうも、中国の書「中庸」の中にある
”政治は蒲慮(蜃気楼)のようなもの”の一文と、鉄五郎の善政を結び付けた
様ですが、漢詩の素養がない私には、この結びつきがよく理解出来ません・・・
![](kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/b5/add5acb54c890f6ed7232d7ec81db01a.jpg)
浦蘆碑の斜め向かいに、代々名主を務めた立派な門構えの「国井宅」が
あります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/d8/312e493d718e51514526bc2c082d42ec.jpg)
門の脇の見事な赤マツには、「与一の里の名木・国井宅の赤マツ」の説明板が
あり、樹齢約200年とあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/21/ad11f5a9fd519e0a475de110fcd7070f.jpg)
その国井宅の門の左手の内側の「祠」の中に、「町初(まちはじめ)碑」が
あります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/2d/59c574ea2c22f8255382fa249e3ee863.jpg)
この石碑は、ここ「八木沢宿」が開かれたのを記念して立てられた碑で、
表に「此町初寛永四年(1627年)卯(ひのえ)」、裏に「国井与左衛門」と
彫られています。![](m_0151.gif)
なお、ここ親園(ちかぞの)にあった「八木沢宿」は「間の宿」(注)でした。
(注)「間の宿」(あいのしゅく): 宿場と宿場との中間に設けられた休憩の
ための宿場で、宿泊は禁じられていました。
旧奥州街道は、町初碑の先からは、大田原宿の入口まで約3キロの直線道路
です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f6/d62daede806e88bdb886dd70f079821a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/7e/e4069eb810506b4d4534ea50bd2244fd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/4a/c98b22fb563b6028737907b89bf99a56.jpg)
やがて、街道は、百村川(もむらがわ)の川べりの道になるので、快適な
ウォーキングです。![](body_walk.gif) ![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/20/9011cdcab8322ab296423b2ce8536d96.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/ac/24ce1ff15055635dc7c1bcbf84da1052.jpg)
![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/15/be28eea07cf63c749430f9b252476560.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/23/9816ee2b7225d97b030065568d988e4b.jpg)
その後、百村川の川べりから離れて、左にカーブすると、大田原の市街地に
入って行きます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e4/f479c7daa1f886b516ebb9bd345fbdeb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a5/1ebcf4e988963a3c916747aec22238d2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/c1/f60f9b6e13aa55fb1c60dbdf995f29e3.jpg)
やがて、「佐久山街道」の道標も見えてきて、そこから1キロくらい進むと、
下の写真の神明町交差点です。![](m_0048.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/f6/e6d9cee983a74a582325529c7db7ab5b.jpg)
この交差点を右折すると、もう大田原宿です。
佐久山宿から大田原宿までは、約7キロです。![](body_walk.gif)
未だ昼過ぎですが、1日5キロの歩行制限を2キロ超えてしまいましたし、
足に少し痛みが出て来たので、本日は早々と街道歩きを切り上げて、
今晩の宿のJR西那須野駅前のビジネスホテルにチェックインして、
バスタブで足を温めます。![](m_0211.gif)
もう既に、大田原の市街地に入ったので、この辺りからのJR西那須野駅行きの
バス便は頻繁にあります。![](cars_train.gif) ![](m_0140.gif)
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