![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/07/b2623b272bd95715da03a143a644eab5.jpg)
(写真は、「武家屋敷跡」の「御用堀」)
「喜連川(きつれがわ)」は、源平合戦で、源氏側に参戦して戦功があった
塩谷五郎が、この地に城を築いたのが始まりです。
江戸時代には、喜連川足利氏(1万石)の城下の宿場町として、本陣1軒、
脇本陣1軒、旅籠19軒がありました。
喜連川藩は、石高は1万石に過ぎませんが、足利尊氏の流れを汲む
「古河公方」の格式を誇り、幕府も参勤交代の義務を免除するなど、普通の
大名とは異なり、別格扱いでした。![](m_0151.gif)
大大名の仙台藩主・伊達氏が、喜連川を通りかかったとき、喜連川藩主が
橋の下で釣りをしていましたが、伊達氏は、頭上を素通り出来ずに、釣りが
終わるまでの長い間、大名行列を止めて待っていたそうです。![](m_0199.gif)
驚き!![](cat_5.gif)
そして、ここの本陣・脇本陣には、奥羽・越後・下野など37もの大名が
宿泊しました。
それにしても、「喜連川宿」の「喜連川」という変わった地名の由来、
気になりますよね? ![](kuri_5.gif)
そもそも、「喜連川」という川は存在しません?![](kuri_3.gif)
足利時代、この辺りの「荒川」の上流は、狐が住んでいたので「狐川」と
呼ばれていました。
しかし、「きつね川」ではあまりパッとしないというので、縁起を担いで、
この町を流れる3つの小川が、”喜んで連なって流れる川”という意味で、
「狐(きつね)」を「喜連(きつれ)」に置き換えたそうです。
従って、元が「きつね川」と発音が濁らないため、「きづれ川」と濁らないで
「きつれ川」と読みます。
なるほどね!![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a0/4698c178514447b15bc30ad17127d4c2.jpg)
その関係でしょうか、「きつねの嫁入り」のイベントのポスターが、宿場町の
随所に貼られています。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/24/880c3c861fbe9ebea2a84d87f4bcf66d.jpg)
喜連川宿の入口に架かる連城橋を渡り、宿場町に入ります。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/ea/5bf8555758aa6ef60fa02e35011129fc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/94/82a66e7c706c29a35a4d9a365e24fbfd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/59/89275a3670f28f2624fcf33cabd26937.jpg)
喜連川宿は、静かな街並みで、何処となく宿場町の雰囲気を残しています。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/56/1363c48630b421ceec511931f38f0946.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/3f/8b58ce0a738851cfdb9e07d592b26c45.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/6c/dee92d5d29310fe3466418c1fd0071ec.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/70/38f2997c58c833a83f95b668f0453639.jpg)
宿場町の街道沿いの左側に、「御用堀」の案内板が出ています。![](kuri_3.gif)
案内板に従って、路地を入って行くと、「武家屋敷跡」の立派な塀に沿って
「御用堀」が続いています。![](cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/77/057e41a5014b6d6e049c1bea8777becd.jpg)
説明板によると、藩主の喜連川氏が、飲料、灌漑、防火用水の目的で堀を作ったもので、当時は、城の中まで通じていたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/fd/bfe9ab79badee9605b342331c4617ced.jpg)
車も通らず、人通りも少ない、落ち着いた雰囲気の古い家が並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/06/4ced64767119ccaaa42fef348cc0268a.jpg)
![](face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/a8/e3860ef99b3d85a81455ffc5748df10c.jpg)
御用堀の水路の中を覗いてみると、大きな鯉が泳いでいました。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/ad/a939cb05220515d8340ec09a72b2dbf5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/7d/8dacdd769ba0732fca8662530857f55c.jpg)
武家屋敷跡を更に奥へと歩いて行くと、右手の細い道の奥の階段の上に、
写真の「喜連川神社」がありました。![](m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/17/1a1d928d0f064411714315605da2c67b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ba/0b6c1587d1a738ef5b87c431c6e3cb0c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/a8/b6a681e8fe2e540deb7441f8b7816de2.jpg)
案内板によると、喜連川神社は、”あばれ御輿”の行事で有名なのだ
そうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/1a/cdd17ca28bf9682cd3ac2786b374e5ef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/41/9f38beaef644d436fba874d3206e4536.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/0b/2f5da6c30f71822659d8c80c177f2f52.jpg)
喜連川神社から、宿場町の通りに戻って、本町の交差点を過ぎると、
右手に、喜連川足利氏の歴代の墓所である「龍光寺」の案内板が出ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/99/aa2c713ad2546fbd83ce13e296d6de6e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/99/220d2d1cb85da1df5996c293d106daee.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/b7/2b41ce4a8a74db5cdbf72bfe04b48251.jpg)
案内板に従って、路地を入って行くと、前方に朱色の山門が見え、山門を
くぐると、正面が龍光寺の本堂です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/06/60723d2b83483cf5f0d4a5c068048e41.jpg)
この寺の創始者は、何と!、足利尊氏だそうです!![](cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/63/c4861e8a18bb57c433b6580233536624.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c5/185e42e4caa46bff184f70462826e994.jpg)
龍光寺の本堂の左手に、喜連川足利氏の歴代の廟所がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/28/00e75a196926c2bf67587276a393f35e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d0/3af9d6ba18426a2b3df34a038ac975a1.jpg)
![](cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/7a/5044fbb856d2049175375f87c230baae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b4/537d0e3ba6cd16d56a891f6fab9538a1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/9b/8e6f7f0827264eaa68cb0861af387750.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/36/a196bb259505421096444fbf311f70b9.jpg)
龍光寺は、代々、喜連川足利氏の菩提寺として、寺領50石で、喜連川藩の
加護を受けたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/b9/2ed69a474cfa82c93aa5db9034c1ec69.jpg)
龍光寺を出て街道に戻り、少し歩くと、「街の駅本陣」の看板が見えました。
ここが、かつての本陣跡みたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f7/a980e39fd8e1a44e296b8ef34da645c0.jpg)
本陣跡には、大正15年に警察署が建てられ、現在は、その警察署は、
現在は上の写真のレストランになっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/df/b4511cba6bc00784d27f2ab9f1c0af58.jpg)
上の写真は、本陣跡の敷地内にある「突抜き井戸」と呼ばれる”自噴井
(じふんせい)”です。
(自噴井:この辺りの地域では、特殊な地層の影響で、地下水に圧力が
かかっているので、井戸を掘ってパイプを差し込むと、地下水が噴水のように
噴き出すのだそうです。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/3c/dbaf8550a048e2730df8fe4373580283.jpg)
写真は、「脇本陣跡」で、明治天皇小休止の石碑と、脇本陣の位置を示す
松が植えられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/85/99deab9b97c756c0a9a4216db311caa0.jpg)
宿場町の街道沿いには、蔵のある立派な建物もあり、落ち着いた雰囲気です。![](m_0139.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/4f/86b0bf19261a95c0ea511f7f7ec90900.jpg)
上の写真の「笹屋」は、創業250年の老舗で、江戸時代には「萬ヤ」(よろずや)
の屋号で呉服商を営んでいました。
蔵造りの建物には江戸時代の名残りが感じられます。![](cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/26/bcf1da1225b784a6aff1e1bc4f9bdcb7.jpg)
未だ、お昼時ですが、整形外科医の指示の「1日5キロ制限」を守るため、
喜連川宿の見物を終わり、早々と喜連川のバス停へ向かいます。![](body_walk.gif)
ここ喜連川本町のバス停から路線バスに乗り、いったんJR氏家駅に出て、JR氏家駅から、今晩の宿を予約しているJR宇都宮へ戻ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/93/42227e7fed43557503397783696f3eed.jpg)
現在、お昼の12:30ですが、JR氏家駅行きのバスの時刻は、
何と!
朝9:46の次は、夕方の17:26です!
えぇ〜?、ウソ〜・・・![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_2.gif)
あと5時間も、何もないこの田舎町で、どうやって過ごせばよいの?![](face2_shock_s.gif)
途方に暮れ、バス停の前に呆然と立ち尽くしてしまいます・・・![](kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/2e/eae9d6bd34af9ce9020a86f3680b9a7c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/41/db877e8440d1898cebe584acc950208f.jpg)
バス停には、上の写真の喜連川宿の観光案内地図があったので、暫くの間
じっと見詰めていました・・・![](kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/62/621f6e8756643536c0605d6e7e47fef1.jpg)
地図をよく見ると、「寒竹囲いの家」の更に先の方に「もとゆ温泉」と書かれて
います。![](kuri_3.gif)
温泉だと、ひょっとしたら日帰り入浴が出来るかも知れない! 、と思い、
取り敢えず、その温泉に行ってみることにしました。![](m_0147.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ba/486f5a53b4a62eff4d47ab5b6c1388a4.jpg)
地図に従って脇道に入ると、下の写真の「寒竹囲い(かんちくがこい)」という
竹の生垣に囲まれた民家がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f5/1c46fb066ea10eb850b3ecdf0d2031a7.jpg)
その説明板によると、喜連川氏の六代藩主が、藩士の家の周りを板塀にすると
お金が掛かるので、経費削減のために、竹(笹)の生垣を奨励したそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/ef/10b82b3265e6c8a84f4fc68d76a1f647.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/6a/50344c7ed85008cfd1b4172afe45818c.jpg)
「寒竹囲いの家」から、立派な武家屋敷風の家を見ながら、更に狭い脇道を、
ずっと歩いて行きます。![](body_walk.gif)
やがて人家がまばらになり、何もなさそうな風景のところまで来ると、その前に
目指す「喜連川もとゆ温泉」の建物がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d7/43a93a15431d928d9144980759d8a37c.jpg)
この温泉は、さくら市の市営みたいで、入浴料300円を払って入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/0b/e31d578e0a4066873d88f912ec7d802a.jpg)
施設は新しくて綺麗で、平日ですが地元のお年寄りで賑わっています。![](m_0147.gif)
温泉のお湯は薄い茶色ですが、風呂場の説明書きによると、この「もとゆ温泉」
は、”美肌の湯”として有名なのだそうです。![](m_0199.gif)
少し熱めのお風呂と、ぬるめのお風呂と、露天風呂の3種類の浴槽が
ありました。
ここで5時間を過ごすつもりで、ぬるめのお風呂に、ゆっくりと浸かります。![](m_0147.gif)
しかし、1時間も入っていたら、湯あたりしそうになったので、食事処へ移って、
盛りそば(400円)を食べます。
![](m_0199.gif) ![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0241.gif)
そのあとは、休憩所の畳の上に横になって一休みしましたが、ここで過ごす
のは3時間が限度でした。![](m_0199.gif)
「もとゆ温泉」を出て、宿場町のメインストリートに戻ります。
温泉で3時間を過ごせたものの、バスの時間まで未だ2時間もあります・・・![](kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/bb/e0c3c11a39ee554a03844a50dd57aec6.jpg)
上の写真の大正時代風のモダンな建物の「観光情報館」に入ってみます。
観光情報館のお姉さんに、時間の潰し方?を相談してみます。![](m_0199.gif)
”街道沿いの史跡は見終えたけれども、この近くで、どこか2時間くらいかけて見物するところはありませんか?”
すると、お姉さんが親切に教えてくれました。
”現在、「喜連川城跡」は、震災修復の工事中で原則立入り禁止ですが、
途中までの見学は可能です。
途中まで行けば、城跡の主要な部分は見学出来ますよ。”![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/96/4415b2f4f8b3b912b9701f089e6bfcce.jpg)
「観光情報館」の展示資料によると、源平合戦で源氏側に参戦し、戦功の
あった塩谷五郎が、喜連川付近に領地を賜り、1186年、喜連川城(当時は
大蔵ヶ崎城)を築いて居城としました。
以降、喜連川城を居城とした塩谷氏の支配は、17代400年にもわたって
続きました。
しかし、戦国時代に入ると、17代・塩谷惟久が、豊臣秀吉による小田原征伐の
際に遅参したとして改易されてしまいました。
そして、秀吉は、塩谷氏の後釜を、室町幕府の将軍家・足利氏にしました。
これは、当時、名門の足利氏が断絶しそうになっていたので、秀吉がこれを
惜しんだためだそうです。
そして、江戸時代に入ると、足利氏の後裔という家柄が徳川家にも重んじられ、
10万石格の格式が与えられて、参勤交代の義務なども免除されます。
足利・喜連川氏の支配は幕末まで続きました。
明治3年、喜連川城は廃城となりますが、城の遺構としては、一の堀、二の堀、
三の堀、四の堀の空堀や土塁などが残されました。
昭和に入り、城跡は「お丸山公園」として整備され、山頂には、高さが
50メートルもある「喜連川スカイタワー」が造られました。
![](cat_5.gif)
しかし、2011年の東日本大震災により、喜連川城跡は壊滅的な被害を受け、
お丸山公園への立ち入りは禁止されました。![](m_0211.gif)
現在も、喜連川城跡の損傷は激しく、復旧に多額の費用を必要とする
スカイタワーなどの施設は復旧の目途がたっていません・・・![](m_0211.gif)
観光情報館のお姉さんにお礼を言って、「喜連川城跡」を目指して、
教えられた通りに、観光情報館の少し先の市役所の駐車場へ向かいます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/0e/666f5ff5b5dc83149c198e8cad6017ef.jpg)
市役所の駐車場の奥に、再建された「喜連川城大手門」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/02/d2cd6e31026c1e5d5183399abaabaad9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f8/6a91a32f4ecad469a445495abb86eee1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/3e/0edca90cd578f718c5682a0fac9f0b12.jpg)
大手門の先に「お丸山公園」と書かれた門があり、お丸山公園の急な道を
上って行くと、山頂の本丸跡と思われるところが広場になっていました。
![](body_walk.gif) ![](m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/5c/267d010d6cae935ebce70693b1eb6e21.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/ec/d05668794655ae6f2fc4130bf815d67c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/14/5104dd2c801c30091c0886afe96ec39f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/25/15a5cb7801a30ba8c7b04d58a4f7770c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/92/f28f61f51d89f07bf80ce2487df61cc4.jpg)
ここからは、喜連川の街並みが良く見渡せ、真下には、先程入浴した下の
写真の「もとゆ温泉」の建物も見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/f8/8ebf13bc26004d00479067860af1e508.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/d8/6b66c93f131fe04686e8e3c95e40a69b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/ff/4184e22d50902ccad5134af4f5ba1159.jpg)
右手の道を進み、朱色の橋を渡りますが、下を覗くと、非常に深くて幅も広い
堀があります。![](cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/b2/324fd8dac207c3ca59be49b272532cc6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/f3/5b19f882c15e7f68384e4c80710cb555.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/6e/b8ecbc787412c4a38c00d883bc9dd852.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/7b/09e961ba747fdc72a371ec134d44f203.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/9e/8ed9340e9ce0d68f702716ce37c27123.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ca/203df6ca1d9a043573a17f7762e3ad4d.jpg)
更に進むと、堀の向こう側に「喜連川スカイタワー」が見えましたが、
ここから先は、工事中で進めないため引き返します。![](m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1d/49ec5ee7cca28351f4d8d435adbf9595.jpg)
喜連川城跡の見物を終わり、喜連川のバス停へ向かいます。![](body_walk.gif)
ようやく、17:26発の路線バスに乗り、いったんJR氏家駅に出て、JR氏家駅
から、今晩の宿を予約しているJR宇都宮へ戻ります。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/0f/55dd517c1f06592b8fa9dfb5c868c701.jpg)
JR宇都宮駅で恒例の餃子(12種類の餃子食べ比べセット:850円)を食べて
から、今晩の宿のビジネスホテルへ向かいました。
(パークプラザ宇都宮:4,480円)![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/03/fc8c2c39482faec686610ccf624f5d44.jpg)
早朝に、宇都宮のビジネスホテルを出て、JR宇都宮駅から東北本線に乗り、
3つ先の氏家駅で下ります。![](cars_train.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/cf/93196f8df0775815aa215e6477521578.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/e5/ea34cf133a1832dec0e624ba871a62a8.jpg)
氏家駅前から、始発の路線バスに乗り、昨日のゴールの喜連川宿のバス停に
着きました。![](cars_red.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/82/305dac55733ecafc29231aeea189ed62.jpg)
喜連川宿は、昨日、隅から隅まで見物したので、直ぐに、宿の北の外れへ
向かいます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c4/ffa048cd021f660ae1896c271d7ac663.jpg)
宿場の外れに、由緒がありそうな立派な門構えの写真の「たかしお薬局」が
ありました。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/8c/aef7f6015a41d037407dc18decc0d2df.jpg)
宿場町を抜けると、三叉路の台町信号に出ます。![](m_0048.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0d/8e870a4f5fac9af12f8029dd3546807b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/5e/81b5c52988678fd7e1f378c9f853731c.jpg)
三叉路の正面の一段高い位置に、1724年建立の「右 奥州街道 左 在郷道」
と刻まれた道標がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a9/32d646fc6451c2d6b57d8d6f321df59d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/55/1bc056b19856524b9f4193cda4ca2329.jpg)
この道標に従い、台町交差点の手前を右折する細い道を下りて行きます。
(写真の赤線矢印)![](m_0089.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/ac/a13f55f0f601e4bba8821f8ca042e954.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/23/417d04a4933152a38927d9ba54747027.jpg)
坂を下った突き当りを左折し、「内川」に架かる「金竜橋」を渡ります。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/2e/96c7e8eb10cb2cc85b7b85bd5c3a42de.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/53/2fbc55148ecf847b2e9b71edb36c77f2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/e2/1d37a07796c5f36fc3dfa14a3a52b457.jpg)
金竜橋を渡ると、旧奥州街道(114号)は、緩やかな上り登り坂となり、
真っ直ぐに北上して、次の佐久山宿へ向かいます。![](body_walk.gif) ![](m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/6f/893ebcde43c8fd15b7eae0bb87492511.jpg)
白沢宿にあった下の写真の説明板によると、今日の喜連川宿から佐久山宿
への歩行距離は5.3キロなので、股関節炎のために、私が整形外科から
課せられている1日5キロの歩行制限にピッタリの行程です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/a7/270cefd48118bfec8fc61ae62fe68c54.jpg)
(19.0キロ ー 13.7キロ = 5.3キロ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/fa/b952a8810096408f0f877ed3b37a0edc.jpg)
旧奥州街道の上り坂の途中の「金鶏神社」を右手に見ながら進むと、
少し先に、下の写真の大きな「双体の道祖神」がありました。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/31/1890fa706d785dd83817c01e6408aa88.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/92/3bb23091d8b8c1eb53d3a9e7fb496126.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1b/cbf2f7d4debda89f9cdfe6bb163f9a5d.jpg)
上り坂が少し緩やかになったころに、菖蒲沢公園の信号機があり、
その左手には、JR東日本が開発した「びゅうフォレスト喜連川」の看板が
あります。![](m_0147.gif)
私は以前から「喜連川」の地名だけは知っていました。![](kuri_3.gif)
それは、私が通勤に利用していた京浜東北線の車内や駅に、長い間
「びゅうフォレスト喜連川」の広告が大々的に掲げられていたからでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/d8/fa3681b4a4d7be733bc623cea503b4f8.jpg)
(現在の横浜・桜木町駅のホームの「びゅうフォレスト喜連川」の巨大な
広告ポスター)
JR東日本が開発した戸建て団地なのに、何故、何年も売れずにしつこく
車内広告を続けるのだろう?、とずっと不思議に思っていました。![](kuri_5.gif)
ここへ来てなるほど!、と納得しました。![](m_0151.gif)
こんなバス路線もない、人家もない様な不便な土地の一戸建てを買う人は
少ないでしょう・・・![](m_0199.gif)
それにしても、最大手のJR東日本が何故こんな辺鄙な土地の開発を?![](kuri_5.gif)
旧奥州街道は、森林の中を進みます・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/48/b3f2bbe500cce24a735f436521af16ad.jpg)
やがて、街道は田園風景に変わり、「JA栃木 米コシヒカリ」の大きな倉庫を
右手に見ながら歩き続けます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/e9/68661d9d965b7e6ecd48c9756501f5d5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/99/5cc28ae578b42c5fe5032b0ae264b7e2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/c5/0f21be2cb36561a3ec35a9b5a145d8cf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/09/e9fa4625c95a5a2aace7f87b5c9d8e8c.jpg)
間もなく、道は一直線に続く広い道路になり、その真っ直ぐな道を延々と
歩いて行きます・・・![](m_0143.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ae/09846cc6c1bbcb400eaca875ee9ea014.jpg)
変だなあ〜?![](kuri_3.gif)
喜連川宿をスタートしてからの時間と歩数からすると、もう5キロを超えており、
とっくに次の佐久山宿に着いているハズなのに?![](kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b6/6097de9ac0ca9a47fd118537a39723fe.jpg)
しかし、行けども行けども、一直線の道が続き、どう見ても、旧奥州街道の
雰囲気ではありません・・・
どう見ても、道を間違えてしまいました。![](face2_shock_s.gif)
しかし、どの分岐点で道を間違えたのか?![](kuri_3.gif)
ここは、電車も路線バスも走っていないし、道を聞く人も歩いていないし・・・![](kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/26/676264540f22e85ab1e7cd1103469204.jpg)
仕方なく、殆ど車も人も通らない道を、次の集落まで延々と歩いて行きます。![](m_0211.gif)
![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/a1/636ab4eaa70f80abbf2d6d983bf54777.jpg)
かなりの距離を歩いて行くと、やがて小さな集落に入り、下河戸駐在所の
建物の先の丁字路に、「直進 25号線 矢板、右折 114号線 大田原」の標識
が見えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/5c/b56763128231a5d0078c64e9ca11611c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/1e/33ba8c0d138735e223b5ab56e3f0d38e.jpg)
右折する道の先の方を眺めると、右側に大きな道祖神が見えます![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/f4/04200c79577fa4de273e5767fa8f7c53.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/85/ad905eb3b678d20864c0b3f23e6f862f.jpg)
道端に道祖神が立っているということは、右折する道は、旧奥州街道の
可能性が大です!
やった!!![](m_0087.gif) ![](face2_happy_s.gif)
てっきり道を間違えたと思いながらずっと歩いて来ましたが、どうも正しい道を
歩いていたみたいです。
足を痛めているだけに、来た道を引き返さずに済んで、結果オーライで嬉しい
です!![](face2_happy_s.gif)
大きな「道祖神」の後ろには「天皇御小休之際御膳水」碑が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/00/e195aa78e81471ae3192835911183784.jpg)
道祖神を過ぎると、建物もまばらになり、やがて旧奥州街道は下り坂に
なります。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/1b/ae63f076d70c238411c585f30f3a43ae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/47/0e3ae14faeefad77b711b1cfc8d2b88f.jpg)
街道の脇には、「源氏ぼたるの里」の看板があるので、多分、この辺りは
ホタルで有名なのでしょう。![](m_0151.gif)
それにしても、もうとっくに5キロは歩いているのに、次の佐久山宿へ入る
気配は全くありません・・・![](kuri_3.gif)
あの白沢宿にあった、喜連川宿から佐久山宿への距離表示の説明板は
何だったのだろう?![](kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/dc/a54862db8ca8298179fa8dcbcdbbe3f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/3c/0c45fe947171943aad7060c0c7ba577a.jpg)
更に進んで行くと、右手に「きつれ川幼稚園」と「老人ホーム」があり、
そこに「明治天皇御休輦之處」碑が建っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f4/979e215df70caa5e3716caf0c8675126.jpg)
![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/aa/fbe492a7fa5a2231169d8f2876ff80b7.jpg)
そして、更に、田園風景の中を延々と歩いて行くと、さくら市と大田原市の
境の看板があり、その更に先に、写真の「与一の里の名木」の説明板が
ありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/43/8780d2293787b9c212f08f55f3acd52e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/de/2e06594c612efcb79a04d7e76e3c4808.jpg)
その説明板によると、ここは、高久宅の樹高5メートルのツツジ群で、
推定樹齢200年だそうです。
大田原市は、源平合戦で、弓で活躍した那須与一の出身地です。![](m_0151.gif)
そして、その先も「48号線 大田原市街」への標識に従い、延々と歩いて
行きます。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/87/e37494e173427a55086bad513080db08.jpg)
その標識に従い、丁字路で左折すると、ようやく佐久山宿の入口の佐久山
前坂の交差点に着きました。![](m_0200.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/bd/017b26e6927d8556fd8477c9f50dda58.jpg)
交差点の角に和菓子の松月があり、その和菓子屋の右側の長い坂道を
下ると、ようやく佐久山宿の中心の通りです。![](m_0089.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/f5/20fa11f48e1022cee3ca2fa42a100064.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/f9/8ee84ef9d3b0d3a3034ed859881774b2.jpg)
喜連川宿から佐久山宿までは、約12キロです。![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/53/7d5e68344a9e87a06bbf4534531093ea.jpg)
当初は1日5キロ制限に収まる距離だと勘違い!、結果的には制限の
倍以上の12キロもありましたが、足の痛みが再発しなかったのは幸いでした。![](m_0199.gif)
それにしても、白沢宿にあった下の写真の喜連川宿から佐久山宿への
宿場間の距離表示板は、いったい何だったのでしょうか?![](kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/46/7e1abea410bf18e5b26a44801ac9ef59.jpg)
ps.
上記の白沢宿の距離表示道標については、hide-sanさんから、下記の
コメントがありました。
「道標の佐久山宿まで 6里12町 − 3里18町 = 約3里(12キロ)
の方を利用すれば良かったですね。
こうした間違いに気付かなかったのを不運と諦めることですね。
時々、道標や案内が間違っていることがあります。」
hide-sanさん、ご指摘ありがとうございました。
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