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34-2:奈良井・鳥居峠



(写真は、鳥居峠の熊避けの鐘)

奈良井宿から次の薮原宿へ向かう中山道は、標高1197mの難所である鳥居峠を越えなければなりません。

翌朝、「民宿しまだ」の朝食は、横浜のKさんと2人です。

民宿の女将さんは、朝食後に、宿で出す山菜を採りに鳥居峠へ行くとのこと。

またKさんも、朝食後に鳥居峠越えの予定です。

そこで、Kさん、女将さんと鳥居峠の頂上までご一緒することになりました。

これで、鳥居峠も道に迷う心配もなく一安心です!

3人で宿を出て、鳥居峠を目指して、奈良井宿の端へ向います。

宿の南の端に、昭和48年に復元された写真の
高札場がありました。



高札場の横には、水場が設けられています。

旅人の渇きを癒したのでしょう。

高札場の隣は、「
鎮(しずめ)神社」です。



奈良井宿に疫病が発生したときに、それを鎮めるため、1664年に
本殿が建てられたそうです。



鎮(しずめ)神社の先に、右側に登る階段がありますが、これが鳥居峠へ向う旧中山道の上り口です。





階段を上がって草道を歩くと、中山道は一度広いアスファルト道路に出ますが、また少し歩くと、右手に「中山道・石畳道」の入口の表示があり、ここから本格的な鳥居峠を越えが始まります。





石畳の道の上り坂が終わると、写真の様に、小さな沢を横切る橋が次々と続く上り道です。











しばらく登ると、左手に、上の写真の展望台があり、上がってみましたが、周りを木々に囲まれ、見晴しは余りききません。







展望台から先は緩やかな下り坂で、暫らく歩くと休憩所のような小屋が見えて来ました。



その小屋が
「中の茶屋」跡でした。



中の茶屋跡の先も、沢に架かる木橋を次々に渡ります。

















女将さんは山菜を採りながら、私はブログの写真を撮りながらなので、3人で抜きつ抜かれつで進みます。


最後の長い急坂を、一気に上り詰めると、、写真の
「峰の茶屋」がありました。



英泉が奈良井宿と題して描いたといわれる茶屋です。



茶屋の後ろは、展望が開けていて、ここからは、
奈良井宿が良く見えます。



茶屋の横には、水量豊かな水場がありました。

峰の茶屋の前の道を少し進むと、村界の標識があり、ここに標高1197mの表示があるので、多分、ここが鳥居峠なのでしょう。

鳥居峠は、木曽川と、信濃川の上流である奈良井川の分水嶺をなしています。

奈良井駅から約3.6キロ、薮原駅から約3.0キロの距離です。

峠の頂上からは御嶽山や駒ケ岳が見えるハズです。



木曽の領主・木曽義元が、松本の小笠原と戦った時、この頂上から御嶽山を拝して戦勝を祈願しました。

そして、
戦勝したので、ここに鳥居を建立しました。

これが
「鳥居峠」の由来です。

私も、ここで、御嶽山の方角に向かって拝礼します。

(私が拝んだのは、噴火のちょうど1週間前でした・・・)

この村界の標識を少し下ると、道は3本に分かれますが、中山道は、栃の木が群生している真ん中の道を進みます。



ここで、Kさん、女将さんとはお別れです。

私は、遅れて、ブログ用の写真を撮りながら、ゆっくりと進みます。

栃の木が群生する道の入口には、写真の
「熊除けの鈴」が!!



”熊も人が怖いので鐘で知らせてあげましょう、

 と書かれています・・・



心配性の私も怖いので、何度も思い切り鐘を打ち鳴らします。

その先には、栃の木の群生地があり、木祖村の天然記念物「
鳥居峠のトチノキ群」の碑がありました。



そのトチノキ群の中に、「
子産の栃」という大木がありました。




昔、この大木の穴に捨て子があったので、村人がこの捨て子を育てたところ、幸福になったことから、この木の実を煎じて飲むと子宝に恵まれる、と言われているそうです。

少し歩くとまた、同じ「
熊除けの鐘」の看板がありました。







カンカンカン、かなり大きな音が周囲に鳴り響きます。

注意喚起の看板だけではなくて、鐘まで設置しているのは中山道でも鳥居峠だけです。

鳥居峠は、そんなに熊が良く出るのでしょうか?

さらに進むと、やがて右手に鳥居があり、その上が「
御嶽山遥拝所」となっていますが、立入禁止の表示があります。

仕方なく、更に下ってゆくと、右側に写真の「
義仲硯水」がありました。



木曽義仲が平家打倒のため旗揚げして、北国へ攻め上がるときに、戦勝祈願の願書をしたためるのに使った水だそうです。

義仲硯水から少し下ったところに、丸山公園があり、公園には多数の石塔が立っていましたが、その中に下記の「芭蕉句碑」もありました。

松尾芭蕉の句碑


”木曽の栃(とち) うき世の人の 土産かな”


(木祖村史跡鳥居峠の石碑)



中央が「信濃十名所鳥居峠」の碑で、右が ”雲雀より うへにやすらう嶺(とうげ)かな”の芭蕉の句碑です。 



英泉の浮世絵「藪原 鳥居峠 硯(すずり)ノ清水」では、遠景に
御嶽山、左端は、”雲雀より うへにやすらう 嶺(とうげ)かな”
芭蕉の句碑です。
 
そして、芭蕉の句碑の下に、ちょっと見辛いですが、
硯ノ清水が描かれています。



上の写真の「鳥居峠古戦場の碑」には、戦国時代木曽氏が甲斐の武田軍を迎え撃った様子が書かれているそうです。

この先は、つづら折りの下り坂を、一気に下ってゆきます。












すると、もう一カ所同じように鐘が置いてある場所があったので、もう一度ここでも鐘を打ち鳴らします。





鐘は、驚くほどの大きさで山にこだまします。

私は、碓氷峠、和田峠で使用した熊除けの鈴を持って来ましたが、今回は特に持ってきて良かったと思いました。







更に、最後の石畳の坂を下ってゆくと、やがてアスファルト道路と交差、その右手の消防署の前にトイレが!



歳をとると近くなるので助かります!

その交差点を直進すると、まもなく薮原宿です。

鳥居峠では、土曜日ということもあり、下り坂では、20人くらいの登りの人とすれ違いましたが、そのうち半分くらいは外国人でした。

鳥居峠は、中山道三大難所の一つに数えられていますが、碓氷峠や和田峠に比べると距離も短く、難所というほどのことはありませんでした。

むしろ、晴天に恵まれて、
森林浴を楽しむ快適なハイキングでした。



BS東京テレビ「街道歩きの旅・中山道」では、上の写真の様に、普段は全く歩かない”ぶりっ子アイドル”の「さとう珠緒」でさえ鳥居峠を超えて行きましたから、これから中山道を歩こうという皆さんも心配には及びませんよ。



奈良井宿から薮原宿までは、約5キロです。
34-1:奈良井・宿場町へ

35:藪原

                  
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