![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/cc/0aee31aadeabe618558701bb762ebd74.jpg)
(写真は、日光名物”日光みその「たまり漬け」”)
早朝に、JR横浜駅から、上野東京ラインで、JR宇都宮駅へ向かいます。![](cars_train.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/17/cd545a732559ef405ce1071d671b5123.jpg)
JR宇都宮駅で、JR日光線に乗り換えて、上の写真のJR今市駅で下車します。
前回のゴールだったJR今市駅の近くの「追分地蔵」へ向かいます。![](body_walk.gif)
「今市宿」は、1868年の「戊辰戦争」の兵火により町並みのほとんどが焼失してしまい、
江戸時代の宿場町の雰囲気は何も残っていません・・・![](m_0211.gif)
「日光街道」は、「追分地蔵」のあるここ「追分」で、「例幣使街道」と合流します。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/69/2a13748603e05dee01651be6cb2c4ea9.jpg)
(追分地蔵は赤丸印、日光街道は赤色線、例幣使街道は水色線、国道119号は黄色線、
日光街道の杉並木は上の2本の茶色線)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/e0/67b4b790c6b61159ff5c2676a29cfe20.jpg)
「例幣使街道」は、朝廷の勅使が日光社参するための街道で、中山道の倉賀野宿が起点で、
この追分が終点です。
![アーネスト サトウ](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51J4J25X4AL._SL160_.jpg) |
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幕末の英国外交官だったアーネスト・サトウは、著書「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫:上下各840円)の中で、「例幣使」について以下の様に書いています。
例幣使の家来達は、僅かな権威を笠に、自分達に敬意を払わなかったという
口実で、金銭を強要するのが常だった。
例えば、品川宿で、敬意の表し方が足りぬと、18人の人々を捕らえて
罰金を科した。![](ari_2.gif)
例幣使は地位が高く、大名すら駕籠からおりて土下座しなければならず、
庶民はもちろん、下級武士ですら例幣使の通る道筋を避けていた。
その様な状況下、アーネスト・サトウに、警護の侍が、「この先で、”野蛮人ども
(例幣使一行のこと)”に遭遇するかも知れません」と警告します。![](face2_shock_s.gif)
すると、その夜、宿場の宿屋に、例幣使の家来が、”毛唐を出せ!”と叫んで
乱入し、アーネスト・サトウを切ろうとしますが、警護の侍に撃退されます。![](m_0200.gif)
この撃退劇を聞いた宿場町の人々は、手を叩いて喜びました。 ![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hakushu.gif)
例幣使が如何に人々に嫌われていたか、よく分かります。
その後、この英国外交官の殺人未遂事件について、幕府は、英国大使からの
強硬なクレームに対処せざるを得なくなり、この例幣使の家来を死刑に処する
決定をします。
![](cat_5.gif)
サトウは、処刑に立会って確認するかと幕府から聞かれますが、その必要は
ない、幕府を信用している、と処刑の立会いを断ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/a9/ab9f6732593e47c61eb8ca864efc4ac9.jpg)
例幣使街道との追分には、写真の「追分地蔵」が祀られています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/54/7d70c300b3dd6d1d714de5d6894e5fd0.jpg)
追分地蔵は高さが2メートルもあり、石のお地蔵様では関東一の大きさです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/51/0479bf2d000751d9302a01a018eea9f6.jpg)
この地蔵は、元々は東照宮の付近に祀られていたのですが、大洪水で、
今市まで流されて、半分埋もれていました。![](m_0228.gif)
石工が、地蔵の肩を叩いたところ血を流したので、彫り出して今市の如来寺に
祀りました。
しかし、毎晩夜泣きしたため、故郷を見渡せる現在の場所に移したところ
泣き止んだそうです。
![](cat_5.gif)
この追分の少し先で、街道を右折して、細い道に入り、「二宮尊徳」を祀る
「報徳二宮神社」を参拝しました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/77/91e67f370cfef65a525b33de3e458d05.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/d7/7b11694961e77e1152f50df7fa4b61a9.jpg)
徳次郎宿で説明しました様に、二宮尊徳は、小田原藩で財政再建に手腕を
振るいました。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/3f/f5301619f964f81ad28469af2f67d6de.jpg)
更に、その後、諸国の農村を再興させたことにより、老中・水野忠邦に
認められて幕臣となり、1852年に日光神領であったこの地に赴任しています。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/b0/817530f9ac3f69df368e54df2ee0b585.jpg)
そして、日光での農村復興のため力を尽くしましたが、1856年、ここ今市宿で70歳でその生涯を閉じました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/4d/7f95a915fd3cfab53313cce4dc36d775.jpg)
尊徳は、”墓石は建てるな”との遺言を残しましたが、尊徳を慕う人達によって、
境内に上の写真の「二宮尊徳の墓石」が建てられました。
報徳二宮神社に隣接して、日光社参時に将軍が休息した下の写真の
「如来寺」があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/2c/ea052495e571b0f8646461139c87a0c7.jpg)
また、如来寺は、先程説明しました様に、日光から洪水で流されて来た
追分地蔵が最初に祀られた寺でもあります。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/63/57e7a64e20735a3796f0459961cb7934.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/b6/9f1f3ca6c8627be87800116c4c335741.jpg)
上の写真は、街道沿いの「今市宿市縁ひろば」です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/2c/79a17fbdfb1471d865d29750f399f663.jpg)
この広場には、食堂や、日光市観光協会の観光案内所などがあり、土産物も
販売しています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/be/11fcd607a9dba866c7b4b6c07e0e2b33.jpg)
お昼過ぎだったので、ここで「日光ゆば蕎麦」(1,250円)を食べました。![](m_0140.gif) ![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0241.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/e9/884cb50e3344ca066a8e79e01550421c.jpg)
上の写真は、街道沿いに設置されている「いまいちの水」で、”ご自由に
お飲みください”とあります。
”今市の水は美味しい”と言われ、この様に数カ所に水が飲める場所があります。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/71/8d5c65983bd2ca63a676f20ff35145d6.jpg)
いまいちの水の先の左手に、大きな杉の玉を下げた1842年創業の上の写真の
「渡邊佐平商店」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/dd/545c2d6bcfc65f2aea8b6d2d6404312a.jpg)
上の写真は、街道沿いの名物”日光みそのたまり漬け”を売る「上澤梅太郎商店」です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/d2/c3ff4375cda898f445358e60b288ebb1.jpg)
私はこの店で、お土産に写真のたまり漬けの詰め合わせを買いました。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/9a/be4e76704292a4ad9997316ffa2429d1.jpg)
上の写真は脇本陣跡で、玄関の前に、フクロウの上に猫が乗っている像が
立っています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/18/f7a7faf2dc44560b589c379dfc71d94b.jpg)
更に街道を歩いて行くと、宿場町の外れに、今市宿の総鎮守の「瀧尾神社」が
あり、江戸時代には、ここに今市宿の出口の木戸がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/b8/e22e11ab2338bd9f18733b823d4bdb8b.jpg)
瀧尾神社は風車を祀る神社でもあり、写真の様に、奉納された風車が並べられています。
瀧尾神社の辺りから、日光街道の最後の宿場町である「鉢石(はついし)宿」へ
向けて、再び、長〜い杉並木が始まります。
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c6/9cd5d8845b1e396cef459231eb931259.jpg)
上の写真は、今市宿の外れの杉並木の入口で、左端は杉並木と並行して走る
国道119号です。![](cars_red.gif)
ここから、杉並木と東武日光線の間に挟まれた「杉並木公園」が、1キロに
わたって続きます。![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0230.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/43/85ae9ba195a5f8abf6af57dcccf6be51.jpg)
「杉並木公園」の道の横に沿って、とても綺麗な小川が流れています。![](m_0139.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/e0/c4a1f49b01287eaafda30a2c100ef23e.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/a6/5e2f5855cb53b83f9dd72b9342657b93.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/16/2b92c74c24e216f226fe9404f6644cb5.jpg)
公園の入口近くには、上の写真の「朝鮮通信使 今市客館跡」の碑がありました。
朝鮮通信使の日光社参の際に接待するために、ここに館を設けたのだそうです。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/d4/7d33edb7e58bb441692ca8e3b73f2454.jpg)
更にその奥には、「大水車」や、そば粉を挽くための「水車小屋」もありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/51/fcdb8c8a2318358e45ea8d8d2b82d1cc.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/f3/6d8cd518779c19a125ec6abc6b0a1c41.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/e9/b8154aecf5f3f05c9c6d2e197d5cd10a.jpg)
「杉並木公園」の左側には、写真の杉並木が続きます。![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c2/c587bd0abc189d9ec84caaa19e8b4ca8.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/22/34d201b847cce63a94fbc93c7c69d154.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/d2/f4971f30935a630616d9c98ac76dde02.jpg)
そして、公園の更に奥には、上の写真の名主の家(旧江連家)が復元されて
いました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/68/33b10b9ac9729c262a581c1574a4e9d7.jpg)
杉並木公園が終わると、瀬川村に入ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/6b/245722c4e766eaa457d8fc54be2e37cb.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/4f/d0a85bf1311d831779249b63f2d167e0.jpg)
瀬川の集落を抜けると、左手に、写真の「瀬川の大日堂」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/30/4ae9947307311ef80de74c232f24f56b.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/6a/1a17a04a12bf302171a5248b4b6b54da.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5f/c9671a43daf4a1cf45cdd4603c66cc84.jpg)
ここでは、信仰の厚い村人によって、念仏供養や庚申が盛んに行われた
そうです。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/cc/f0908a19b08747d8b79d2d3c5e1843bb.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/21/b6edd0646c52ddf19db5d187b61f894e.jpg)
日光街道は、行けども行けども巨木の杉並木で、荘厳さに圧倒されます!![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/27/9b400a721a473d3594c549360467295d.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/45/a9d523870269a734d0864ccf5ab610bc.jpg)
更に、杉並木を歩いて行くと、右手に「砲弾打込杉」の案内板がありました。![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/61/0aee26deb0107eaf59231dbc32362bc8.jpg)
戊辰戦争のときに、日光へ退却する大鳥圭介率いる幕府軍と、この地まで
追撃して来た谷干城率いる官軍とが、この地で熾烈な戦闘を展開しました。![](etc_fire.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/a8/d791250b2da4f5d259821f0163f751a7.jpg)
この激戦の際に、官軍の砲弾が当たった跡が杉に残っています。![](face2_shock_s.gif)
更に、美しい杉並木が続きます。![](m_0139.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/13/cd8df4bf728856f0b0a6008e24692234.jpg)
所々に、車の通行ができる区間もありますが、ほとんどが歩行者専用で
安心して歩くことができます。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/16/6a71b13205c93eef2e69dad475015c2f.jpg)
やがて、右手に、写真の「野口の薬師堂」がありました。![](m_0139.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/84/97313e8511e6661e6db043ef0f6edd33.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/77/2415c5910764035f9c1351084ad4a355.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/b4/2602f24861234ebd6855fc117e34cc7b.jpg)
![](cat_4.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/fa/003a78b507b1793c1ec47879d6643ab4.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/5b/21ee01bae001cd17c655d967a95793b5.jpg)
ここは、竜蔵寺跡の薬師堂で、上の写真の大きな石の釣鐘が地面に
置いてありますが、これは、奉納されたときに龍頭が壊れてしまったために、
現在まで放置されたままになっているそうです。
![](cat_5.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/89/d5eade4875eac98b737734005da3ef90.jpg)
上の写真は、ここ七里村の総鎮守の「生岡(いくおか)神社」と生岡大日如来の
道標で、生岡神社はここから奥に入ったところにあります。
やがて、日光街道は、国道119号線に合流すると、車の量が多くなる上に、
歩道は狭くて歩きにくくなります。![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/44/fa09b9e9620a2a39c014944cf988b894.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/c3/a1e34b1cad47d7ded71db042bf8bb321.jpg)
間もなく、右手に、杉並木の中で、一番大きくて姿が美しい、と言われる
「並木太郎」がありました。![](face2_happy_s.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/8d/3cd10c860cdc98f88a05aae4f6056938.jpg)
胴囲5メートル余り、高さ38メートルの巨杉ですが、これまでに見て来た
他の杉も巨木なので、飛び抜けて大きい、という印象は受けません。![](kuri_5.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/5e/4763d8eafd4cdda5a27521dc109c4627.jpg)
並木太郎から杉並木を暫く歩くと、写真の「明治天皇七里御小休所跡碑」が
ありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/e3/c7afd580dcecca3c9ec40820a244b4a9.jpg)
明治9年の東北巡幸の帰途の小休所だそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/5f/536af5726eb6954ae6fea4ec7c06d056.jpg)
更に、国道119号線を進んで行くと、日光連山と東武鉄道の線路が見えてきます。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7e/69bc99ec592b7f6de1b188339ca23d3c.jpg)
JR日光線のガードをくぐり、再び杉並木の歩道に入ると、間もなく、下の写真の
JR日光駅に到着しました。![](m_0087.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d7/40b9993ad2b29218a30138c10aebc585.jpg)
JR日光駅の先には、東武日光駅があります。![](cars_train.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/1e/3473fcd57930530efce0b5353cbab610.jpg)
東武日光駅の前に広場があり、ここが次の「鉢石(はついし)宿」の木戸跡です。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/e2/71d29fc779484b3259ef53d76ddf45da.jpg)
今晩は、JR日光駅の前の下の写真の「日光ステーションホテルクラシック 」に
宿泊します。(1泊2食付き:16,500円)![](cat_4.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/09/7b9e71356ad380e01309840e0df4dd7b.jpg)
この日光街道踏破を通して唯一の宿泊です。![](m_0087.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4b/1775fab23d9cd17c48f9242017cbf156.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/27/b2ff34512abc59f04a1d624b753fc41f.jpg)
![](face2_happy_s.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b9/381d60a3ad331aee7cd6af0ce9b3539b.jpg)
このホテルで、今晩、日光街道踏破の 前祝い をしてから、明日、最後の
宿場の「鉢石宿」と「日光東照宮」を見物する予定です。![](m_0140.gif)
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