![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/31/9067a6639463c47a59bbd34facf66b84.jpg)
(写真は、「うらない地蔵」)
日光街道の18番目の宿場町「徳次郎(とくじら)」に入りました。![](body_walk.gif)
ちなみに、徳次郎の交差点の信号は、「とくじら」ではなくて、「とくじろう」に
なっていました。![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d9/74a73af57176959ba8e873202b1354ee.jpg)
どうも行政上は「とくじろう」になっているらしいのですが、一般的に昔から
読み方は「とくじら」に統一されており、地元の人は実際には「とくじら」と
読んでいるらしいです。
![](kuri_5.gif)
そして、日光宇都宮道路の徳次郎インターチェンジの看板は、ずっと
「とくじら」でしたが、最近になって「とくじろう」に変更されたらしいです。
![](kuri_5.gif)
「徳次郎」の地名は、この地に居城を構えていた宇都宮氏の家臣の
「新田(にった)徳次郎」に由来するそうです。![](m_0151.gif)
徳次郎宿も、日光街道の”地名ルール”の通りに、日光に近い方から順に、
上徳次郎宿、中徳次郎宿、下徳次郎宿の順に並んでいます。![](m_0140.gif)
徳次郎宿は、この三宿で一宿を形成し、問屋場は各宿にありました。
そして、宿場町としての人馬継立の業務を、月の上旬を中徳次郎宿、
中旬を上徳次郎宿、下旬を下徳次郎宿が各々務めたそうです。![](m_0151.gif)
江戸時代には、「下徳次郎」バス停の辺りから、下徳次郎宿の町並みが、
中徳次郎宿へとずっと続いていたそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/80/3142480aca73e2ee5d674ea7200e5213.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/36/848d0df8f1198c8d776829d2f51d9f66.jpg)
しかし、現在は、本陣や問屋場などの宿場町の痕跡は何も無く、大谷石の
家や蔵が点在する程度です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/de/af523378598ea835e6ac46bebfb1a341.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/dd/dd6c5c55f5ceecea0d3fa2be37f2d4b4.jpg)
下徳次郎バス停の先の左手に、上の写真の「薬師堂」の門があり、その奥に
「薬師堂」の本堂と「薬師堂の石仏」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/a7/3caf5e98f43284f414c1814d44a844ac.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/1a/877807ff926f65808887e4e4f7fd30f2.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/da/9e172169896f47f664ba1e8b0e4d85e6.jpg)
「薬師堂の石仏」は3体あり、上の写真は、1731年に造られた宝塔造りの
「六面憧(どう)六地蔵」です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/fe/a61ebf6b7be20497253ce455aaa336f2.jpg)
上の写真は、「十九夜塔」で、正面上部に「如意輪観音」が彫られています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/3f/9024ab5840c23fd0f2e2a8dd92c7dd35.jpg)
上の写真は「馬頭観音」で、側面には「右 山道 左 氏家・白沢道」
(縦の赤線部分)と刻まれ道標を兼ねていたそうです。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/be/1c9fa58368496bb0ab9d53853ef6fa81.jpg)
薬師堂の道路向いに、「徳次郎城跡」の看板があったので、矢印に従って、
鬱蒼とした寂しい林の中へ入って行きます。![](m_0200.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/09/7bfd24eac1d930740f77995f8ce6f551.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/92/0e9963819eaa78e8e338500806f64fa5.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/91/3d54ee41d8a16469b9851d1e7f3f2482.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/26/75c23c708690cde130a3f31025441092.jpg)
「徳次郎城」は、宇都宮城の北方の守りとして築城され、宇都宮氏の
家臣・新田徳次郎の居城でしたが、1597年の宇都宮家の滅亡と共に
廃城になりました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/0c/370eadb32915853515bcc670bb09addf.jpg)
現在は、内堀・外堀とそれに伴う土塁が残っています。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/26/3ae3f8252db041435d5c8227a5da1338.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d1/9cea9a6972e857a7c0063fe52d26c4ac.jpg)
徳次郎城跡から、旧日光街道に戻り、冨屋小学校を右手に見ながら進み、
中徳次郎バス停、徳次郎交差点を過ぎると、写真の「智賀都(ちかつ)神社」
がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c9/8dec57a360c734134eb4d13b174ac34d.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/29/36855a16f484ec2354ad6a0948c1a6dd.jpg)
この神社は、778年に、日光三社の分霊を勧請したもので、徳次郎の鎮守です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/19/e6fcf3654954afe5be6209ebc9fe6213.jpg)
入口の2本の大欅は、樹齢700年の「長寿の夫婦ケヤキ」で、県の
天然記念物です。![](m_0140.gif)
ここで夕方になったので、智賀都神社の近くの中徳次郎バス停から、
路線バスでJR宇都宮駅へ向かいます。![](cars_train.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/10/484514f6b14eb5690a341edf8b051e03.jpg)
JR宇都宮駅に到着。![](cars_train.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f2/eb956e9795da2e7257e702b0b7111b40.jpg)
JR宇都宮駅で有名なのは、駅のコンコースにある上の写真の「餃子の像」です。![](m_0199.gif)
以前にJR宇都宮駅に来たときには、この像は、バス停の端の分かりづらい
場所にありましたが、現在は、上の写真の目立つ場所に引っ越ししています。
(昔の「餃子の像」については、(2013/1の「JR烏山線の沿線散策」)を
見てね。)
この”餃子の像の引っ越し”の際に、委託を受けた業者がクレーンで像を持ち上げようとして、地面に落としてしまい、
餃子の像は真っ二つに割れてしまいました!!
![](face2_shock_s.gif)
当時のTVニュース等で、「この”宇都宮の聖体(?)”が真っ二つに
割れるという不吉な事件で、これから先、宇都宮にどんな災いが
起こるのだろうか?」と大きな話題になりました。
![](kuri_5.gif)
私はと言えば、このところ、宇都宮餃子にすっかりハマってしまい、帰りの
宇都宮駅での餃子とビールを楽しみに、日光街道を歩く様になって
しまいました・・・![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/drink_glassbeer.gif)
今回も、帰りの電車の待ち時間を利用して、JR宇都宮駅の構内の
餃子屋に入ります。
![](face2_happy_s.gif)
やはり、本場の餃子は、大きくて、香りも良くて、ジューシーで美味しい!![](m_0139.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/3f/8a034aa20454a2b070ea4306cc20d25e.jpg)
写真のW餃子(12個550円)を満喫出来て大満足でした。![](m_0087.gif)
早朝に、JR横浜駅から、上野東京ラインで、JR宇都宮駅へ向かいます。![](cars_train.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/df/eb155e3046bf0561fc67e433ee62f2c1.jpg)
JR宇都宮駅の前のバス停から、路線バスに乗って、前回のゴールだった
「中徳次郎」(なかとくじら)へ向かいます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/c0/e1981647f1ae691238a848076f19f836.jpg)
前回は、ここ中徳次郎バス停の近くの「智賀都(ちかつ)神社」を参拝しました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/35/18a6c3525dc81193db32fe4438d0e088.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/79/3f7e129788223a702221229364addaa3.jpg)
智賀都神社を通り過ぎて、次に、街道の両側に民家が並ぶ「上徳次郎」
(かみとくじら)の狭くて歩きにくい歩道を進んで行きます。![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/fa/d8c38fce10eec3f3e19db0a3e08ac8b5.jpg)
1軒の民家の表札を見ると館野とあります。
案内本によると、この辺りが館野本陣の跡となっているので、この家に
お住まいの方は館野本陣のご子孫かも知れません。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/78/40fc5acc7190a151277d14e3610c0778.jpg)
やがて、上徳次郎宿の町並みの外れに「上徳次郎」バス停がありますが、
この辺りまでが「徳次郎宿」でした。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/a8/22d8694fa042d46af3a9ae810dfc9704.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/d2/11adf0e2d1e4eb04edfc9c959d70e62c.jpg)
徳次郎宿を抜けると、やがて車道よりも一段高い歩道が続きます。![](body_walk.gif)
その歩道上に、1840年に建てられたという「十九夜塔」の観音の石仏が
ありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/64/4664afcdb7573b1b10fc82c393472069.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/cb/bff8673f57bd3db0bcfd5029407f7750.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a7/b660d28e5252ab507ff7b169e3c4bd72.jpg)
そして、十九夜塔の道路向いに、「石那田の一里塚」の碑が見えました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/06/a0b8bc8f18a0a48ab079d0b58df35d2b.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b8/e30662cb9dfca5ac2fe67f7712c00b3c.jpg)
上の写真は、1655年創建の旧石那田村の鎮守の「石那田八坂神社」 で、
案内板によると、厄除けの天王祭が毎年7月に行われているそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/5b/41d633a78a542fa4c393c726b493893b.jpg)
少し歩くと、道路の反対側の脇に、「二宮尊徳先生遺跡 石那田 堰(せき)」
の案内看板が見えました。![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/76/d2fd2e067657a56ecb0054c46eed8274.jpg)
歩道から車道へ下りて、その看板の矢印に従って脇道に入って行くと
橋があり、その下を流れる川に堰と取水口がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/14/96fbc55f67be4aebcd621ed89e6e93f1.jpg)
川岸には、お馴染みの薪を背負って読書する「石那田堰 二宮金次郎碑」が
建っています。![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/0f/da09f0f87832fb2ce8aec1d16fcd7091.jpg)
案内板によると、二宮金次郎は、幕府の命により、1852年に、日光神領
であったこの地に赴任しています。
金次郎は、この川に堰を設ける等して「六郷用水」を築き、この辺りの
6地区の田を潤すなど、日光の荒地の開墾に尽くしたそうです。
えぇ〜!、そうだったんだ!![](cat_5.gif)
二宮金次郎は、我が地元の神奈川県の二宮町で活躍した人だとばかり
思い込んでいました・・・![](m_0199.gif)
こんな所で、大々的に荒地開墾のための用水造りなどをして活躍していた
なんて、全く知りませんでした!
ここ「石那田」(いしなだ)は、昔は、石が多くて耕作が困難な荒地だったので
「石灘」と書いたそうです。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d7/f394503444d6c03815c94b87c74f4788.jpg)
旧日光街道に戻り、右手に、下の写真の「金勢様」の祠を見ながら、
道路より一段高い歩道を歩き続けます。![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/1f/43cd6e41f6f42290cd844da9d4d5d58c.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/62/cdb1c54249e1d75423cedaa2d474a4d9.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/9f/6729a12347a715978baf7f591077cd34.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/50/92c6b8210174fd4e6e41de66dee64f70.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/55/82b42868566ebe6d5eb85f5cea4cdbda.jpg)
石那田バス停、海老王子バス停、松本バス停と歩き続けると、歩道の脇に、
下の写真の「うらない仏」がありました。![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/0b/8d435e59aa936f27396cfd2b0ef6e13d.jpg)
説明版によると、この石仏は、1730年、八代将軍吉宗のときに疫病が
流行したために作られたそうです。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/08/5ff93a7b6f85dd534a776f84c962d72f.jpg)
病の箇所と石仏の同じ箇所に赤い布を巻くと回復するとして、信仰を
集めたそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d2/00994cd8b65e7005778fc227988dc350.jpg)
石仏の前には、三個の丸石が並べてあります。![](kuri_3.gif)
石仏に願をかけ、3個の丸石のどれか1個を持ち上げて軽く感じれば
願いが叶うとの言い伝えがあり、「うらない地蔵」と呼ばれているそうです。
私も持ち上げてみましたが、簡単に持ち上がりました。![](face2_happy_s.gif)
「うらない地蔵」から、たいぶ歩いてから、丸石を持ち上げたときに肝心の
願掛けをするのを忘れた事に気付きました・・・![](m_0199.gif)
私は、願掛けのために丸石を持ち上げたのでは?![](kuri_5.gif)
う〜ん、これは認知症の始まり?・・・![](face2_shock_s.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4d/a53d723e1ac7466877beaa2e30877eb8.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/ee/b392f69d79a15911480398be24957bee.jpg)
やがて、上小池のバス停と過ぎると、右手の林の中に「新渡(にわたり)神社」
があり、この神社を過ぎると、間もなく、宇都宮市から日光市に入りました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/23/4251e12ff39c46383beed2a43171d342.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/80/dde3397b47ec356e3a7bb89e7e727ba6.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/98/7a448a91333adfe60cc9c62aa146b1b5.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/b7/d422325f023cc0309a1eff6a4612871e.jpg)
気持ちのいい田舎道を歩いて行き、山口のバス停と過ぎると、街道はY字路に
なりますが、旧日光街道はこのY字路の右の脇道に入って行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/98/9fde12771df8d39228f664308cac37a5.jpg)
このY字の中央奥に、下の写真の中央の「杉並木寄進碑」がありました。![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/19/c8e2422376026871501516a10cd8e7f1.jpg)
この寄進碑は、日光神領と宇都宮藩の境界の境石(さかいいし)だった
そうです。![](m_0151.gif)
寄進碑の説明版によると、ここの杉並木は、川越城主の松平正綱・信綱
(別名”知恵伊豆”)の親子が、1625年から、二十数年をかけ紀州熊野から
取り寄せ、20万本余りを植栽したものだそうです。![](m_0139.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/fb/f77791499a25b3e5decc05799d83fd5e.jpg)
この杉並木寄進碑を左手に見て暫く歩くと、間もなく、次の大沢宿に入ります。![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/0d/84b571cd13a38611fde3475b545a8a4c.jpg)
徳次郎宿から大沢宿までは、約9キロです。![](body_walk.gif)
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