前回は、釣り天井事件の宇都宮城、日光街道と奥州街道との分岐点となる
追分を経て、宇都宮宿の外れまで来ました。
旧日光街道は、宇都宮宿を抜けると、直ぐに大きく左折して、下戸祭(しも
とまつり)に入ります。
暫く歩くと、Y字型の分岐点があり、旧日光街道は右手へ進みますが、
この分岐点に写真の「勝善神(そうぜんしん)の碑」があります。
「馬頭観音」が馬の健康や死んだ馬の冥福を祈るものに対して、「勝善神」は
名馬の誕生を祈願するもので、「蒼善神」とも書くそうです。
左手に茨城県体育館を見ながら更に歩いて行くと、左に曲がる細い路地があり、その奥に写真の「高尾神社」がありました。
高尾神社の敷地内には、上の写真の「妙吉塚」が造られています。
この円墳状の塚の上には、1387年に建てられた供養塔「宝篋印塔」
(ほうきょういんとう)があります。
この「妙吉塚」は、南北朝時代の僧・妙吉の墓だそうです。
また、高尾神社の敷地内には、写真の「安産子育 地蔵尊」もあります。
昔、ここ戸祭(とまつり)村に、「新田の四郎」と呼ばれる大男が住んでいました。
四郎は、自分の背丈を後世に残そうと、上の写真の自分の高さと同じ1丈の
高さの石柱を建てたそうです。
高尾神社を出て、大きな交差点を過ぎると、上戸祭に入り、桜並木が
始まります。
旧日光街道は、中央に車道があり、両脇に桜と杉の並木、そして、更に
その外側の両方に車道よりも一段と高い歩道があります。
暫くの間、桜や杉の大木の並木が続きます。
単調な宇都宮市の郊外の住宅地から、江戸時代の旧日光街道の雰囲気を
残す緑に包また情緒ある道に一変しました!
その桜と杉の並木を暫らく歩いて行くと、左手に上の写真の「上戸祭の一里塚」のヒノキがあり、右手には下の写真の様に塚だけが残っています。
左手に写真の宇都宮文政短大を見ながら、更に並木道を歩いて行くと、
その並木が途切れた左手に写真の「光明寺」がありました。
ここ光明寺は、将軍の日光社参の際の休息所になっていましたが、
寺の前には、立場(たてば)があったそうです。
東北自動車道の高架をくぐると、もう次の「徳次郎(とくじら)宿」に入り、
「下徳次郎」のバス停があります。
宇都宮宿から徳次郎宿までは、約9キロです。