2![](c32f830372dc06b0cf461aa57fa88848.jpg)
(写真は、将軍家光の暗殺計画の舞台となった「宇都宮城」)
宇都宮城見学の前の予備知識として、有名な「宇都宮城”釣天井”(つり
てんじょう)事件」について、説明しておきます。
三代将軍・徳川家光が日光東照宮を参詣した帰り道、宇都宮城に1泊すること
が決まりました。
これを知った宇都宮城主・本多正純(まさずみ)は、釣天井(吊り天井)を
落として、家光を押し潰して暗殺しようと企てます。
![](face2_shock_s.gif) ![](cat_5.gif)
その工事のために集められた大工の中に与五郎という若者がいました。![](ny_kimono_m.gif)
釣天井が出来上がると、秘密が漏れることを防ぐため、大工達は全員
殺されました。![](m_0211.gif)
![](ny_kimono_f.gif)
すると、与五郎の恋人・お稲の枕元に、与五郎の亡霊があらわれ、殺された
いきさつを告げました。
お稲は、悲しみのあまり、与五郎から告げられた内容を手紙に残し身投げ自殺
をします。![](m_0211.gif)
この手紙を、父の籐右衛門が発見し、宇都宮城へ向かう将軍家光の行列に
直訴します。
そのため、家光は、急遽、宇都宮城に泊まらずに、強行軍で江戸に帰り、
命拾いしました。![](kuri_5.gif)
暗殺計画は失敗に終わり、正純は自害して果てました。![](face2_shock_s.gif)
![](2d2a9f50916d9fd2e9785095bf08a969.jpg)
(宇都宮城ものしり館の絵物語)
これが、講談や歌舞伎でお馴染みの「宇都宮城”釣天井”事件」のストーリー
ですが、これは後に作られた創作です。
![](m_0151.gif)
しかし、これが荒唐無稽な創作だと笑えない様な、以下の歴史上の”事件”が
実際に起きています。
![](cat_5.gif)
1622年、二代将軍・徳川秀忠が日光社参のために江戸を出発しました。
(創作では三代将軍家光に変えてあります。)
秀忠は、往復共に宇都宮城に宿泊する予定でしたが、帰り道、急に予定変更
して夜通しの強行軍で江戸に帰ってしまいます。
![](kuri_3.gif)
一方、本多正純は、山形藩改易の城受取りのために、幕府の命により山形に
出向いていました。
そして、何と!この正純の留守中に、突然、正純は宇都宮城を取り上げられて
しまいます!![](face2_shock_s.gif)
このこと自体は、秀忠による家康死後の旧勢力の追い落とし策の一環だと
思われます。![](kuri_5.gif)
(本多正純は家康の側近として仕えていました。)
このとき幕府は、宇都宮15万石から出羽由利郡5万石に正純を減俸しよう
としますが、正純がこれを固辞したため、幕府の怒りを買い、正純は横手に
生涯幽閉されてしまします。![](m_0211.gif)
![](kuri_5.gif)
この秀忠の突然の宿泊予定変更と、正純の幽閉の二つの不可解な事件が
重なったため、後に、有名な「宇都宮城釣天井事件」の創作を生むことに
なりました。![](m_0151.gif)
さて、話しを日光街道歩きに戻します。
日光線の小さなガードをくぐって宇都宮宿にはいります。![](body_walk.gif)
![](c35c00d7cac719b3938105904825e09c.jpg)
直ぐ右手に、「蒲生君平(がもうくんぺい)勅旌(ちょくせい)碑」が建っています。
この碑は、蒲生君平が明治維新に大きな功績があったので、明治天皇の
勅命で建てたそうです。
尊王論のさきがけだった蒲生君平は、宇都宮生まれの学者で、荒廃した
歴代天皇陵を調査、前方後円墳の名付け親でもあるそうです。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7c/be/583409079c0fb717e6cea97e030fe4b7_s.jpg)
蒲生君平勅旌碑の少し先の西原三丁目バス停を右折して、旧日光街道から
外れ、住宅街の中を、東の方向へ向かいます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/76/09/4263fb90e2c8da700e03e24642ab0506_s.jpg)
歩くこと約10分で、宇都宮城に着きました。![](body_walk.gif)
![](9a4dc6bc0c767ac4ae8391385dfc349f.jpg)
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![](f7cb1564c59aba2a5fca4217464ffadc.jpg)
城内に「宇都宮城ものしり館」があり、宇都宮城の模型などが展示されています。
![](5c51ea7454d0ab31d2240e3e31818116.jpg)
(宇都宮城ものしり館)
![](2e9378471111f45231541cc9766a7c00.jpg)
(宇都宮城の模型)
説明のボランティアのおじさんに、早速、「宇都宮城”釣天井”事件」について
質問します。
”釣天井の部屋は、この模型の中のどの建物だったのですか?”![](kuri_3.gif)
”ご覧の様に、宇都宮城は全て平屋なので釣天井はありませんでした。”![](face2_shock_s.gif)
”えぇ〜、釣天井が見たくて来たのに、もともと無かったんですか?”![](cat_5.gif)
”宇都宮市が、地域興しのために復元した釣天井が繁華街に飾られていた
のですが、反応がいまいちだったので、現在は、市の北部にある動物園の中に
展示しています。”
”えぇ〜?、釣天井が動物園の中に!?”![](kuri_5.gif)
また、戊辰戦争の際の宇都宮の様子についても質問してみます。
”戊辰戦争で、新政府軍の宇都宮城は何故落城したのですか?”
”宇都宮城をめぐる激戦では、旧幕府軍の新選組・土方歳三が、宇都宮城の
弱点である南東方面から猛攻撃をしたために、お城は落城し、城下町は
焼け野が原になってしまいました。”![](m_0211.gif)
![](4724c6307953db79c93c71c37193eb49.jpg)
(旧幕府軍の攻撃と城下町の焼失状況:宇都宮城のパンフレットから)
宇都宮城の前のバス停から、バスでJR宇都宮駅へ向い、JR宇都宮駅から、
上野東京ラインで、乗換えなしで横浜へ帰りました。
![](cars_train.gif)
しかし、宇都宮と言えば、やはり”宇都宮餃子”!!![](m_0139.gif)
![](3ba8caefe6c23c9abecc53713708f9ca.jpg)
帰りの電車の待ち時間を利用して、JR宇都宮駅前の餃子屋に入ります。
やはり、宇都宮まで来て餃子を食べずに帰る訳にはいきません。![](m_0140.gif)
う〜ん!、本場の餃子は、大きくて、香りも良くて、ジューシーで美味しい!![](face2_happy_s.gif)
![](m_0139.gif)
下の写真は「12種食べ比べセット」(1,200円)で、チーズ、ニラ、エビ、椎茸、
舞茸、肉など12種類の餃子を、1皿で満喫出来て、大満足です。![](m_0087.gif)
![](8c3ade995f7d5423f6654c6fafe45afe.jpg)
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