(写真は、「雀宮」の地名の由来となった「雀宮神社」)
「雀宮(すずめのみや)宿」とは!、”舌切り雀”のお宿をイメージしてしまう様な
ファンタスティックな宿場名です!![](m_0245.gif)
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本陣1、脇本陣1、旅籠38の「雀宮宿」は、日光街道が開かれたときに
新しく作られた宿場です。
そして「本陣職」を務めていた「小倉家」は、もとは宇都宮氏の家臣で
2万石を領していた名門の旧家でした。
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雀宮宿に入ると、左手のコンビニの駐車場の脇に「雀宮本陣跡」(小倉家)
の碑がありました。
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本陣跡の石碑の写真を撮っていると、高齢の上品な2人の女性の方が、
私に話しかけてこられました。
「ここの本陣の小倉家は、このコンビニなどのこの辺りの土地の所有者で、
土地を業者に貸していらっしゃるんですよ。」
「でも、小倉家を守ってきた子孫の跡取りの方が、46才の若さで、最近
亡くなられたんですよ。」![](face2_shock_s.gif)
「小倉家が絶えてしまって・・・」![](m_0211.gif)
多分、ご親戚の方か、ご近所の方なのでしょう、悲痛な表情で、上記の様な
説明をして下さいました。![](m_0142.gif)
「雀宮本陣跡」は、JR雀宮駅入口の交差点の左手前にありますが、
交差点の右手前は下の写真の「雀宮脇本陣跡」です。
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「本陣跡」は石碑のみしか残っていませんが、「芦谷家脇本陣跡」は、
上の写真の様に、立派な建物を残しています。
「芦谷脇本陣跡」は、写真の様に、現在、改修工事中でした。
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脇本陣の先の右手に、「雀宮宿」の地名の由来となった「雀宮(すずめのみや)
神社」がありました。![](m_0245.gif)
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日光参社の際、将軍はここ雀宮神社に参詣するのが慣例でした。
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「雀宮」の地名の由来については、以下の様な伝説があります。
平安時代の歌人として知られた藤原実方(さねかた)は、宮中で、藤原行成
(ゆきなり)と言い争いをした際に、カッとなって行成の冠を投げ捨てて
しまいました。
これに怒った一条天皇は、実方を陸奥守(むつのかみ)に左遷してしまいます。
実方の妻の綾女は、後を追って、夫の実方が赴任した陸奥へ向かう途中、
この地に来たところで病死してしまいます。![](m_0211.gif)
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これを憐れんだ村人は、綾女が持っていた宝珠をこの地に埋めて祀りました。![](m_0211.gif)
ところが、その後、夫の実方も、任地した陸奥で亡くなってしまいます。![](m_0211.gif)
すると、何と 夫の実方の霊魂が雀になってこの地に飛来しました!![](m_0245.gif)
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そこで村人は、綾女と実方の2人を合祀して「雀宮神社」と称したそうです。![](m_0151.gif)
(「雀宮神社」の由来は諸説あります。 )
雀宮神社を出ると、この先は余り見るべきものも無く、単調な旧日光街道
(国道4号)を、延々と歩いて行きます。
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やがて、「寿鶴(すず)薬師堂」のバス停が見え、バス停の右手の奥に、
紫色の「寿鶴薬師堂」がありました。
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寿鶴薬師堂の先には、江戸時代には「江曽島(えそしま)の一里塚」が
あったらしいのですが、現在は、その痕跡すらありません。![](m_0211.gif)
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しかし、その場所の信号名とバス停には、「一里」の地名が残っていました!![](m_0140.gif)
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真っ直ぐな国道4号をひたすらに歩いて行きますが、この辺りは、各社の
自動車販売店が続きます。![](m_0142.gif)
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やがて、「不動前」の信号で、旧日光街道は、国道4号から分かれて、
左へ入って行きます。
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「不動前」信号の分岐の点の角には、写真の「不動堂」がありました。
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お堂の中を覗くと写真の不動明王の石像が収められていました。
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旧日光街道を少し進むと、前方に東武線のガードが見えて来ました。
この東武線のガードの辺りは、もう「宇都宮宿」だったみたいです。
雀宮宿から宇都宮宿までは、約8キロです。![](body_walk.gif)
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