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日光街道を歩く 15:石橋




(写真は、銃眼と矢狭間のある土塀(城郭様式)の「開雲寺」)


「石橋宿」に入ると、旧日光街道(国道4号)沿いの石橋の信号の手前の
辺りが、「石橋宿」の中心だったらしいですが、現在はその痕跡すら
ありません・・・



「石橋宿」は、総軒数79軒で、うち本陣1、脇本陣1、旅籠30でした。

石橋の信号を右折するとJR石橋駅です。

地元では有名だというJR石橋駅前の「からくり時計」を見るために、右折して
商店街をJR石橋へ向かいます。



石橋は、グリム童話で名高いグリム兄弟の出身地であるドイツの
シュタインブリュケンと姉妹都市なのだそうです。

江戸時代には、この辺りはカンピョウの産地でした。商店街には、
名産のカンピョウを扱う店もあります。



 

JR石橋駅前の「からくり時計」の頂上は「シンデレラと王子」、その下は
「狼と7匹の子ヤギ」でしょうか。JR石橋駅から、旧日光街道(国道4号)に
戻り、直進すると、直ぐ右手に
「開雲寺」の山門が見えました。







本堂の前には、「葵の紋」の大きな提灯があります。











「開雲寺」は、徳川将軍の日光社参の際の休息所でしたが、三代将軍家光の
社参の時に、更に境内に御殿所が建てられました。

そのため、開雲寺は、寺の回りを「鉄砲狭間(ざま)」や「矢狭間」の付いた
土塀で囲む
「城郭様式」となっています。









写真の様に、寺をめぐる長〜い塀には、丸い銃眼と、矢を射る四角い穴が、
交互に空けられています。お寺の塀に狭間があるなんて驚き!




開雲寺を出て、少し歩くと、古い旧家らしき立派な門が建っていました。

石橋宿を抜けて、真っ直ぐな国道4号を延々と歩いて行くと、右手に

「鞘堂(さやどう)地蔵尊」
がありました。













この鞘堂地蔵尊の辺りで、1382年に、小山氏と宇都宮氏との間で、
壮絶な戦いが行われました。

この「小山・宇都宮合戦」では、宇都宮氏一族の300余人が、ことごとく
討ち死にしました。

可哀想・・・

この時の戦死者の刀の鞘(さや)を集めてここに埋め、その上にこの
「鞘堂地蔵尊」を建てたのだそうです。

ふ〜ん、このお地蔵様には、そんな由来があったんだ!



鞘堂地蔵尊から暫く歩くと、左手に、ここ「鞘堂新田」村の鎮守である
「星宮神社」があります。






星宮神社を通り過ぎると、やがて前方の北関東自動車道の高架をくぐります。

真っ直ぐな国道4号を、次の雀宮宿までひたすらに歩いて行きます。



更に暫く歩くと、左手に陸上自衛隊の宇都宮駐屯地の入り口がありました。

もう、この辺りから、「雀宮(すずめのみや)宿」らしいです。


石橋宿から雀宮宿までは、約6キロです。


14:小金井

16:雀宮へ


        
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