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日光街道を歩く 14:小金井




(写真は、慈眼寺の布袋様の石像)


小金井宿は、日光街道の宿場町の”町名ルール”の通りに、日光に近い方から
順に、上町、中町、下町の順に並んでいます。

小金井宿は、もともとは、ここの北方の「金井村」でしたが、1604年に、村が
現在の場所に移動した際に、”小”を付けて「小金井村」としました。
そして、小金井宿は、何と!、下総(千葉県)の佐倉藩領でした。



新田宿から、ほぼ真っ直ぐな旧日光街道(国道4号)をひたすら歩いて行き、
右手の小金井駅前を過ぎると、日光街道の左手に
「小金井一里塚」の看板が
見えて来ました。



看板の横に、二つ並んだ一里塚がありました。





一里塚を出て、旧日光街道を更に進んで行くと、左手に、1198年創建の
「慈眼寺(じげんじ)」の大きな看板が見えました。



慈眼寺は、徳川将軍の日光社参の際の御昼休み所でした。



門前には、写真の布袋様の石像があり、その横に、庚申塔、二十三夜塔などが
並んでいます。







境内には、江戸時代の建造物として、観音堂や鐘楼が現存しています。



慈眼寺の住職は、年始には、将軍への拝謁が許されており、その際は10万石の
大名の待遇だったそうです。

なに?、この寺の和尚が10万石の大名?
驚き?!

ということは、ここ慈眼寺は凄く格式の高いお寺だったんだ!



慈眼寺を出てると、すぐ隣は、古くから小金井宿の鎮守だったという
「金井神社」
でした。











この金井神社の少し先に、大越の表札が掛かる
「大越本陣跡」の門が残っており
(上の写真)、この辺りが、小金井宿の中心でした。



旧日光街道を更に進んで行くと、小金井北の信号の交差点の右奥に、
「蓮行寺」
山門が見えました。



徳川将軍の日光社参の際には、宇都宮城主がこの蓮行寺まで来て、出迎えることに
なっていたそうです。



ん?、蓮行寺の本堂の左手前の枯山水の庭には、餌を食べているたくさんの
鶴が?





枯山水の庭のたくさんの鶴は、写真の様に置物でした・・・





蓮行寺を出て、国道4号に戻り、暫く歩いて行くと、左右に畑が広がり始めました。



更に歩いて行くと、左手に、大きな真新しいビルが見えて来ました。



新しく開店したスーパーかパチンコ店かな、と思い近づいてみると、何と、「下野
(しもつけ)市役所」でした。

オープンして間もない感じで、大勢の案内係の人達が待機していて、訪れる住民を
誘導しています。

私は、案内窓口へ行って、この辺りのウォーキング地図を貰いました。

真新しいソファに腰掛けて、この辺りの名所や史跡をチェックします。



下野市役所を出て、歩いて行くと、間もなく右手に、JR自治医大駅へ100メートルの
標識があり、それを過ぎると、右側に巨木の松並木が続きます。











やがて、下石橋信号の左手角に、上の写真の丸大食品の工場があり、その入口に
慈母観音像が建っていました。





更に国道4号を進むと、左手に、屋根付きの石造群がありました。





国道4号は、石造群の先で、国道352号の立体交差の下をくぐります。



間もなく左手に、旧家らしき立派な門構えの家屋があります。





そのすぐ先の左手は、759年創建の愛宕神社です。







この愛宕神社から先は、もう石橋宿で、この先の信号を右折するとJR石橋駅です。

新田宿から石橋宿までは、約3キロです。


13:新田へ

15:石橋へ


        
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