国道19号の洗馬宿の標識から右手の緩やかな坂を下ってゆきます。
洗馬(せば)宿 は、善光寺道との追分でもあったことから、善光寺詣の人々でも賑わっていた宿場だったそうです。
洗馬宿は、昭和7年の大火で、昔の建物をほとんど焼失してしまったため、江戸時代の面影はほとんど感じられません。
でも、国道から外れて、車も走っていないので、快適な街道歩きです!
右へ下る旧中山道を道なりに下ると、Y字路ですが、右に曲ると善光寺への道で、中山道は左に曲ってゆきます。
分去れで左に曲り少し歩くと写真の「分去れ(わかされ)道標」です。
刻まれている文字は「右中山道 左北国往還 善光寺道」。
「洗馬(せば)」とは変わった地名だな〜!
何か由来があるのかな?、
と思いながら宿名町を歩いていたら、有りました!
街道沿いに、「邂逅(あうた)の清水」の看板が見えたので、矢印に従って階段を下りると、地名の由来が分かりました!
ここは、木曽義仲(源義仲)が、後に家来となる今井兼平が出会った(邂逅した)場所で、兼平が、ここの清水で、義仲の愛馬を洗ってあげたのが、「洗馬(せば)」の地名の由来だそうです。
へ〜、そういうことだったんだ。
この清水は、今も、綺麗な水がこんこんと湧き出ています。
江戸時代にも、疲れた旅人の喉を潤していたのでしょうね。
街道沿いの洗馬駅入口を通り過ぎると、「百瀬本陣跡」の説明板がありました。
それによると、本陣、脇本陣の庭園は「善光寺名所図会」の中に「中山道に稀な」と紹介されたほどの名園であったそうですが、残念ながら、鉄道の開通時に削られてしまい、洗馬駅の敷地として失われてしまったそうです。
本陣の隣に「荷物貫目改所跡」の説明板がありそれによると「公用荷物の重さを計り運賃を決める役所」だったそうです。
(現在、国道沿いにあるトラックの過積載を調べる施設に当る
らしいです。)
その先に「志村脇本陣跡」の標柱があり、その後ろに下の写真の明治天皇が御巡幸のおり休憩されたという「明治天皇御駐輦之處」の碑があります。
その先が「高札場跡」で、「中山道碑」・「洗馬宿碑」が建てられています。
洗馬宿は短い宿場町で、すぐに通り過ぎてしまいました。
街道はこの先で左に曲りながら坂を下り、JR中央線のガード下をくぐり、緩やかな上り坂となります。
緩やかな坂を上り切ると、風景が開け、左右に山が迫ってきます。
暫く歩くと、左手を走る国道19号に合流し、更に歩くと右手に溜池があり、その先を右折すれば、次の宿場の本山宿です。
広重の浮世絵は、洗馬宿の西を流れる奈良井川の夕暮れです。
柴を積んだ舟と筏が、ゆっくりと川を下ってゆきます。
枝垂れ柳の向こうには、大きな満月が浮かんでいます。
洗馬宿から本山宿までは約3キロです。 |
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