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30:塩尻



(写真は、堀内家住宅の屋根の「雀おどり」)

塩尻宿は、「塩の道」と言われた「三州街道」(三河国への街道)と、「千国街道」(糸魚川への街道)の基点として、旅籠が70軒もあり大いに賑わったそうです。

Tさんの話だと、
塩尻の地名の由来は、「塩の道」を通って、塩を売り歩いて来た塩売りが、ちょうどこの辺りで”品切れ”になるため、”塩尻”という名前がついたそうです。

へ〜!
”尻”というのはそういう意味なんだ!

塩尻宿に入ると、中山道は、歩道が狭く車の往来が激しい国道と重なるるため、歩くのも大変で、とてもゆっくりと宿場町見物をする様な雰囲気ではありません・・・


疲れるな〜・・・



激しい車の流れの切れ目を睨みながら、街道を右へ左へ横断しながら見物します・・・



宿場町は、明治16年の大火で全て焼失してしまったため、宿場時代の面影は余り有りませんが、宿場のポイント毎に石碑が建てられているので、主に、石碑を見て回ることになります。

宿場町の入口には、写真の道祖神などの石碑群がありました。





上の写真は、「塩尻宿本陣跡」で、周りに「明治天皇鹽尻行在所(あんざいしょ)」碑と、「御膳水碑」があります。



本陣跡の斜め前は、写真の
旅籠「小野家住宅」(いちょう屋)(国指定重要文化財)です。



小野家住宅 の先の小公園が「脇本陣跡」で、ここには中山道碑や塩尻宿碑も建てられています。






(高札場跡)

国道の「鉤の手」碑から、右側の旧道に入ると、直ぐに「阿礼神社」があります。







古くは坂上田村麻呂や、木曽義仲も参拝したという由緒ある
神社だそうです。

阿礼神社から少し歩くと「堀内家住宅」です。

堀内家住宅の屋根に取り付けられた、
雀が羽を広げたような大きな「雀おどり」が、建物の美しさを引き立てています。


「雀おどり」は、この地方独特の飾りだそうです。

旧道は、堀内家住宅の先で、国道に合流し、田川に架かる橋を渡ると、下大門の4差路に差し掛ります。 .



この4差路は、左折すると中山道、直進するとJR塩尻駅、右折すると松本へ向かう松本街道です。



この4差路で日没となったので、JR塩尻駅まで歩き、今晩は、駅前のビジネスホテルに一泊します。





翌朝は、早朝に、駅前のビジネスホテルを出発し、下大門の4差路まで歩いて戻り、4差路の一番左の中山道を入ってゆきます。

中山道に入ると、車の往来が激しかった国道から外れてしまいます。

車が少ないのんびりとした中山道歩き旅の再開です。

直ぐに写真の「大門神社」があり、その隣は、
「耳塚」と呼ばれる珍しい塚があります。







耳の形の皿や椀を奉納すると耳の聞こえが良くなる、と古くから言い伝えられているそうです。



写真の様に、穴を明けた多くの土器を奉納してありました。

中山道は、この先、JR中央線ガード下を通り、長い長〜い昭和電工の塀が続きます。







昭和電工の塀をようやく過ぎると、暫くの間は、ブドウ畑沿いの快適なウォオーキングです。



まもなく、街道沿いに、
左右とも現存しているという貴重な「平出一里塚」が見えて来ます。


街道からは左側だけしか見ませんが、右側は民家の裏にありました。


失礼して民家の通路から写真をパチリ!



一里塚の左手の奥の方の畑の向こうに、復元された竪穴住居が何棟も見えて来ました。



ここは
縄文時代の大集落跡「平出遺跡」です。



平出遺跡の史跡公園休憩所に綺麗なトイレがありました。

有難い!



冬場はトイレが近くなるので助かります。

トイレを済ませ、史跡公園のベンチに腰を下ろして一休みします。

史跡公園を出ると、中山道は、延々と続くブドウ畑を見ながら歩きます。



塩尻は、日本有数のワインの里なんだそうです。

へ〜、そうなんだ。

再びJR中央線の踏み切りを越えて、国道19号に合流します。







観光農園が並ぶ国道を、延々と歩いてゆくと、右側に洗馬宿の標識が見えました。



塩尻宿から洗馬(せば)宿までは約7キロです。

29-2:塩尻峠へ

31 : 洗馬へ

              
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