![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/1d/40af357e5673d2a4c22d6287ba8ca3cb.jpg)
(写真は、無縁仏の供養塔を積み上げてある正福寺の境内)
「幸手(さって)宿」は、「日光街道」と「日光御成り道」の合流点の宿場町として栄えました。
![](m_0140.gif)
また、権現堂川を利用した江戸との間の船便の交通の要所だったので、河岸には廻船問屋が軒を連ねていました。
![](m_0102.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/38/f9e20df1a204ef9ed2268383efe3eec8.jpg)
「日光御成り道」と合流した旧日光街道は、倉松川に架かる志手橋を渡り、
幸手宿に入ります。
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/82/e8ee11bfcf0178bcbb0a8ac9ac84ce9a.jpg)
志手橋を渡ると、すぐ右手に写真の「神明(しんめい)神社」があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/4a/8841d2824b76c88735d5ed64fdf52a16.jpg)
鳥居の脇に「螺(たにし)不動」と彫られた石碑がありました。
![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/69/89bf148ba997a4311f6044d0179fe2c8.jpg)
境内の狛犬は?えっ!、田螺(たにし)を抱えている?
![](face2_shock_s.gif)
してしまいました!
![](cat_5.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/41/9c73178971bae7286ad8756baeedb5d5.jpg)
帰宅してから、インターネットで調べてみると、狛犬が抱えているのは田螺
ではなくて牡丹の花でした・・・
![](m_0211.gif)
そりゃそうですよね、田螺はこんなに大きくないですものね。
![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/42/9db93e6337b3d3371c9b518d201c3b3e.jpg)
境内の左側にあるのが、「たにし不動」と呼ばれる「菅谷(すがたに)不動尊」
です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/4a/4358a439e75dc2e56d9c5c71b49d32f0.jpg)
説明板によると、「たにし」を描いた絵馬を奉納して祈願すれば、眼の病に
ご利益があると言われたそうで、江戸時代には多くの参詣人を集めたそうです。
![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/4f/152d68dfc4a4494564c2ff72e2a940b2.jpg)
う〜ん、「たにし」の絵馬ねえ?
![](kuri_5.gif)
![](cat_5.gif)
また、同じ説明板によると、ここに高札場があり、ここから先が幸手宿だった
そうです。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/97/1fba1480f936be23add1592086b60570.jpg)
神明神社を出て進むと、左手に、上の写真の様に「明治天皇幸手行在所」石碑があり、その奥に屋根で覆われた説明板があり、そこに明治天皇の行幸の様子が書かれていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/25/16cc311bea35cde50f0932c911324048.jpg)
その明治天皇行在所の前に、上の写真の真新しい雰囲気のある大きな民家がありました。
その大きな民家の横に、下の写真の国有形文化財の標柱がありました。
![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/34/793625cf98f01d1dbbed5e6ba1caaaba.jpg)
その説明板によれば、この大きな民家は、国有形文化財の「岸本家住宅母屋」で、醤油醸造業の「上埜屋」(うえのや)だったそうです。
この民家は、現在、改装されてカフェになっているみたいなので、入って
一休みします。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/79/1320c169c65942878f404d50409d185b.jpg)
店の奥の重厚な黒い扉の付いた和室は、貸し切りの部屋になっているみたい
です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9c/28e644013caf89919966cdf51ffb540a.jpg)
店のおにいさんの話しだと、この黒い扉の奥の和室は、大正時代に醤油蔵
だったものを、そのままカフェの客室として使用しているそうです。
![](cat_4.gif)
店のおねえさんに、この先の「たにし不動」について質問してみますが、ここの
おねえさんは「たにし不動」の存在自体を知りませんでした。
![](m_0142.gif)
う〜ん・・・、たにしの絵馬も置いてなかったし、地元の人も知らないという
ことは、「たにし」信仰は廃れてしまったのかなぁ〜?・・・
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/88/bbb5acbf137ea519ad444097989a4bb7.jpg)
![](face2_happy_s.gif)
わらび餅、ぜんざい、ホット抹茶ラテで、身体か暖まったところで、このカフェを
出て、幸手宿のメインストリートを進んで行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/65/5149bc3fb8e69cf59b0f568b2df5940f.jpg)
上の写真は、新しく建替えられていますが、江戸時代から続いている老舗旅館の「あさよろず(朝萬)」です。
メインストリートの「幸手駅入り口」の交叉点の辺りから、旧日光街道の両側
には、歴史を感じる民家が予想以上に多く点在します!
![](m_0140.gif)
以下、点在する雰囲気のある民家の数々です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/42/f14c5ed4b1f070d2c373d9c2c87fd177.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/85/cdc591ff38549b7f142a2601bdd0e5c4.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/14/e8f8660968487cc88e6b05b6c283fed8.jpg)
![](cat_4.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/b7/6a8719e14d94e65aee9963da0bc1946b.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/a7/f2180f9d9a4cf3f79b180b556ab96bca.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/70/737ec452989581d12d6136170b38f7df.jpg)
更に進むと、右手に、上の写真の小さな公園があり、園内に問屋場跡の説明板がありました。
説明板の奥の幸手福祉会館にトイレがありました。
最近、だいぶ寒くなって来たので、街道沿いの公衆トイレは有難いです。
![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0049.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d7/9289914aa5e8aefdf26358de6feb3fe1.jpg)
上の写真は、幸手宿の中心となる本陣家だった知久家跡です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/ae/0df49459d08ecf339c10d52abd910677.jpg)
更に進んで行くと、正面の左端に大きな石灯籠が見え、旧日光街道は右に
大きくカーブします。
そのカーブの右角に、下の写真の「一里塚跡」の説明板がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/98/bcdfc4e123df9d1dd08363010066f241.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/57/7c5443421754db34c03077c89845b995.jpg)
そして、その一里塚跡の道路向こうが上の写真の「正福寺」(しょうふくじ)です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7b/ebd8800557009ec140ee3a84d1809ae9.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/5e/d9686a281fba0f0aee1c4b321ef8ee21.jpg)
境内には、大きな日光街道の道標があり、3枚の写真の上から順に、
「(道標の左側面に)日光道中」、「(右側面に)ごんげんどうがし
(権現堂河岸)」、「(中央面に)馬頭観世音供養 寛成12年」と
刻まれています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/2a/f718c0e02d1e69a160453fa90b47929e.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/73/d832d13486ba6322d78a4a61e1eab460.jpg)
また、日光街道の道標の奥には、下の写真の「義賑窮餓(ぎしんきゅうが)
の碑」があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f9/8129885852580208c820b73c20ea3314.jpg)
その説明板によると、1783年の浅間山の大噴火の際、関東一円には灰が
降り、冷害も重なって大飢饉なりました。
![](m_0143.gif)
この時、幸手町の有志が金品を出し合って、難民の救援に当りました。
![](m_0140.gif)
この善行を知った関東郡代の伊那忠尊が、この顕彰碑を建てさせたのだ
そうです。
また境内には、下の写真の様に、無縁仏となった供養塔が積み上げて
ありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/1d/40af357e5673d2a4c22d6287ba8ca3cb.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/43/8ce2b496fb97ba380f098f7d501a259d.jpg)
正福寺(しょうふくじ)を出ると、その左横が、隣り同士でややこしいですが、
同じ読み方の「聖福寺」(しょうふくじ)です。
![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/a9/420193ecd197206324649c9bc6eb587f.jpg)
その「聖福寺」の参道に入ってみると、直ぐの右手に、下の写真の真新しい
「芭蕉句碑」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/e0/f7e3cb90595d72b9a57212f6ddfd3036.jpg)
”幸手を行ば 栗橋の関” (芭蕉)
”松杉を はさみ揃(そろ)ゆる 寺の門” (曽良)
芭蕉の句に上の句が無いのは謎らしいですが、下の曽良の句との連歌になっているという説もあるそうです。
![](m_0151.gif)
また、曽良の句の中の”門”は、この聖福寺の勅使門を指すそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/66/ca2263d061421a3ccfd4b78612cbf805.jpg)
参道を進むと写真の立派な「勅使門」がありました。
![](cat_4.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/04/83d728d7b243a9a982f1b6c6dd313fba.jpg)
説明板によると、徳川家光が日光社参の際に休憩所として使用した他、
例弊使や歴代の将軍が18回にわたりここで休憩したそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/d2/e27e62c66169697494b5bc36b5372f32.jpg)
勅使門には、写真の様に、菊のご紋の入った扉が付いています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/66/dc7938b684ec429674ec23b12ed10d86.jpg)
聖福寺を出て、Y字路の信号を左折、更に進んで行くと、やがて国道4号に
合流します。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/45/378ac8abeab4b0569a661827dfb2cbc7.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/79/4b54d536300f5b63da6a18e606bc8b34.jpg)
国道4号を少し歩くと、右手前方に、桜名所で有名な権現堂桜堤が見えて
来ました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/95/637118ae66f732b2414343f07e27b146.jpg)
花見で有名な幸手(さって)の「権現堂堤」は、埼玉県随一の桜の名所です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0237.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/s1_spr_sakura.gif)
春には、菜の花と桜が同時に咲き乱れ、県外からも大勢の見物客が訪れ
大賑わいする超有名なスポットです。
![](m_0140.gif)
その権現堂堤を歩いてみます。
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/2b/d51d739068b0b20be9bd22767f8e6d72.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/6f/351ac51b42a581f6ae347cc0884bd13b.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/cf/8d3bbab2c861d61aa2e5e7fb2ba00e1e.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/bb/2febf38a976528099b9816c92fe08cdd.jpg)
今は花も葉も散ってしまっていますが、桜の花の季節はきっと見事なんでしょうね。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/s1_spr_sakura.gif)
少し歩くと、写真のお休み処があったので、飲み物を飲んで一休みします。
![](drink_ramune.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ce/61809dcd6477128e155fcf37b346241a.jpg)
お休み処の前に、菜の花と桜が一面に咲き乱れる春の権現堂堤の写真が
貼ってあります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0068.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/be/0791782877f1a3efb4662159d4fdb800.jpg)
空の青に菜の花の黄色と桜のピンクが映えて絶景です!
![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/s1_spr_sakura.gif)
春の桜の時期に、再び訪れてみたいです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0237.gif)
桜堤の下に、写真の「巡礼の碑」がありました。
![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/74/a1d9dd5e4407e3232b5b1655dab388ca.jpg)
その説明板によると、昔、この一帯は、何度も水害に見舞われ、農民は塗炭の苦しみを味わっていました。
![](m_0228.gif)
そこで、この水害を無くすために、権現堂堤の土木工事が行われましたが、
困難の連続で失敗続きでした。
![](m_0211.gif)
そこへ、通りかかった巡礼の母子が、人柱になることを申し出、止める暇もなく
身を投じました!
えぇ〜!、ホント?
![](cat_5.gif)
通りかかっただけでく身を投じたの?
![](kuri_3.gif)
この人身御供により、川の水は穏やかになり、難工事が完成したそうです。
![](kuri_5.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/c2/f56c77fad5d74a98bdb3c1c2ee1afd74.jpg)
でも、その説明板には続きがあり、”工事は無駄”と言った巡礼母子に
腹を立てた人夫らによって、巡礼母子が川に投げ込まれた!、
という説もあるそうです・・・
えぇ〜!、怖っ〜!
![](face2_shock_s.gif)
どちらの説が史実なのでしょうか?、気になって夜も眠られません・・・
![](kuri_5.gif)
上記の「巡礼の碑」の近くに、下の写真の巨大な「巡礼供養塔」もありました。
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/75/dd8cbc50d502bdab3548c836762d8c50.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/c3/6565a320dbe502ab13a639e77a7d7914.jpg)
国道4号に戻り、中川に架かる行幸橋(みゆきばし)を渡ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/db/520934420731e1c86829451c448d8ccb.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/46/5adda1ab9fe8819f6636aa1b513bc5a5.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/cc/118ea6d9707b078e4f88438912b2f663.jpg)
橋を渡ると、旧日光街道は、直ぐに左の小道に入り、暫くの間、この小道を
歩いて行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/7f/ca32e51a381a8641fecb42c2b32d42b4.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/a2/fc85423103762ba9b700f5701c0caea3.jpg)
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/eb/d63bc2b1c59085dabb646a2a956a9c7f.jpg)
やがて、街道の正面に、1775年の建立の「外国府間(そとごうま)」の道標が
建っています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/4b/5060e1b5239a9ffae2df99ed7864434a.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/60/94d2f102e623d67f26f41f9754a296da.jpg)
正面には仏像が彫られ、その下に「右 津くば(つくば)道」「左 日光道」と
彫られています。
その道標に従い、左手の田畑の中の道を進んで行くと、小高い塚の上に、
下の写真の弁財天堂が建てられていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/30/910346a0d2781d55d7d1da2c44ffaa6f.jpg)
その説明板によると、ここが「小右衛門の一里塚跡」だそうです。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/0a/1814a5ff700c25ea73a61bee0bd80f8a.jpg)
一里塚跡を過ぎて、国道4号の脇の下の旧日光街道を進むと、前方に
工業団地入口の交差点が見えて来るので、この交差点の下の地下道をくぐって反対側に出ます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/3a/722ee2b7ef2d1796fef3830afb0add80.jpg)
反対側に出ると、権現堂川沿いの見晴らしのよい遊歩道がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/63/ed5940d4757031eaacb30d0d0b01b1b6.jpg)
その遊歩道の脇にトイレがありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0049.gif)
最近、だいぶ寒くなって来たので、街道沿いの公衆トイレは有難いです。
![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/4e/5c63f75155944ed81461c8b64b765d52.jpg)
ここから先の旧日光街道は、左手の国道4号と右手の権現堂川との間の、
快適な桜並木の遊歩道が延々と続きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/4c/f0652ed9d905b62a8e45e5b5540bf9c6.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/08/82a103032741f292cacbb08ffb8bbb90.jpg)
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/8b/af5e4621ea385720205ed4938fc8fcd7.jpg)
この見晴らしの良い桜並木の道の対岸には、キューピーマヨネーズ等の工場群が見えます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/af/e8f8a75a3318ea589ca5ece21268b3f1.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/bf/20e79502dc81a242cc6b3dbc73515338.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/8c/4ca4cf5d8dfe405b117009d1a1b76901.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/22/2d7d63b6ec218bb551d14aec44a6a89e.jpg)
狂い咲きでしょうか?、この寒さの中、所々に、写真の様に桜が咲いて
います・・・
![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/f0/7165b92dc7f9090e032a2783f728da43.jpg)
春の桜満開の時期は素晴らしい風景でしょうね!
![](face2_happy_s.gif)
秋晴れの空のもと、気分もウキウキと、快適なウォーキングです!
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d9/426430b7dfc16cfb86198b9da2802042.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/88/c1e1a135608f22a16cb1db050ecd79b1.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/95/3f78d9e59dc536dfc11e5d78f80e6584.jpg)
やがて、この見晴らしの良い桜並木道は、東北新幹線の高架をくぐり、
小右衛門北の交差点で、国道4号の下をくぐって反対側に出て、国道4号の左側を歩いて行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/89/cf97c4455327fb4802e5cc9f1a68320e.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/50/f93a236d92a92de0c55be60966eaf455.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d7/cd086787fe454007f3acd5749b508577.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/cb/84420d51fdd54a36a43bfa7f2fb6617b.jpg)
国道4号を少し歩くと、左脇に「栗橋大一劇場」というちょっと怪しげな?
![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/2a/6ebafc10895313eae0774ce29cc66a33.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/66/28d61a3b132bf89b2b1ed4adddfd32bb.jpg)
街道は、間もなく、国道4号に合流しますが、その手前に、下の写真の
「会津見送り稲荷」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/fb/1cf9ebc880aa6bbbabed80ede9bb917c.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/15/a1687c94e0f718546a9c83d211a527ad.jpg)
その説明板によると、会津藩の武士が、江戸へ重要な書面を届けるため、
ここまで来たとき、道に迷って大変困っていると、突然、白髪の老人が現れて
道案内をしてくれました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/7f/d5b8fface0f39fa5693717cdd0462081.jpg)
お蔭で、武士は無事に役目を果たすことが出来ました。
![](m_0140.gif)
のちになって、この老人が狐の化身であることが判り、ここにお稲荷様として
祀ったそうです。
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街道は、再び国道4号に合流します。
やがて、街道は国道4号沿いの左下の脇道になりますが、間もなく、左からきた国道125号の高架の土手に突き当たってしまいます。
そこで、街道は、この国道125号を回避して、その向こう側に行くために、
国道4号の反対側に渡って、脇道の坂を下り、国道4号の下をくって、国道125号の向こう側の、国道4号沿いの脇道へ再び出ます。
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暫く国道4号に沿った下の細い道を歩いて行きますが、この細い道が広くなった辺りから先が栗橋宿の様です。
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幸手宿から栗橋宿までは、約8キロです。
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