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28-1:和田




(写真は、池上季実子と浅田次郎の和田宿本陣での対談)




「是より和田宿」の石碑から、八幡神社を通り過ぎ、追川にかかる追川橋を渡ると、和田の宿場町の町並みが始まります。





和田宿は、中山道最大の難所和田峠の入口にあり、参勤交代の大名も必ず宿泊しました。

下の写真は、広重の描いた和田峠の雪景色で、正面山は御嶽山(おんたけさん)ですが、浮世絵からも、和田峠越えの厳しさが伝わってきます。



1861年の大火で、宿場町は焼失してしまいましたが、同年に皇女和宮の将軍家への降嫁が決まり、和田宿が宿泊地となったため、幕府は、全国から大工を集め、昼夜兼行の突貫工事で、

何と!

たった4カ月で全宿場町を復興します。

ちなみに、延べ8万人の皇女和宮一行は、和田宿を4日間かけて通過した、というから驚きです!

これらの
幕末に復興された本陣等は、現在もそのまま残っているため、見所の多い宿場町です。



上の写真は、
和田宿本陣(他の施設と共用で300円)で、名主で問屋を営んでいた長井氏の居住棟と表門が復元されています。





ボランティアのおじさんの”熱のこもった”詳細な説明を受けます。



おじさんの説明によると、和宮関係の資料は、写しではなく、”全て本物”を展示しているそうです!

中山道の”大名行列を主人公”にした「一路」の著者・浅田次郎のサインがありました。



一路(上)
浅田 次郎
中央公論新社

「一路」では、大名行列の命がけの雪中・和田峠越えが描かれています。

「一路」の小説を書くにあたり、浅田次郎が詳細な下調べに来た時のサインだそうです。

また、出版後の池上季実子との「一路」についてのテレビ対談が、この写真の様に行われ、おっちょこちょいの池上季実子が鴨居の柱に頭をぶつけて怪我をした、その柱の説明等の裏話もしてくれました。












上は、この本陣に於ける”和宮のお茶会”を”再現”するイベントが行われた際の写真だそうです。



上の写真は風呂場ですが、ご覧の様に、浴槽がありません!

浴槽が無い理由は、二つあり、一つは、当時疫病が流行したので衛生上の理由と、もう一つは、風呂桶に細工をされて、命を狙われるのを避けるための保安上の理由です。

そのため、当時の大名行列は、大名用の
”my風呂桶”を持ち歩いたそうです!




写真の様に、屋根の上に石が並べられていますが、この様な造りの本陣は、非常に珍しいそうです。

また、和田宿本陣の天井は、非常に高いのですが、これは、2階には刺客に潜まれる恐れがあるので、2階部分を無くして天井を高くしたのだそうです。


和田宿本陣を出て、和田宿の町並みを見て回ります。





上の写真は、出桁造り出格子の二階建ての堅牢な造りの
「かわち屋」で、上客向けの旅籠だったそうで、以下の写真の様に、「歴史の道資料館」(他の施設と共用で300円)として公開されています。





かわち屋の向いは、問屋だった「山本屋」です。






上の写真は、本陣・名主だった長井氏の屋敷を改築して、現在も古い建物で営業している「本亭旅館」ですが、昔は旅籠だったそうです。

今も、中山道を歩く人が利用しているらしいです。



上の写真は、名主・羽田家で、これまで食堂「かあちゃん家」として利用していたのですが、現在、当主の体調不良のため食堂は休業中とのことでした・・・

今日の昼食は、ここで、和田宿名物の郷土料理を食べようと楽しみにしていたのに・・・

残念!
和田宿の食堂は、ここ1軒だけらしいです。

仕方なく、非常用に持ち歩いているオニギリ1個で空腹を満たします・・・

お腹すいたよ〜

緩やかな上り勾配た続く宿場通りの両側に並ぶ家々には屋号がとりつけられています。


(高札場跡)



和田の宿場町を抜けると間もなく、国道142号を横切りますが、その交差点に、上の写真の「和田の一里塚と道標」があります。

この道標を目印に旧道に入り、大出集落から、依田川沿いに歩くと、間もなく国道に合流します。







中山道は、国道に合流するこの辺りからは、国道の左手を流れる川沿いの道だったのですが、現在は、川に削られてほとんど残っていないそうです。



上の写真の緩やかな上り坂の国道を延々と歩いてゆき、唐沢の依田川を渡ると、左手に下の写真の旧道の入口がありました。



落ち葉の中の何となく心細い感じの山道ですが、木立の中を歩いてゆきます。







ガイド本によると、草ぼうぼうの道なので、防水性のズボンが必要と書いてありますが、私が歩いたときは、多分、地元の方々が草刈りをされたのでしょう、写真の様に、下草が綺麗に刈り取られていて、快適な遊歩道になっていました。


細いみちを歩いてゆくと、やがて開けた場所に、左右に塚が残っている「唐沢の一里塚跡」がありました。





一里塚跡から、急な下り坂を下って、再び国道に合流します。





そして、国道のバス停・観音沢を過ぎ、道路標識に従って、国道右手の脇道に入り、下の写真の川に架かる一の橋を渡ると、再度国道142号と合流します。







その142号線が右に大きくカーブする辺りの道路の反対側に、
和田峠の登り口が見えました!



これが「古中山道」の入口で、ようやくクラブツーリズム社の次回の旅行の出発点となる「和田峠の登り口」に到着しました。

和田宿から次の下諏訪宿までの、これから先の22キロもの厳しい
山道の行程は、私の足では、1日では絶対に踏破無理ですし、
ここの峠道は険しくて道に迷う恐れもあるため、次回は旅行社主催
の和田峠を歩いて越えるコースに参加することにしました。

従って、今日は、次回に参加予定の「クラブツーリズム社」の
「和田峠越え歩きコース」の出発点である「和田峠の登り口」
まで歩いたので、ここから同じ道を和田宿まで引き返します。
(詳細は、「24:八幡」をご覧ください。)


帰りは、和田宿から、1時間15分かけて、バスで、長野新幹線・上田駅へ向います。

新幹線の中で、上田名物「アユめし弁当」を食べながら、横浜へ帰りました。