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(写真は、真田雪村の娘の嫁ぎ先の「石合家本陣」)
長久保宿は、八ヶ岳連峰を望む高原の宿場町で、上田方面への分岐点であり、また、和田峠と笠取峠の上り口として、旅籠44軒を数え栄えたそうです。
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宿場町は、L字の形をしており、横棒の部分が横町、縦棒の部分が竪(たて)町です。
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竪町と横町の交差点に、下の写真の「善光寺道標」があります。
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ここから北国街道へ向かう上田街道(善光寺道)が分岐しています。
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道標には、写真の様に、”中山道 長久保宿 左ぜんこうじ”とあり、ここから「上田城下」へ通じていました。
当時は、「上田道」と呼ばれており、上田は、あの「六文銭」の家紋で有名な真田雪村の城下町でした。
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また、長久保は、戦国時代には上田の真田家の代官が支配していましたが、現在、本陣に住んでいる方は、その代官の子孫だそうです。
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上の写真の「一福処・濱(はま)屋」は、明治初期の旅館を利用した長久保歴史資料館になっています。
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上の資料館野展示写真は、明治初期の長久保宿です。
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上の写真は、屋根門を持った「石合家」(非公開)ですが、この家は、中山道で最古の本陣だそうで、大名が使用した御殿と表門は、現存する遺構だそうです。
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案内板によると、この石合家は、何と!
真田雪村の娘の嫁ぎ先だそうです!
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長久保宿は、ホントに、真田一族の支配下にあったんですね〜!
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本陣跡の隣は、造り酒屋であった「釜鳴屋(竹内家)」(非公開)で、上の写真の様に、本卯建(うだつ)がひときわ目を引き、県内最古の町屋だそうです。
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(古久屋)
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上の写真は、江戸時代には旅籠だったという「濱田屋旅館(黒沢家)」で、現在も営業していて、中山道を歩く多くの人々に利用されているらしいです。
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(現在の建物は、明治初期の3階建て建築。)
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上の写真は、横町の旅籠・竹重家で、当主は幕末の蘭方医だったそうです。
長久保宿を抜けると、直ぐに国道に合流します。
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国道を歩いてゆくと、やがて下の写真の「四泊の一里塚」の説明板がありました。
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中山道は、国道を更に歩き、依田川に架かる依田橋を渡りますが、川を渡る手前に、上の写真の中山道のモニュメントの休息所がありました。
広重の浮世絵は、この依田橋に、満月がかかる夜を描いています。
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手前の人物は、犬と遊ぶ子供、馬を引く馬子で、馬の尻掛けには、版元である錦樹堂の商標である”山の形に林”が白く染められています。
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また、橋の上は、旅人を乗せ馬子に引かれる馬、天秤で荷物を運ぶ農夫、風呂敷を背負い杖をつく旅人が影絵で描かれています。
この先の中山道は、依田川沿いです。
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左手は依田川、右手は屏風の様な山、その中を和田峠に向かう緩やかな上り坂の国道を歩いてゆきます。
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上の写真、道路脇に何があるのだろう?
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と思って近づいてみると、何と!
可愛らしい茅葺き屋根のバス停でした!
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(街道沿いの馬頭観音)
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緩やかな上り坂を上ってゆくと、やがて左手に、下の写真の「三千僧接待碑」という変わった名前の碑がありました。
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ここは、諸国を遍歴している僧侶を、無料で接待した場所だったそうです。
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この碑は、当初は、”一千僧”で建てられたのですが、目標の一千人の僧の接待を達成したので、目標を三千人に変更したそうです。
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この碑もよく見ると、一千”が”三千”に直されています。
面白い!
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(街道沿いの古い石碑)
街道沿いの馬頭観音などを眺めながらしばらく歩くと、上り坂が一段落して、こんもりとした木立の中に、若宮八幡神社がありました。
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八幡八幡の境内には、芭蕉の句碑がありました。
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”あの雲は 稲妻を待つ たよりかな”
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(空を見上げると、今にも降り出しそうな真っ黒な雲があり、
あれを見ると、やがて雷鳴がとどろき、稲妻も光るだろう、
と見たままの自然現象を詠んでいるのだそうです。)
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また境内には、和田城主・大井信定父子の墓もありました。
暫く歩いて、下の写真下和田の一里塚を過ぎ、やや急な上り坂に変わると、もう和田宿です。
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「是より和田宿」の石碑が見えました。
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長久保宿から和田宿までは、約8キロです。
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