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多摩川を歩く (その14) (六郷橋)   2022.6.23




(写真は、旧六郷橋の橋門)


 

「六郷橋」(ろくごうばし)を渡ります。



六郷橋の欄干には、「六郷の渡し」の渡船のモニュメントがあります。



六郷橋の入り口に、いきなり、川崎市と東京都の境界が?

普通の橋は、橋の中央が境界なのですが・・・

ここでは、川崎がだいぶ東京側に攻め込まれています。

川崎側の六郷橋の下の川岸は、川崎市ではなくて、対岸の東京都の「飛び地」みたいです。

(多摩川の飛び地については、「多摩川を歩く・大師橋」の中程を見てね。)     

   

六郷橋は、国道15号(第一京浜)に架かる橋で、現在の橋の前に架かっていた旧橋と区別するために「新六郷橋」と呼ばれることもあります。

六郷橋は、「箱根駅伝」のコースですが、駅伝の際はこの六郷橋を境として、東京都側のバイクの先導は警視庁、川崎側のバイクの先導は神奈川県警です。

















橋を渡り、階段を下りて、下の住宅街を通り、「京急・六郷土手駅」の方向へ向かいます。





上の写真の正面が、京急・六郷土手駅のガードです。



駅の手前を左折すると写真の「止め天神」があります。



この神社の御祭神は菅原道真ですが、通称「落馬止め天神」と呼ばれています。

江戸時代、8代将軍吉宗の乗る馬が暴走しましたが、暴走する馬がこの神社の前で止まり、吉宗の落馬を止めました。

この事件以降、東海道を往来する武士が、この神社を「落馬止め天神」と呼ぶ様になりました。

この神社の加護にあやかるために、将軍指南役の柳生家の留守居役は、この神社の近くに屋敷を構えました。

現在でも、菅原道真の天満宮本来の学問のみならず、災いや痛みを止め、更に、受験に”落ちない”ための参拝を受け付けています。



案内板によると、毎月 25 日が縁日で、この日は、木馬にまたがり祈願する江戸時代からの神事が執り行われているそうです。







上の写真の手水石には、貞享元年(1684年)寄進の彫銘があります。



また、千年石の「鶴さん」、万年石の「亀さん」と名付けられた上の写真の「力石」も残されています。



写真は、「六郷の渡し跡」の説明版です。

1600年、徳川家康が六郷大橋を架け、当時は、千住大橋、両国橋と共に「江戸の三大橋」とされました。

この橋は多摩川で最初の架橋で、長さは107間 (194メートル)、幅は4間1尺7寸 (8メートル)もありました。

1688年の洪水の後は、橋は再建されず、代わりにこの場所に「六郷の渡し」が設けられました。



止め天神を出て、隣にある「旧六郷橋」(大正14年完成)の「橋門」とその「親柱」を見に行きます。



写真の様に、現在の「新六郷橋」のたもとの広場に、「旧六郷橋」の面影を留めています。







(明治30年:未だ木造だった頃の六郷橋)



(昭和7年:旧六郷橋)



橋の階段を上って、川崎の方向へ、来た時と橋の反対側の歩道を歩いて戻って行きます。



上の写真の鉄橋は、東海道本線、京浜東北線、京浜急行です。 

(詳しくは、「多摩川を歩く・六郷水門」の最後を見てね。)            

                       

















川崎側の六郷橋の入り口に戻って来ました。