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多摩川を歩く (その13) (川崎河港水門:川崎側)   2022.6.23




(写真は、パリの凱旋門?ではなくて「川崎河港水門」)


 

前回までは、多摩川の東京側を、河口から六郷橋まで歩きました。

今回からは、多摩川の川崎側を歩きます。

以前に、河口から川崎大師までを歩いたので、今回は川崎大師からスタートします。

 



横浜から、京急電鉄に乗り、川崎大師駅で降り、駅から、川崎側の多摩川の土手へ向かいます。 


(川崎大師駅の前の川崎大師については、「多摩川を歩く・川崎大師」を見てね。) 

               











   

多摩川の土手に上って、堤防の遊歩道を歩いて行きます。























広い河原には、ラジコンを飛ばしているオジサンたちの姿も・・・

















土手の遊歩道の左側には、「味の素川崎工場」の塀が延々と続きます。 









更に歩いて行くと、多摩川が大きく内側に入り込むところがあり、その先に立派な飾りの付いた水門が?



近づいてみると、国有形文化財の「川崎河港水門」とあります。



説明版には、以下の様に書かれていました。

 第一次世界大戦による好景気のなかで、川崎市は、足りなくなった工場用地の拡大を図る運河・河港計画を立てました。

 この川崎河港水門は、この計画の一環として昭和3年に完成しました。

 この水門は、写真の様に、2本の塔、塔をつなぐ梁、ゲートによって構成されています。



 塔の頭頂部には、上の写真の様に、当時の川崎の名産品だったブドウ・梨・桃をあしらった装飾がされています。

 川崎市の工場用地の拡大を図る運河・河港の大計画のうち、この水門などの一部分は完成しましたが、他の施設などは、
日中戦争の戦局の悪化により、昭和18年に工事中止となりました。










土手の下に味の素工場の中へ入って行く感じの道があったので、土手を下りてみます。 







表示はありませんが、上の写真が、味の素工場の全景みたいです。



道の先は、京浜急行大師線の高架です。



味の素工場の全景を見て安心したので、土手の上の遊歩道に戻ります。 











「六郷橋」が見えて来ました。







六郷橋のすぐ左下を、京急大師線が走っています。



「六郷橋」に着きました。

1600年、徳川家康は、ここに六郷大橋を架けました。

しかし、1688年の大洪水で、六郷大橋は流され、以後、幕府は架橋を止めたので、明治時代に至るまで船渡しとなりました。

「六郷の渡し」は、当初、江戸の町人が請け負っていましたが、1709年、川崎宿が請け負うことになり、それによる渡船収入が宿の財政を大きく支えました。



六郷橋の脇には、上の写真の「六郷の渡し」の説明版と、下の写真の「渡船のモニュメント」がありました。




以下は、東海道川崎宿交流館に展示されていた江戸時代の「六郷の渡し」です。











 


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14:六郷橋へ

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