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多摩川を歩く (その12) (六郷水門:東京側)  2022.6.20




(写真は、近代土木遺産の「六郷水門」) 


 

 

”穴守さまの狐のたたり”と噂される「羽田の大鳥居」をスタートして、「羽田の漁師町」を歩いて、更に、「六郷大橋」を目指します。

(穴守さまの狐のたたりについては、「多摩川を歩く・穴守稲荷神社」を見てね。)     

                  





羽田側と川崎大師を結ぶ「大師橋」の塔が正面の遠くに見えて来ました。

(大師橋については、「多摩川を歩く・大師橋」を見てね。)  

   

                      

  



先ず最初に、工事中の「首都高速横羽線(首都高大師橋)」の橋梁がありました。



そしてこの工事中の橋梁の200メートル更に先に、写真の「一般道大師橋」の橋梁もありました。



(一般道大師橋と首都高大師橋との立体構造については、「多摩川を歩く・大師橋」の文末を見てね。) 

             

大師橋の辺りには、その昔、羽田の渡しがあり、その渡し船は、20〜30人も乗れる大きな船だったそうです。







上の写真は羽田第二水門です。



大師橋の下のアシが繁る辺りの川岸は、大田区の堤防の下にあるにも拘わらず、大田区ではなくて、岸の川崎市の「飛び地」です。(上下の写真の赤丸印)



(多摩川の汽水域:インターネット「六郷川の四季」から)

(多摩川の飛び地のもう1ヵ所については、「多摩川を歩く・大師橋」の中程を見てね。)       

                  













更に歩いて行くと、次第に、川面が見えにくくなってきました。













(六郷ポンプ所)







写真は、土木学会の「日本の近代土木遺産」にも選ばれている「六郷水門」で、「六郷用水」の排水口に位置します。

六郷用水とは、和泉多摩川の2キロ上流から取水され、田畑の灌漑をしながら、流域の雑排水を多摩川へ排出する役目を負っていました。

この六郷水門は、多摩川改修工事の一環として、当時の最先端の土木技術で造られましたが、現在では役目を終えて、地域のシンボルとなっています。









上の写真の「郷」のマークもレトロで楽しいです。

水門の背後には船着き場があります。



上の写真は、水門の管理事務所と思われますが、かなり古い建物です。



写真は、「雑色(ぞうしき)ポンプ所」です。



大田区にポンプ所が多いのは、低地で過去に水害が多かったためらしいです。





小学校の遠足でしょうか、大勢の子供達が雑草の中を大声をあげながら楽しそうに走り回っています。





この辺りのグランドは、結構、広くて立派です。



延々と堤防沿いの遊歩道が続きますが、トイレや水飲み場は、河川敷のグランド用のものが頻繁にありますので安心です。



ウォーキングでトイレの心配が無いということは素晴らしいことです!



しかし、遊歩道の脇のベンチは、カンカン照りの場所にあるので、このところの猛暑日には、休息していても頭がクラクラします・・・ 









国道15号(第一京浜)が走る「六郷橋」が見えて来ました。











この六郷橋の橋梁の更に奥には、写真の京浜急行の橋梁があります。 












これらの橋梁をくぐると堤防の土手へ登る石段があったので、石段で堤防を越えてから、下の住宅街に下り、「京急・六郷土手駅」で乗車して横浜へ帰宅しました。









 


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