本文へジャンプ
多摩川を歩く (その11) (羽田の漁師町:東京側)  2022.6.20





(写真は、羽田の漁師町の船溜まり)    


 

 



前回は、”穴守さまの狐のたたり”と噂される「大鳥居」を見物しました。




今回は、大鳥居を出て、多摩川の分流である海老取川に架かる「弁天橋」を渡ります。 



弁天橋の欄干には、江戸前の海苔の作り方がレリーフになっています。









海老取川の堤防沿いに、多摩川へ向かいます。



右側の多摩川に、左側から海老取川が合流します。



その合流地点の近くの海老取川の堤防の前に、写真の説明版が立っていました。



近寄って読んでみると、この説明版の下には、JR貨物線の羽田トンネルがあり、京葉線の貨物列車が走っているそうです。



(JR貨物線:両端が矢印の赤色の棒線の部分)



海老取川と多摩川の合流地点に、写真の「五十間鼻」がありました。

「五十間鼻」は、長さ50間(90メートル)に渡り、洪水時の急流から岸辺を守るために、川底に敷き詰められた石のことです。 



五十間鼻の先端には、水死して流れ着いた人々を祀る写真の「無縁堂」がありました。

関東大震災や東京大空襲では、多くの遺体がここへ流れついたそうです・・・









向こう岸は川崎市です。



上の写真は、現在の堤防と旧堤防の分岐点です。

左が現堤防沿いの遊歩道で、右が旧堤防沿いの道です。

取り敢えず、右の旧堤防沿いの道を歩いてみます。

多摩川の旧堤防は、現在の堤防の内側に、大正末期に作られたレンガ造りの堤防です。







多摩川の旧河岸に沿って、湾曲しながら続いています。

延々と続きそうなので、現堤防と旧堤防の分岐点まで戻ります。

 

現堤防沿いには上の写真の「玉川弁財天」がありました。

この弁財天弁は、もともと鈴木新田(今の羽田空港)にあったのですが、進駐軍の羽田空港接収時に、この地に引越しをさせられたのだそうです。



上の写真は、「白魚稲荷」で、いかにも漁師町らしい名前の稲荷です。



多摩川河口の漁師町「羽田」の風景です。

岸辺にはたくさんの小型漁船が係留されています。

古い歴史が残る漁師の町で、羽田空港の風景とは違う生活の息吹を感じる景色です。

のんびりと昔の江戸前漁村の羽田を思い浮かべながら歩いて行きます。

















写真は「羽田水門」です。





水門の裏側には、高潮時の緊急避難用の船溜まりがあります。 





上の写真は「2キロポイント」です。

川崎側のスタート地点は明確になりましたが、東京側のスタート地点(ゼロポイント)はご紹介しました様に不明です。

(ゼロポイント地点探しについては、「多摩川を歩く・川崎側の河口周辺」「多摩川を歩く・ソラムナード羽田緑地」を見てね。)