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多摩川を歩く (その10) (穴守稲荷神社:東京川) 2022.6.20




(写真は、穴守稲荷神社の稲荷山)     

前回は、多摩川沿いに歩くために京急の天空橋駅で下車したものの、予定外の「羽田イノベーションシティ」の見物へ行ってしまいました。

今回は、羽田イノベーションシティから天空橋駅へ戻り、多摩川堤防の方向の出口へ出て、当初の予定通り、羽田の漁師町を抜けて、
多摩川沿いに歩こうと思います。


多摩川源流を目指す旅のスタートにあたり、先ずこの羽田の守り神である「穴守(あなもり)稲荷神社」に参拝します。


 

 



天空橋駅の前の天空橋を渡り、右折して環八通りに出ます。








暫く歩くと、左手に「穴守(あなもり)稲荷神社」の稲荷山が見えます。





「穴守稲荷神社」の周辺は、江戸時代後期、新田開発が行われましたが、激しい波で何度も堤防に穴が開き、被害が絶えませんでした。 

悩んだ村民が、堤に稲荷大神の祠を祀ったところ、祠の”穴”は波風から”守”られ、五穀豊穣が続いたそうです。

これが、「”穴守”(あなもり)稲荷神社」の名前の由来です。

神聖な神社にも拘わらず、何となくテーマパークの様なワクワク感があります。







拝殿の隣には「千本鳥居」があります。







「千本鳥居」を進むと上の写真の「奥の宮」で、急な階段で「稲荷山(築山)」を登ると、頂上に「御嶽神社」があります。  

















稲荷山の下の洞窟の奥には、写真の「狐塚」がありました。





この神社の辺りは、明治29年に鉱泉が発見され、神社参拝のための京急電鉄も開通して、穴守神社一帯は、歓楽街として発展したそうです。

神社周辺は、旅館や土産物店、芸者置き屋などが立ち並び盛況を極めたそうですが、今は、その面影もほとんど残っていません・・・



上の写真は、神社のちかくにある江戸時代から続く老舗海苔店の「横山安五郎商店」です。



写真は、羽田の漁師町に来たら必ず立ち寄りたい「食通ゆたか」です。(月・火定休日)





ランチの「上穴子天重」(1,800円)を注文します。 



これまでに見たことのある穴子の中では一番大きく、ふっくらした穴子はホントに美味しく最高です! 

江戸前の海の幸の味を堪能しました。 

やはり、羽田の漁師町へ来たら、この店の穴子は絶対に外せません。

羽田でしか獲れないボサエビを使ったぼさ海老のかき揚げが名物らしいのですが夜のみみたいです。



食通ゆたかを出て、店の前の弁天橋通りを暫く歩き、弁天橋を渡って「大鳥居」を見に行きます。





大鳥居の脇の説明版によると、この辺りは、進駐軍に接収される前は、鈴木新田と呼ばれた埋立地で、夏は海水浴場、春は潮干狩りで賑わったそうです。

 






「穴守稲荷神社」は、進駐軍の接収により、已むなく冒頭でご紹介した場所に移転しました。

このとき、この大鳥居も併せて撤去しようとしたのですが、撤去のための綱が切れたり、米兵の死亡が続いたりしました。 

更に、撤去を依頼した日本人業者にも怪我が相次ぐ異変が起き、工事の引き受け手がなくなってしまったので、作業は断念されました。

地元では「穴守さまの狐のたたり」と囁かれています。

(進駐軍による接収については、「羽田イノベーションシティ」を見てね。)           

                                 



(接収される前の穴守稲荷神社の大鳥居)