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17-1:坂本




(写真は、おぎの屋の峠の釜飯)

前回は、横川駅まで歩いたので、今回は、湘南新宿ラインで高崎まで行き、高崎で信越線に乗り換え、終点の横川駅で下りて歩き始めます。

横川駅の隣と前は、
峠の釜飯のおぎの屋です。



おぎの屋の食堂で、釜飯を食べて腹ごしらえします。

横川駅の隣には、「碓氷峠・鉄道文化むら」があり、その横が「アプトの道」の入口です。



(鉄道文化むらとアプトの道については、2011.8.20「碓氷峠トロッコ鉄道周辺散歩」のブログを見てね。

横川駅から、坂本宿へ向かいます。

前回、電車の待ち時間の間にチラッと覗いた
碓氷峠関所を再び覗いてみると、資料館が開いていて、ボランティアのおじさんが二人で説明していました。



その説明の中で一番面白かった話は、明治維新で新政府の役人が、碓氷峠関所に火を放ったときの事です。

明治政府は、”徳川憎し”だったので、徳川幕府のあらゆる建造物を破壊し尽くしました。

明治政府によって、碓氷関所に火が放たれたとき、関所の同心・後閉は、火のついたままの関所の門を奪い、自宅の近くに隠し持っていたそうです。

写真は、
現在の関所の門ですが、その時に焦げたままです。


(赤丸の中の木材が焦げているのが見えますでしょうか?)

箱根、新居、木曽福島、碓氷峠の4大関所のうち、再建ではなく、当時のまま現存するのは、碓氷峠関所の門だけなのに、国指定の関所でないのは碓氷関所だけだと、ボランティアのおじさんがボヤいていました。



上の写真は、資料館に展示されている、和宮降嫁の際の碓氷峠関所を通過したときの記録です。


(通行手形)


(関所の役人の裃)


(関所の模型)



関所跡を出て、国道18号沿いを少しだけ歩くと、薬師坂という歩行者専用道に入り、この坂を登り切ると国道に合流します。











この国道を暫く歩くと、写真の坂本宿の大木戸があります。



坂本宿は、碓氷峠を控えて、泊り客が多かったので、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠40軒と大きな宿場町だったそうです。

この坂本の中央には、用水が流れていて、江戸時代に、この用水の左右に宿場町が作られたのだそうです。





写真の様に、坂本宿の正面に、
刎石山(はねいしやま)が見えますが、碓氷峠越えは、この山の尾根をたどって行くのだそうです。

(これから行く碓氷峠は厳しそう・・・



英泉の浮世絵は、この刎石山を背景に、宿場町を流れる用水が描かれています。

明治になり交通機関が整備されると、坂本の宿場町は衰退し、更に、長野新幹線の開通により、坂本の最寄駅の横川まで衰退してしまったそうです。



旅籠「かぎ屋」の看板が趣があります。



脇本陣跡は公民館になっています。








上の写真は、
佐藤本陣跡です。

以下、坂本宿の風景です。








坂本宿の出口近くに、
天然温泉「峠の湯」がありました。



この辺りは、中山道とアプトの道が並行して走るために、どちらの道からも入れる様になっています。

上の写真の様に素敵な外観の立派な温泉です。(500円)

碓氷峠を前に、露天風呂にゆっくりと浸かり、ソフトクリームを食べて英気養います。



施設の人の話だと、この温泉施設は、峠の釜飯のおぎの屋の運営らしいです。


宿場を抜けると、すぐに八幡宮があり、その横に、芭蕉の句碑がありました。





”ひとつ脱いで うしろにおひぬ 衣かへ”



(芭蕉が、旅の途中で汗をかき、重ね着を1枚脱いで、衣更えの季節を知った、という意味だそうです。)




さあ、坂本宿を抜けて、いよいよ、中山道の最初の難関・碓氷峠に挑みます!



(横川駅から坂本宿までは、約2キロです。)


16:松井田へ

17-2:碓氷峠へ

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