松井田宿は、信州諸藩の年貢米が、一旦、ここに集積され、それから江戸へ搬送するため中継地でした。
![](m_0249.gif)
しかし、全てが江戸へ運ばれる訳ではなく、一部はここで売却されたので、松井田宿では、米相場が立つ様になったそうです。
また、松井田宿は、妙義山への追分でもあり、中山道の旅人だけでなく、妙義山詣での人々でも賑わっていたそうです。![](s2_sum_mount.gif)
![](20cb2293f10c31e8ec47238d0b8d1032.jpg)
その妙義山詣での登山口の表示が、松井田宿に入った直ぐの街道沿いの「かんべや」の古い看板として残っていました。
![](1b2ed944ed85ed9aae55b05f62899056.jpg)
(妙義山)
松井田宿は、本陣の名残は何も残っておらず、電柱に写真の説明書きがあるのみです。
![](3ffdf80fa64fc588554821c8e2e6d540.jpg)
でも、旧道沿いには、下の写真の様に、趣きのある民家が点在します。![](m_0140.gif)
![](1c858499e14df51d935d0784a35c0592_s.jpg)
![](69d90c58757c16641a9c79d33c0d249f_s.jpg)
![](42ba25fd85ebeec8ff62e610514d1c71_s.jpg)
![](b27abc943820ba1079a06b8dc069a1aa_s.jpg)
![](9f2a774bb70f8f6153fdfde38ecfff55_s.jpg)
![](1bd378b8e58716f205af010a957d46bf_s.jpg)
・不動寺![](waraioni.gif)
![](83ac1bf0a573d9aaac06ed5386d9d369.jpg)
街道を少し右入った場所に、不動寺があります。
![](d38433464e19d8e987eceb45230231be.jpg)
立派な山門の両側に、写真の真っ赤な仁王様が立っています。
![](27c44001b95f651c4a8899e54c40ee3c.jpg)
山門の前に、卒塔婆(そとば)の役割をしていたという「板碑」がありました。
松井田宿は、お寺や公民館の前に、トイレがあり、非常にありがたいです!
![](face2_happy_s.gif)
・松井田城址
![](386d65f765e8ea3beb962c3f760aea62.jpg)
街道の右側に、写真の石垣があり、普通の石垣だと思って通り過ぎようとしましたが、説明板がありました。
![](6f56ea0878cd151c813e9b55a40a18cc.jpg)
読んで見ると、この石垣が松井田城址とのこと。
松井田城は、戦国時代は、小田原氏の北関東の守りの中心でしたが、豊臣秀吉の小田原城攻めの際に落城し、その後は再建されなかったそうです。
・補陀寺![](m_0038.gif)
![](bda4b822190c4ee879ccc01029408df3.jpg)
石垣の隣には、北条氏の家臣・大道寺の菩提寺である補陀寺があります。
![](23e7ff5c07be79bc7019392543d4c84d.jpg)
北条氏を滅ぼした加賀藩・前田家の大名行列が、この補陀寺の前を通過するときには、墓が悔し涙を流すそうです。
なるほどね〜!![](m_0151.gif)
宿場町を抜けて、信越線の踏切を渡り、国道18号を斜めに横切り、高速道路の下をくぐると、やがて五料の茶屋本陣です。
![](938c48132b20b9f5873c8db124890708_s.jpg)
![](6de12e0c8e61bfb7c076ffe92b9e7c10_s.jpg)
![](1f707c35824c7178a76dbd363faf47ee_s.jpg)
・五料(ごりょう)の茶屋本陣![](ny_kimono_m.gif)
(お西茶屋本陣とお東茶屋本陣)
茶屋本陣は、信越線の線路の向こう側にあり、一般公開されています。
信越線の踏切を渡り、茶屋本陣へ向かうと、入口の左手が、お西茶屋本陣で、右手がお東茶屋本陣です。
![](0c5a97788ce0fa07cb3d2f252412727c.jpg)
![](11efdb84eb795e5b241da19bb3c948ce.jpg)
写真の様に、どちらもお茶屋とは思えないほど立派で、普通の本陣よりも立派かもしれません。
![](bcfcb9d683def5a4b4c8e2aa51396671.jpg)
![](fac46e0653778a318b3e7693e3ed0334.jpg)
![](5d8370ebb7e0db8fc53931738cb1eeca.jpg)
お西茶屋の2階は資料室になっています。
写真は、その資料室に展示されている「高杉晋作」と 「西郷隆盛」の指名手配書である人相書です。
![](c958717999c8c6d735305fdf9d5188dc.jpg)
![](cat_5.gif)
二人は、幕末には、幕府からすると、お尋ね者だった、ということなのでしょうかね。
![](0bc17b093fb99374913e5ea136e0db23_s.jpg)
![](bd9c092a035306ba907b6a62f0d958bf_s.jpg)
![](8389534c202a374b72e5e072c397dd06_s.jpg)
![](d853e6f7be5c8a1299471efbdf64bdfc.jpg)
(お東茶屋本陣から妙義山を望む)
・夜泣き地蔵
![](c9e37f06b7dc38360017c33057ea9674.jpg)
街道は、カーブを描いて、やがて国道に突き当たりますが、その手前の信越線の踏切を渡り、急な坂道を登ってゆくと、坂の途中の左手に、夜泣き地蔵がありました。
写真の右端の大きなお地蔵様が夜泣き地蔵だそうです。
旅人が、荷物のバランスを取るために、ここに落ちていた地蔵の首をつけて深谷まで行き、用済みになったので、首を道端に捨てたところ、その首が夜な夜な”五科悲しや”と泣いたそうです。
そこで、深谷の人が、首をここまで運び、首を付けてあげた、ということです。![](face2_happy_s.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/8b/ee14d8a5bfa481c6ae11847f7816dfb7.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/30/67a1ba4a4102c815f05b2636144c7f08.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/40/033cbdfd6ba9cb13396847ebed4b32f4.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/6f/875e03a6829e3ac48553985517062023.jpg)
夜泣き地蔵を過ぎ、信越線沿いの細い旧道をしばらく歩くと、やがて下り坂となり、信越線の踏切を、臼井小学校の側へ渡ります。
街道の両側に、道祖神や「百合若大臣の足痕石」などを眺めながら、再度、信越線の踏切を渡ると、やがて信越線の終点・横川駅に到着します。
![](9e46b0043b5aad9606a00229442cd4af_s.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/14/8c040da061a262eccf7d7324ee863901.jpg)
![](9acff34555077cd394190caccebd3f2e.jpg)
横川駅で、懐かしの荻野やの釜めし弁当をお昼に食べます。![](hamster_2.gif)
・横川関所跡
![](ecdef1cd9c34acce4b7e4adf6a58190d.jpg)
横川駅の奥に、横川関所跡があります。
![](f50a6fcbceb8fe4582051f3985627966.jpg)
下の写真は、旅人が手形の改めを受ける際に、手をついたという「おじぎ石」です。
![](904c7ebf527d6a30896382801869ae70.jpg)
浅田次郎著「一路」では、やっとの思いで松井田宿に到着した大名行列は、主君の左京大夫が急病で寝込んでしまい、当時、天下の大罪である”参勤の到着遅れ”の危機が迫ってきます!
大名行列は、武士にとっては旅行ではなく、軍事訓練の一つの行軍訓練でした。
そう、江戸入りの遅れは、武士にとっては、合戦における着陣の遅れに等しかったのです。
![](cat_6.gif)
主人公の大名行列が、幕府から許された旅程は13日間で、ごれは幕府の厳命です。
(厳しい!私なら13日間では絶対に無理!)
そこに救いの神「安中の遠足(とおあし)」が現れます。
そう、前の安中宿で書いたあの「安政遠足(侍マラソン)」です!
![](body_run.gif)
左京大夫と親しかった安中藩主の命を受け、精鋭の3名の安中藩士が、到着遅延の届出状を携えて、昼夜を問わず、一気に江戸城までの130キロを走り抜けたのです。![](m_0199.gif)
信越線の終点駅・横川から横浜へ帰ります。
![](m_0030.gif)
入線してきた列車のドアが開きません。 そう、信越線は、乗り降りは、開閉のボタンも無く、”よっこらしょ!”と、力を入れて自分で、ドアを横へ開閉しなければなりません。![](m_0199.gif)
松井田宿から坂本宿までは、意外と距離があり、約9キロです。![](body_walk.gif)
|
|