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13:高崎




(写真は、だるま弁当)

高崎宿は、本陣・脇本陣が共に無く、旅籠も僅かに15件と、宿場の機能としては貧弱でした。

これは、
松平8万2千石の城下町だったため、参勤交代の大名らは、遠慮して泊まらなかったからだそうです。

なるほど!そういう事か〜。

そして一般の旅人も、城下町の宿場町は、堅苦しくて、羽目をはずして遊べないので、宿泊を避けたらしいですよ。

ただ、高崎宿は、商業都市として、非常に賑わっていたということです。


・高崎市役所の展望台





 展望台からは、高崎の市街地、遠くの山並みが、写真の様に一望出来ます。烏川、碓氷川も見えます。



 「09:深谷宿」から、富士山みたいに見えた山は、どうやら浅間山の様です。



 下から見たら、富士山そっくりに見えたんですけどね・・・

 

 歩いてきた旧中山道も見えます。



 写真に、旧中山道を赤線のマーカーで印を付けてみました。


・高崎城址公園





 高崎市役所の前が、高崎城址公園です。


・だるま弁当



 お昼は、写真のだるま弁当を買って、城址公園で食べます。

 しっかりした味付けで、キノコの炊き込みご飯の上に、山菜がたっぷり乗っています。

 具は、この山菜の他に、、焼き豚、しいたけ、おたふく豆、クンニャクがあり、おふくろの懐かしい味です。



・諏訪神社



 高崎城址公園から旧中山道へ戻るその角に、なまこ壁の土蔵造りの諏訪神社があります。


・大信寺



 この寺の境内には、
三代将軍・家光の弟の忠長が眠っています。

 
忠長は、二代将軍・秀忠に可愛がられ、三代将軍にほぼ内定していました。

 しかし、時の権力者・
春日の局(家光の乳母)の策略により、家光に将軍の予定の座を奪われてしまいます。


 それでも、いったんは、駿府城55万石を与えられますが、その後に、春日の局に追い打ちをかけられます。

 謀反の疑いで、ここ高崎藩にお預けとなったうえに、
28歳のときに、自害に追い込まれます。





 兄弟のどちらが世継になるかという話しに過ぎなかったのに、女の権力争いに巻き込まれてしまったんですね。


 かわいそう〜!


高崎市街地は、ビジネス街で、当時の宿場町の面影を残す建物はほとんど残っておらず、旧中山道の表示もありません。



市街地を抜けるのは、表示も無く、ガイドブック無しでは、旧中山道の道筋をたどることは出来ません。



市街地の本町1丁目の交差点を渡ると、緩やかな下り坂となり、繁華街を抜けた、旧中山道らしい道路のカーブが続きます。


・君が代橋



 明治天皇がご巡幸の際に「君が代橋」と名付けられたそうで、その頃の親柱が、現在の君が代橋の近くに、写真の様に保存されています。


・烏川



 烏川が蛇行しているからでしょうか、旧中山道は、烏川を何度か渡ります。

 烏川を渡り、最初の信号を国道から外れて右の旧中山道へ入ります。



 上の広重の浮世絵の遠景は榛名山、正面の川は烏川です。

 烏川に張り出した藁ぶき屋根の茶屋があり、街道を裕福な女の旅人とそのお供の男が歩いています。



 この二人に、ゴザを背中に背負った貧しい男が施しを受けようとしています。

 施しが貰えそうなのを知った左の人足が、扇子を手に、自分も貰おうと、慌てて走り出しています。


・草津温泉道標



 草津温泉道標を目印に、二つ目のY字の分岐を左側の道に入ります。

 写真の「草津温泉道標」には、「左 中山道」、右「榛名山 草津温泉」と彫られています。

 弥次さん喜多さんも、ここから草津温泉へ行き、長逗留したあとで、草津からここへ戻って来ました。


・茶屋本陣・飯野家







 茶屋本陣とは、大名の宿泊用の本陣とは異なり、立場(たてば)に置かれていた大名の休息所のことです。

 立場とは、次の宿場町が遠い場合に、その途中に、休憩施設として設けられました。






 休息所とはいえ、茶屋本陣には、宿場本陣に劣らない豪華な家もあったそうです。


・少林寺 達磨寺


 旧中山道はやがて、広い国道18号に合流します。

 殺風景な国道18号を歩いてゆくと、左手に烏川が並行して流れています。

 その烏川の対岸に、高崎名物のダルマで有名な少林寺達磨寺があります。

 高崎市の西の小高い丘陵の斜面に位置し、自然に囲まれて、とても落ちついた感じの黄檗宗のお寺です。

 「縁起だるまの少林山」とあるように、福だるま発祥のお寺です。

 JR高崎駅からバスも出ています。

 本殿は、写真の200余段の石段を登ったところにあります。












・八幡宮



 高崎の少林寺達磨寺の長い階段を下りて、碓氷川を渡り、元の国道に戻り、しばらく歩くと、右手に巨大な赤い鳥居が見えてきました。

 でかい〜!


 
この鳥居を右折すると、八幡太郎義家ゆかりの写真の「上野国一社 八幡宮」への、長〜い参道です。

 この八幡宮には、源義家の甲冑(かっちゅう)が奉納されているそうです。







参道の途中には、写真の様な野菜の無人販売が・・・




高崎宿から板鼻宿(群馬県安中市)までは、約8キロです。


12:倉賀野へ

14:板鼻へ

           
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