御由緒
当社は旧河内国渋川郡大地村にあって八幡神社と云い創立年代は明らかでないが当時の地名を大地と称えるのは和名類聚抄に邑智(おおち)のことは明らかである。
和名抄巻の六に 河内国 渋川郡 竹渕 邑智 餘部 賀美 とある。
元来日本の国の風習として昔から人が住めば必ず始祖紙(氏神)を祀る。それで人皇第六十二代(紀元一六〇七年)村上天皇の御時編纂せられた和名抄に当地名が記載せられてあるのを以て見れば当時既に神社の祀られて居ったことは疑う余地がないのである。延喜式神名帳は人皇第六十代醍醐天皇の御時編纂せられたものであって和名抄の編纂とは僅かに数十年前である。故に邑智の名称は延喜の頃すでに河内五郷の一として盛大な村落であったことは明らかである。
それで延喜式編纂当時に八幡神社が存在して居ったが神名帳に洩れたものであろう。式に洩れた社を式外と云い有名な社もその間に多くある。
当社には式内横野神社があり、人皇第十一代垂仁天皇の第二皇子印色入日子命を祀る。昔神威輝き享保の頃まで衰退して居ったが同十六年再興せられたのである。その都度八幡神社の境内へ移した事があったと云う。明治五年七月村社に列らなり、同四十年四月二十七日付を以って政府より許可を得て次の五社を合祀し、村の名をとって巽神社と改称する。
一、大地字印地 横野神社
二、伊賀ヶ字伊賀ヶ 天神社
三、西足代字葭の内 天照皇大神社
四、矢柄字宮の前 熊野神社
五、四条字山小路 天神社
明治四十年十二月五日合祀祭を執行する。
社殿は流造。元の建物は享保五年の建築にて腐朽甚だしきため昭和五十年六月御造営する。
末社 稲荷社豊川稲荷大神を祀り昔より守護神として当境内に安置する。賽神社、八衢彦、八衢姫、久那斗神を相殿として祀る。
氏子区域 旧巽町全域(巽中・巽南・巽東・巽北・巽西)
夏季(七月十五日)・秋季(十月十五日)の大祭には四台の地車と一台の太鼓台が宮入し、たくさんの参拝者と見物人で大変な賑わいを見せる。
御祭神
・主祭神 応神天皇(品陀別名命)
・相殿 印色入日子命
伊弉冊尊
天常立尊
天照皇大神
天児屋根命
菅原道真公
・豊川稲荷社 豊川稲荷大神
賽神社
八衢彦
八衢姫
久那斗神
・熊鷹稲荷社
・伏見稲荷社