『ラストエンペラー』(The Last Emperor)['87]
監督 ベルナルド・ベルトルッチ

 三十七年前に地元の松竹ピカデリーで観て以来の再見。定例合評会での長尺アカデミー賞作品賞映画の二本立てとして『ガンジー』と並んで課題作となったもの。公開時に観たときは、なかなかの作品ながら英語を喋る東洋人に対する違和感が些か気になった覚えがあるが、今回『ガンジー』とカップリングされたことで、歴史上の人物とはいえ前世紀半ばまで生きていた人を描いた作り手における、志に大きな差があることを強く感じることとなった。

 三年前に四十年ぶりに再見したガンジー['82]によって感銘を新たにしたことに比して、ベルトルッチの描く愛新覚羅溥儀(ジョン・ローン)には、血筋に翻弄される悲劇に見舞われたイノセントな人物という仕立てというか、脚色が殊更に施されている気がして画面の見事な鮮やかささえもが、何だかこれ見よがしな外連味のように映ってきたところがあった。溥儀を描出することよりもベルトルッチ映画を仕立てることのほうに注力している感があったような気がする。そのために溥儀に限らず、登場人物の描出の仕方が妙に薄っぺらく感じられ、甘粕大尉(坂本龍一)と川島芳子(マギー・ハン)が密かに通じ合っていることを表した“固く握り合う手のショット”につい失笑したり、市民ケーン['41]の「rose bud」を想起させるような最後のコオロギにも、あざとさのほうを強く感じた。

 溥儀の辿った人生を思えば、本作で滲ませていた気のするイノセントさよりも、事態に強かに臨みながらボンボン育ちの力量不足により、血筋を利用され翻弄されるに至った人物像のほうに納得感があり、英語で話すこと以上の違和感が付きまとったように思う。


 しかし、前日の邦画篇の倍の数となる六人が集った合評会では、映画作品への支持は四対二で『ラストエンペラー』が上回った。余りに立派なガンジーの生よりも溥儀の物悲しく哀れな生のほうが響いてきたという声や、ヴィットリオ・ストラーロ撮影による画面のスケール感や美しさから映画的仕上がりに優るという意見だったように思う。公開時に観たときの「なかなかの作品」という僕の印象は、同じようなところから生じたものだろうという気がするが、時を隔てて再見すると、そう素直には映って来なかったわけだ。

 僕と同じく『ガンジー』のほうに投じたメンバーから、僕が『ガンジー』を推した理由を訊ねられ、三年前の日誌に綴ってあることを話すとともに、上記の『ラストエンペラー』に対する感想を述べると、先に『ラストエンペラー』のほうに投じたメンバーからも思わぬ賛意が得られたりした。もっともそれと同時に「素直に映って来なかった」ことに対する揶揄も返ってきた。
by ヤマ

'25. 5.14. DVD観賞



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