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『教皇選挙』(Conclave)['24] | |||||
監督 エドワード・ベルガー
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都会で暮らす映友たちから薦められながらも、過去に『グラン・トリノ』さえ上映されなかった当地で果たして観られることになるのだろうかと案じていたが、折しものコンクラーベフィーバーとも言うべきTVの騒ぎように押されたのか、突如、前触れもなく上映が始まったので、観に行ったものだ。 なるほど、なかなか面白かった。排すべきなのは、カトリック原理主義とも言うべき“確信”に囚われた保守派枢機卿テデスコ(セルジオ・カステリット)なのか、前教皇による改革を引き継いで最高位に就く野心を露わにし始めたベリーニ枢機卿(スタンリー・トゥッチ)なのか、三十年前の性的過誤にほっかむりをしていたアデイエミ枢機卿(ルシアン・ムサマティ)なのか、裏金作りや買収に勤しみライバルを蹴落とすための権謀術数を巡らせるトランブレ枢機卿(ジョン・リスゴー)なのか、教皇選挙に限らない、権力者を選出する「選挙」なるものにつきまとう問題の核心を炙り出していたように思う。 教皇選挙の初日に首席枢機卿トマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)が行った信仰に対する「確信と疑念(僕的には「信念と懐疑」)」に掛かる説教になかなか説得力があって、かねてより何事につけ懐疑派を自認している僕には大いに響いてきた。繰り返される投票過程が興味深く、ダークホースが選出されるという結末は、予定調和的でありながらも、そこにひと工夫が施されていて、原理主義とされるものとは異なる原理の真の姿はここにあるとのメッセージに打たれた。高校の世界史に出てきたインノケンティウスの名に覚えはあるものの、特にイメージがなかったので、ベニテス枢機卿(カルロス・ディエス)がどういう着眼から引いたものなのか気になった。 奇しくも、過日観た『お坊さまと鉄砲』でフォーカスが当てられていた「選挙」という制度の持つ問題点と希望の両方が浮かび上がっていたように思う。そこで問われるのは、被選挙人たる候補者以上に、選挙人のほうだということだ。そのこと自体は、制限選挙であれ普通選挙であれ同じなのだが、理念的にはより望ましい普通選挙のほうが、選挙人の知見の底上げがより難しくなるとしたものだ。そして、知見の底上げに何より必要なものは、候補者についての情報ではなくて、きちんと社会観や歴史観、倫理観を培う教育と学習の機会の確保だという気がする。 すると、本作を薦めてくれた都会の映友女性が「面白かったでしょう? 感想で、前教皇が策士だと書いてあるのを散見するんですが、私はあれこそ愛であると思いますね。苦しんで答えを出したり、悩んでチョイスするからこそ、その人の血となり肉となると思うんです。だから、凄く感動しました。自分がピュアな気質で良かったわ(笑)。」とのコメントを寄せてくれた。教育は愛か、成程と思った。少なくとも策士という言葉の持つニュアンスによる策ではない気がする。トマスの辞任を引き留めて彼にコンクラーベを仕切らせたことにしても、ベニテスを枢機卿に引き上げたことにしても、或いはその辞任を引き留めたことにしても、いずれも策として弄したものではないように思う。前教皇の意図が、ベニテスやトマスを通じて本来の原理に枢機卿たちの眼を向かせることだったとすれば、それは映友の指摘どおり、策ではなく愛だと思う。 | |||||
by ヤマ '25. 5.11. TOHOシネマズ6 | |||||
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