ミュンシュによるプログラミング講座

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プログラムの作り方について、元祖熱血男シャルル・ミュンシュはこのように書き記しています。

プログラム!コンサート前に指揮者につきつけられる最初の難問だ。たくさんの要素が考慮にいれられなければならない。

まず第一は、あなたの←このサイトの場合クライバーの個人的な好みだ。あなたの好きな音楽を演奏しなさい。しかし、気をつけなさい。そして二つか三つのプログラムの上にあなたの全履歴を築かないようにしなさい。そのプログラムはたぶん成功疑いなしかもしれぬが、必ずしも音楽に奉仕することにはならないだろう。いずれにせよ、あなたはきまりきった習慣的行動という流砂の中にはまり込むおそれがあるし、きっとそれ以上勉強しなくなろう。←カルロス君、ここんとこちゃんと赤線引いとくように!

(中略)

プログラムが長過ぎないようにしないと、あなたは聴衆を退屈させることになるだろう。音楽は、それを演奏する人々の側の、またさらにそれ以上に聴く人々の側の、神経の強度の緊張を要求する。その緊張を濫用しないようにしよう。もしも自分の背後で補助椅子が音を立てるのを聞いたり、うんざりしているのを感ずるのを望まないなら、コンサートの平均時間は、音楽が七十五分を越えてはならない。←CD一枚分というわけですな
プログラムの典型例をあげるのはむずかしい。しかし私に妥当なように思われる組合せは、以下のようなものだ。

一、 ハイドン、モーツァルトといった古典的交響曲か、もしくはバッハかヘンデルの曲。
二、 むずかしい曲。ここはバルトーク、ストラヴィンスキー、ベルクなどの占める場所である。
三、 大きな交響曲。

重要なことは、要するに、まずはじめに聴衆の受容能力を鋭敏にすることによって、場を用意することである。次に、この受容能力が最良の点に達したなら、聴衆を辟易させるかもしれない大胆な和声を好きにさせようとする。それから、がっしりとして豊かな古典的音楽で、その雰囲気をやわらげねばならない。

(中略)

あなたのプログラムは、聴衆の注意を絶えず引くように組み立てなさい。そのためには二つのやり方がある。抒情的な<圧力>が絶えず増大する作品を選ぶことと、非常に異なる時代、様式、着想をもつ作品をならべることによって多様であるとの印象をあたえること、である。現代では、ベートーヴェン、ベルリオーズ、チャイコフスキー、ラヴェル、等々の<フェスティヴァル>が非常に濫用されている。私個人はこのやり方にあまり賛成ではない。私はそのレッテルが好きではない。←ベートーヴェン・チクルスとかそういう類の催しを指しているのでしょうか

何年か前から、アメリカでは、独奏者が登場するならプログラムの最後に置くのが習わしになっている。だが独奏者はコンサートのまとまりを破るこのやり方をあまりよしとは思っていない。私はこんなふうに独奏者を<珍しい動物>よろしく見世物扱いするのが得策だとは思わない。プログラムののこり全部が曲芸師登場の前座の役しかしないという印象を聴衆にあたえる恐れがあるのだ。それは、まあ、多少ともはなばなしい出し物を見せて見世物を引きのばし、そのあとみんなが待っている人気歌手の登場となる演芸場のやりくちである。

大ピアニスト、大ヴァイオリニスト、大チェリストはすべてこの術策をひどく嫌っている。音楽はかしずく騎士を必要とするのであってパレードの騎兵を必要としない。

シャルル・ミュンシュ著「指揮者という仕事」(福田達夫訳・春秋社)

-赤字はkoyamayaのコメントです-