🌱 鍼灸・太極拳との出会い
高校時代、北戴河にて李経梧氏と馮益建氏に出会い、太極拳をはじめました。実際に李経梧大師が若い十人程度の男性を次々と弾き飛ばす「推手」を見る機会がありました。率直に「仙人に出会ってしまった。この太極拳を学ばないわけにはいけない」と思いました。
高校卒業後に「東京医療専門学校(呉竹学園)」に入学・卒業し、日本国家試験に合格して鍼灸師免許を取得いたしました。
🏥 遼寧中医学院付属医院にて2年間研修
中国瀋陽市の遼寧中医大学院付属医院にて、彭静山氏の後継者である田維柱氏に師事し、大学病院の鍼灸・神経内科で2年間研修。その間、推拿科でも推拿や整体・按摩など様々な手技を学びました。
遼寧中医学院附属医院は、遼寧省で唯一の東・西洋医学総合の大学病院で、治療の中心は鍼灸や漢方薬・推拿(按摩)を用いて西洋薬は補助で用います。
初めて本当の鍼灸と出会い、鍼灸の無限の可能性に魅せられた。田維柱先生は彭静山大師の一番弟子、彭先生引退後、後を引き継ぎ、多くの患者さんに追われています。今では全世界でも有名で、国家から中国名医と認定を受け「世界名人録」にも載っています。
遼寧中医大学院付属医院にいってまず驚いたことは、日本の治療院と全く患者の種類が違うことだった。半身不随や顔面神経麻痺、精神的な病気から婦人科の病気まで幅広く、しゃっくりが止まらない人や手足が勝手に動いて止まらない人など、さまざまな疾患を治療する機会を得ることができた。
脳卒中などで立つこともできない患者さんが田先生の刺した数本の小さい針によって、その場で立って歩けるようになったこともしばしばで、そのときの患者さんやその付き添いの喜びと涙にとても胸を打たれて、一晩寝られないときもあった。「すばらしい」と心から思った。
🏙️ 麻布十番で鍼灸院をOPENし、院長を務める
帰国後、劉勇先生に出会い、推拿や整体・鍼灸などを数年間学ぶ。
日本ではただ病気が治ればいいのではなく、鍼灸の痛みを最小限にし、患者さんの負担を最小限にしなくてはいけないこと。また、日本人に合った治療法へと工夫し、気持ちの良い治療にしなければならないことなど、たくさんの貴重なものを学ぶことができた。
麻布十番で院長を任され、多くの経験を積むことができた。麻布の場所柄から様々な国の方や有名人もよく治療に来られ、人種の違いや有名度に関係なく、人間の体の中は同じであり、平等であることが実感できた。周りにもたくさんの治療院があり、その中を勝ち抜けたことも自信となった。
📖 専門誌「医道の日本」へ3か月連続連載を執筆
東洋医学・鍼灸の専門誌である「医道の日本」にて、3か月連続で連載を執筆いたしました。臨床現場での実践的な知見や、25歳での開業の心境を綴りました。これまでの学びを広く発信する貴重な機会となりました。
🥋 中国北戴河にて太極拳を修行
中国国家気功教育基地にて馮益建氏に師事し、1年半に渡り住み込みで修行をしました。太極拳の修行に土日はなく、毎日朝6時から始まり、週7日、毎日夜まで練習ができました。
はじめは体がとても辛くて、くたくたでくじけそうでしたが、よく考えると馮益建先生も同じく休みなく指導してくださっているので、頑張ろうと決心しました。
無口な先生も太極拳にはとても厳しく、指一本に気を抜いても許さない。長い長い修行だったが、健康に良いだけでなく、思想や生き方までを変えてしまう、本当の太極拳のすばらしさを体で感じられました。
またこの期間で、鍼灸の治療効果が遥かに良くなったことにも驚きました。鍼灸も健康も太極拳も気が重要であると実感できるようになり、体から心までキレイに健康にしてくれた太極拳を日本で広めることを心に誓いました。
🏛️ 2003年|気泉鍼灸治療院を開院・太極養身会を設立
台東区浅草橋に「気泉鍼灸治療院」を開院しました。
また、「太極養身会」を発足させ、同地に本部を置き、太極拳の指導を開始しました。
さらに、錦糸町の読売カルチャーで指導を始めました。
その後、馮益建先生と一緒に太極拳の修行を励む様子が紹介され記事として、全国の新聞に紹介されました。
🏢 2011年|国際太極拳導師学院・蘇麗太極拳スタジオ開設
気泉躍進株式会社を設立。
国際太極拳導師学院・蘇麗太極拳スタジオを開設し、深い内容の教授と学びやすい環境を整備できました。
ラジオ・テレビ出演や、雑誌など多方面で活動を展開。
🤝 拝師儀式(はいしぎしき)
馮益建大師に潘麗娜と共に拝師をしました。同門の達人の前で弟子の決意表明をし、正式な伝人(伝統技法の継承者)となりました。
・気泉鍼灸治療院 院長
・太極養身会 会長
・国際太極拳導師学院 学院長
・中國特種鍼法研究専門委員会理事
・気泉躍進株式会社 代表取締役社長
・読売・日本テレビ文化センター太極拳講師