都留歴史倶楽部    NO.4  2001.1.1作成
◇ 冬の風物詩-水菜の収穫
 清冽な富士の湧水を利用して育てられた水菜の収穫が市内の十日市場で行われています。水菜は、アブラナ科の1〜2年生葉で、白菜と同種の野菜ですが、当地方では野菜の採れない冬場の青物として、正月のお雑煮に添えられるなど珍重されています。
 十日市場地区は、溶岩台地(十日市場溶岩など)の末端に位置し、各所に湧水が認められ、特に、柄杓流川の右岸段丘は、長慶寺周辺からの湧水が、田畑を潤しています。
 水菜などの水耕栽培として、富士北麓地域では水掛麦が有名です。戦国時代からこの水掛麦の栽培が行 われていました。
 
「天文14年(1545)此年正月度々大風吹申侯余り不思義さに書付申侯此年春人々つまる事無限二月十一日富士山より雪しろ水おして吉田へおしかけ人馬共押流し申侯殊に其水にて下吉田冬水麦を悉押流」『勝山記』
 
この水麦が、桂川や宮川を利用しておこなわれた水掛麦です。また、大正3年の『山梨県南都留郡勢一班』には、「瑞穂明見東西桂ノ諸村ニテハ桂川及宮川ノ水ヲ畑二注ギ他ノ肥料ヲ用ヒズシテ麦及菜ヲ作ル之ヲ水潅ケ麦水潅菜卜称シ本郡ノ特産タリ品質良好一段ノ嗜好二適ス古ハ毎年幕府二献上セリト云フ」とあります。
 現在では、水掛麦の栽培は行われなくなり、また、水掛菜もわずか十日市場などでみられるだけとなりました。
◇「不惑は満月」芭蕉も悩んで新境地を切り開いた。
   『アエラ2000.1.1-8号』記事

 『アエラ2000.1.1-8号』の特集は、「21世紀を動かす40代100人」でこの冒頭の振りとして、松尾芭蕉が取上げられています。
 芭蕉の俳諧の世界を考えるとき、「わび」「さび」「不易流行」「かるみ」など、いくつかの大切な言葉があるとされております。
 これらの内、39歳から40歳にかけて体得したのが「わび」です。貞享元年に旅立った「野ざらし紀行」には、自らを「侘びつくしたるわび人」という一文が認められます。
 延宝8年(1680)、江戸市中から深川への隠棲。天和2年の暮れの大火。そして、翌年、甲州谷村(現都留市)の国家老高山伝衛門(俳号麋塒)の招きで、谷村に半年余りの逗留。
 この間、火災直後の天和3年正月に詠んだ「歳旦発句」

   「元日やおもえばさびし秋の暮れ」

 翌天和4年正月に呼んだ「歳旦発句」
   
「我富り新年古き米五升」
 両者には、明らかな芭蕉の心境の変化が読みとれます。
 「わび」の境地をめざして深川に隠棲した芭蕉でしたが、大火で被った影響は物心ともに大きく、正月を迎えても、それを「思えばさびし秋の暮」と現状を受け止めることが、精一杯であったと感じられます。
 しかし、翌天和4年の句は、貧しくても、どこか明るい。米櫃代わりのひょうたんに、古米が五升だけの正月。しかし、この入れ物にはもともと五升しか入らない。だから、「我富り」。不完全な状態、生活のマイナスをただ嘆くのでなく、それを良しとして楽しむ。
 これこそ「わび」の境地であり、芭蕉にとって天和3年は大きな節目となった年といえます。そして、その舞台となったのが谷村でした。
【詳しく知りたい人】  松尾芭蕉
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