臨床余録
2026年7月26日
N君やT君のこと

 「ドクターが来たよー」大きな声がホールに響く。N君。出入り口近くの自分の定位置に坐り、ドクター来訪を周囲に伝える。そして、「ドクター、今日も歩いたよ」とリハビリの報告をする。現在のグループホームに来るまでは知的障害に伴う重度行動障害(いわゆる自傷他害)のため精神病院に隔離されていた。内服に加えて持効性向精神薬の注射によりやっと落ち着きを得、ホームに入所してきた。脳血管障害の既往もあり歩行は困難である。当初は主治医である僕を「おじいちゃん」と呼び、「おじいちゃん、ごはんをください」と繰り返していた。食べることへのこだわりがあり満たされないと部屋に閉じこもりガラスを割ったりすることもあった。病院と違って患者ではなくその<人>と向き合うのが理念であるホームのスタッフは彼の訴えに耳を傾け、その気持ちに添うやり方をしてきた。例えば話をよく聴き、お菓子などを与えるようにしたところ彼の不機嫌はおさまる。病院の医師からの紹介状にあった強力な精神科薬の注射を続ける必要はなくなった。少しのお菓子が注射を凌駕したようにみえるが、実際はここに来るまでの過酷な体験を持つ彼という人間を深く受け止めた、そのことが大きいと思う。冒頭の「ドクターが来たよ」のようにいつの間にか「おじいちゃん」から「ドクター」変わっている。最近は帰るとき「ドクター気を付けて」と言ってくれるようになった。「おじいちゃん」のままでもよかったのだが・・。

  もう一人、一人暮らしのT君のこと。やはり知的障害とされたが、風邪などのときのかかりつけ医を希望し外来に通うようになった。はじめから「めまいがする」と繰り返す。脳腫瘍を心配しCTをとったが異状なし。それでも「めまいがする」は止まらない。血圧や脈を測り、握手したりする一連の儀式を終えると帰っていく。その彼が外来に来なくなり代わりに頻回に電話をかけてくる。電話の言葉も早く小さいので聞きとれないことが多い。何か話したいことがあるのに伝わらない彼のもどかしさを感じた。そこで時間があるときに往診をすることになった。マンションの彼の部屋を訪ねると、「先生、はいスリッパ、そこで手をちゃんと洗って」ときちんとしているのに驚く。椅子に座り血圧から一連の診察をする。「先生いくつなの、80? 50? どこの大学、お昼は何食べたの、きょうはどうやって来たの、車?どこに止めたの、いくらかかるの?」など会話が広がる。僕も答える。対等だなと感じた。最近は「中々彼女ができない」といった話をするようになった。僕も自分を飾る必要を感じずに会話を楽しめる。こうして知的には問題のない人との会話とは質の異なる会話の経験をしている。

 上の二人について書いたのは、津久井やまゆり園の事件から10年たち、新聞やテレビでさまざまなふりかえりがなされていることに刺激されたからである。「生産性のない人間は不幸を作る」という死刑囚の言葉と向きあう。そして考える。物質的な生産性はないかもしれない、しかし彼らは一人の人間として彼らだけの声をもっている。その声を聴く僕に単に治療やケアといった一方向性の心の働きだけではない豊かな世界の広がりを見せてくれているような気がする。それは僕の中では、非生産性や不幸といった言葉に拮抗する可能性を秘めている。

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