臨床余録
2025年2月2日
川は海になる

アメリカに留学し結婚し子ども2人を育てながら働いている女性から、メールと共に一篇の詩が送られてきた。Kahlil Gibranによる“Fear”という詩。日本語に訳してみた。

“恐怖”
カリール・ジブラン

海に入るときに
川は恐怖で震えるという


川は自分が旅してきた道をふりかえる
山々の頂から 
森や村々を曲がりくねった長い路


そして前方に
広大な海原をみる
そこに入るものは
永遠に消えさるようにみえる


しかし他に道はない
川は戻ることはできない


誰も戻ることはできない
存在しつつ戻ることはできない


海に入っていくとき
川は危険を覚悟しなければならない
なぜならそのときにだけ恐怖が消えるから
なぜならそこで川は知ることになるから
自分は海に消えるのではない
海になるということを


 以上が拙訳である。良い詩だ。そして、彼女がこの詩を送ってきた意味を考えている。外から移住した人の子どもはアメリカ国籍をもつことはできないという新大統領の方針によりこの先どうなるのか予測がつかない不安。このような状況のなかに置かれた自分たちを川になぞらえているのだろう。

 飛躍するが、この詩は生きることと死ぬことに結びつけて考えてみることもできるのではないか。川は生、海は死(浄土)、川として生きた時間は消えるのではなく、浄土という海のかなたで生きた記憶となる、というように。

 カリール・ジブランはレバノンの詩人であり哲学的散文詩『預言者』(至光社から邦訳もある)の著者である。




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