聖路加国際病院日野原重明先生が亡くなられる前に、弟子である徳田安春医師が「医師にとって最も大事なことは何ですか」と尋ねたところ、予想していた言葉と異なり「戦争をさせないことです」という言葉をカントの平和の思想とともに話されたという。
「命を守る医」に対して「命を奪う戦争」という対比を考えればなるほどその通りである。そこで総合診療医として医学教育に携わる徳田安春医師が学生に731部隊を知っているかどうか尋ねると2割の学生しか知らなかったという。1948年WHO憲章には、健康の定義として、身体的、精神的、社会的安寧の状態を指し、単に病気がないという状態ではないとされる。そして健康は平和の礎であり、同時に平和であることが健康の源でもあるとしている。
4月11日、神奈川県保険医協会主催の上映会で映画「医の倫理と戦争」を観た。上記徳田医師の言葉は映画に出て来る。
731部隊の説明、石井部隊、マルタ、人体実験、関わった医師の多くが戦後有名大学の教職につく、日本医師会は正式な反省を表明せず、アメリカは人体実験の結果を持ち帰り、朝鮮戦争やベトナム戦争に利用、インドネシア謎(731が関連?)の破傷風事件の倉沢愛子慶応大学教授の言葉、 従軍慰安婦、DV被害者、知的障害者などの憩える場所としての「かにた婦人の村」の天羽道子さんの実践、など戦争のもたらした傷痕を陰翳深く映し出す映画だった。
今を戦前にしないために、自分にできることは、父の戦争の記憶を引き継いでいくことであろう。昔読んだ父の戦記『海軍陸戦隊ジャングルに消ゆ』を再び読み始めた。
ところで、『蛍の航跡:軍医たちの黙示録』(帚木蓬生著)に父、渡辺哲夫が書いた戦記が紹介されている。本の帯には「異国の戦地で医者たちは地獄を見た。現役医師の著者、入魂の戦争黙示録」と書かれている。奇跡的に生き残ったからこそ書き残せた記録である。そのさいごの文章を引用して父の戦争の一端に触れたいと思う。
翌二十一年の一月、私たちの復員船高栄丸は東京湾にはいった。・・・上陸後、私は直ちに久里浜病院に収容された。夜中、ふと目覚めると、見回りの看護婦がひとりずつ病兵の顔をのぞき込み、容態を確かめていた。私が目を開けたのを見て、看護婦が「いかがですか」と訊いた。
「大丈夫です」
私は頷き瞼を閉じたが、溢れる涙を禁じ得なかった。これこそ本来の医療だった。あのニューギニアの地獄の戦場では到底望むべくもなかった医療なのだ。
二週間して体力が少し戻り、私は外出を許された。生れ故郷の横浜に行ってみよう。そう決心して私はある日、横須賀線に乗った。マラリア特有の血の気のない私の顔は車内でも視線を集めた。横浜駅のプラットホームに降り立ち、変り果てたあたりの光景を呆然と見回した。
突然、ホームの先から誰かが走ってくる。モンペをはいた若い娘だ。妹だった。私たちはあたり構わず抱き合った。切れ切れの言葉で、脳卒中で病床にあった父(渡邊房吉:元外科医)が、終戦の二日前に死亡したことを知った。
出征のとき、小田原の丘の上の家で、いつまでも手を振っていた父だった。やっぱりそうだったか。私はここでも思い切り涙した。
引用元:『蛍の航跡:軍医たちの黙示録』(帚木蓬生著、新潮社)
ヤコブレフの図 (Adams and Victor’s Principles of NEUROLOGY 7版より)

この図は、人の一生というものをその姿勢と歩行の変化によって簡潔に描いている。前三分の一が成長、後三分の一が老化。大脳の前半部(前頭葉)が成長すると共に体を直立させていくが、老化と共に脳が変性・萎縮してくると、体ははじめに向かって再び巻き戻されていく。
アルツハイマー型認知症(ADと略す)の進行の仕方は人の正常な発達を丁度逆にした過程をたどる。ReisbergはこれをRetrogenesisと呼んだ。ReisbergはADの診断時によく利用するFAST分類を作成した医師である。ADの経過を7つのステージに分けている。
例えばステージ4では料理の手順、家計の管理という生活機能があげられている。これができなければADでは中等度の認知機能低下とされ、正常な人の獲得する生活機能とすれば12歳くらいとされる。
ステージ5では、季節に合わせて衣服を選ぶ機能がADではできなくなり、正常な発達では5~7歳でできるようになる。
ステージ6では、着衣や入浴、トイレ動作がADではできなくなり、正常児では2,3歳から5歳で可能になる。
ステージ7では、終末期として一つの言葉の理解、歩行、座位、笑うこと、クリアな意識まで順に失われていくのがADであり、これとは丁度逆方向に正常児では生後意識が生まれ、ついで笑顔、座位、歩行、ひとつの言葉と1歳前後まで順に獲得されていく。
以上、ADの生活機能に焦点をあてると、「認知症になって老いることは始めにもどることでもある」と言える。これは、すべての人の神経系の発達の面でもいえる。人が生まれて1歳くらいまでの間に原始反射と呼ばれる神経徴候がみられる。足の裏をこすると母指が反り返る反射(バビンスキー徴候)、手のひらに物を置くと無意識につかむ強制把握反射などである。これら新生児や乳児で見られ成長すると消失する反射が、超高齢者で寝た切り患者などでは再び見られるようになる。重度の認知症患者や超高齢者はその終末期にいたると逆に乳児期にもどるともいえるのである。
さて以上を踏まえて、ヤコブレフの図を眺めていると、さまざまな思いが沸いてくる。
出生すると子は母親に完全に依存し育児ケアを受ける、成長すると部分的依存を経て完全に自律した社会人となり、ついで老いのステージにはいるとフレイルや認知機能低下により再び部分的依存状態を経て、最終段階として寝たきり認知症で完全依存(ずべての機能の全介助)の状態を経て死にいたるのである。
この図をみると、育児と介護は丁度対称的ともいえる。育児されていた子どもが成長すると親の介護者となり、さらに老いると今度は自分が介護される高齢者になるのである。育児と介護は世代をついで伝達してゆく。
老いや死は、自然なものである。僕の父の在宅看取りの際にこの図をしばしば思い描いて介護していた。認知症で寝たきりとなり食べられなくなったが点滴も栄養食介助もせず自然に看取ることができた。僕自身の死生観もこの図のなかにある。
医学・医療が高度に進歩し、ややもすると人は老いも死もないと錯覚する。人間の自然がわからなくなる。それをこの図は「人は生まれ、成人として生き、やがて老いを迎えそして死に至る」という事実に引きもどしてくれる。人は死ぬのではなく生き終えるのだということもこの図は含意しているようだ。
当サイトに掲載されている文章等は著作権法により保護されています
権利者の許可なく転載することを禁じます