雲が現れふたたび草地の上に涙を流した
薔薇色の酒なしに生きてはおれぬ
きょうびわれらが眺めるこの青草
われらが土より生えた青草を誰が眺める
われらがこの世へ来て去ろうと、何の益があるのか?
われらの人生の希望の縦糸の横糸はどこにあるのか?
世のあまたの美しき人の身は
燃え尽き土となる 煙はどこへ行くのか?
友よ 明日を悲しむのはやめよう
この一瞬の命を恵みと思おう
明日このはかない旅籠を立ち去れば
七千年の旅人たちの仲間となるのだから
(オマル・ハイヤーム)(『現代詩手帖』:2026年2月号38頁)
嬉しいときには、自分の心の奥をのぞき込んでごらんなさい。すると見つけるに違いありません。かつては悲しみの原因(もと)になっていたものが、今は喜びの原因になっているのを。
悲しくて仕方のないときも、心の奥をのぞき込んでごらんなさい。すると気づくに違いありません。かつては喜びであったことのために、今は泣いているのだ、と。
あなたがたの誰かが言います。「喜びは悲しみに勝る」と。すると或るひとが言います。「いや、悲しみの方こそ」と。
しかし私は言います。喜びも悲しみも分けることは出来ません。
(カリール・ジブラン)(『預言者』40~41頁)(至光社)
静けさにみちた世界 愛するふるさと
わたしのウクライナよ。
母よ、あなたはなぜ
破壊され、滅びゆくのか。
朝まだき 太陽の昇らぬうちに
神に祈りを捧げなかったのか。
聞きわけのない子どもたちに
きまりごとを教えなかったのか。
・・・
わたしが死んだら、
なつかしいウクライナの
ひろびろとした草原(ステップ)にいだかれた
高き塚(モヒラ)の上に 葬ってほしい。
果てしない野の連なりと
ドニプロと切り立つ崖が
見渡せるように。
哮(たけ)り立つとどろきが聞こえるように。
・・・
『シェフチェンコ詩集』(7頁 188頁)(岩波文庫)
上に三つの詩を引用しました。
オマル・ハイヤームは(1048-1131)イランの詩人。
カリール・ジブランは(1883‐1931)レバノンの詩人、哲学者。
タラス・シェフチェンコ(1814‐61)はウクライナの詩人。
三人とも過去の人ですが、その詩は現在も世界中で親しまれています。今、それぞれアメリカ、イスラエル、ロシアによる激しい戦争に巻き込まれている国の詩人たちです。毎日のようにテレビや新聞のニュースのなかで荒々しい政治の言葉に曝されていると、そこに生きているひとりひとりの人間の声が聴こえなくなります。そんな時、きびしく長い歴史の試練を生き抜いてきたこのような詩から聴こえる人間の深い声にしばし耳を澄ましてみたいと思うのです。
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