臨床余録
2026年4月5日
Retrogenesis

 
  ヤコブレフの図 (Adams and Victor’s Principles of NEUROLOGY 7版より)


 この図は、人の一生というものをその姿勢と歩行の変化によって簡潔に描いている。前三分の一が成長、後三分の一が老化。大脳の前半部(前頭葉)が成長すると共に体を直立させていくが、老化と共に脳が変性・萎縮してくると、体ははじめに向かって再び巻き戻されていく。

 アルツハイマー型認知症(ADと略す)の進行の仕方は人の正常な発達を丁度逆にした過程をたどる。ReisbergはこれをRetrogenesisと呼んだ。ReisbergはADの診断時によく利用するFAST分類を作成した医師である。ADの経過を7つのステージに分けている。

 例えばステージ4では料理の手順、家計の管理という生活機能があげられている。これができなければADでは中等度の認知機能低下とされ、正常な人の獲得する生活機能とすれば12歳くらいとされる。
 ステージ5では、季節に合わせて衣服を選ぶ機能がADではできなくなり、正常な発達では5~7歳でできるようになる。
 ステージ6では、着衣や入浴、トイレ動作がADではできなくなり、正常児では2,3歳から5歳で可能になる。
 ステージ7では、終末期として一つの言葉の理解、歩行、座位、笑うこと、クリアな意識まで順に失われていくのがADであり、これとは丁度逆方向に正常児では生後意識が生まれ、ついで笑顔、座位、歩行、ひとつの言葉と1歳前後まで順に獲得されていく。

 以上、ADの生活機能に焦点をあてると、「認知症になって老いることは始めにもどることでもある」と言える。これは、すべての人の神経系の発達の面でもいえる。人が生まれて1歳くらいまでの間に原始反射と呼ばれる神経徴候がみられる。足の裏をこすると母指が反り返る反射(バビンスキー徴候)、手のひらに物を置くと無意識につかむ強制把握反射などである。これら新生児や乳児で見られ成長すると消失する反射が、超高齢者で寝た切り患者などでは再び見られるようになる。重度の認知症患者や超高齢者はその終末期にいたると逆に乳児期にもどるともいえるのである。

 さて以上を踏まえて、ヤコブレフの図を眺めていると、さまざまな思いが沸いてくる。

 出生すると子は母親に完全に依存し育児ケアを受ける、成長すると部分的依存を経て完全に自律した社会人となり、ついで老いのステージにはいるとフレイルや認知機能低下により再び部分的依存状態を経て、最終段階として寝たきり認知症で完全依存(ずべての機能の全介助)の状態を経て死にいたるのである。

 この図をみると、育児と介護は丁度対称的ともいえる。育児されていた子どもが成長すると親の介護者となり、さらに老いると今度は自分が介護される高齢者になるのである。育児と介護は世代をついで伝達してゆく。

 老いや死は、自然なものである。僕の父の在宅看取りの際にこの図をしばしば思い描いて介護していた。認知症で寝たきりとなり食べられなくなったが点滴も栄養食介助もせず自然に看取ることができた。僕自身の死生観もこの図のなかにある。

 医学・医療が高度に進歩し、ややもすると人は老いも死もないと錯覚する。人間の自然がわからなくなる。それをこの図は「人は生まれ、成人として生き、やがて老いを迎えそして死に至る」という事実に引きもどしてくれる。人は死ぬのではなく生き終えるのだということもこの図は含意しているようだ。



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