臨床余録

2024年4月14日
孤独死だが孤独ではなかった

 日曜日の朝、ヘルパーさんから電話が入った。寝たきり独り暮らしの男性Uさんを定期訪問したところ動かず冷たくなっているという。すぐに行きますと返事した。丁度、日曜日朝のルーチンの洗濯と掃除を澄ませたところだった。診療所に寄り死亡診断書の準備をしながらカルテを見直してみる。Uさんは今81歳。僕が訪問診療をはじめたのは彼が74歳の時だからその生涯のさいごの7年間を主治医として診たことになる。初診は、区役所保護課からの往診依頼だった。その初回往診時のカルテ記載を少し読みやすく補いながらここに書きうつしてみよう。

 74歳男性。数日前、宅配業者が寝たきりのUさんを発見し西区へ通報。救急搬送しようとしたが本人が拒否。そこで当科に相談あり緊急往診となった。ベッドに寝たきり、寝返りもうてず立つこともできない。通院歴なくかかりつけ医もいない。長くまともな食事もとっていない。入浴もしていない。薄暗い1Kの部屋のベッドに枕を背に半坐位で動けず。暑いのにジャンパーを着こんでいる。トイレに行けず床やベッドは便でよごれている。部屋に電灯はつかない。玄関からベッドまで床はビールの空き缶でびっしり足の踏み場もない。枕元にネクター、ヤクルトがあり、ミニトマトの袋を抱え込んでいる。ウナギの弁当が手をつけられず転がっている。
 「西戸部の医院から来ました」と挨拶すると警戒する目つきで、「西戸部なら近くでマッサージや健診をうけたことがあるな」という。診察は拒まない(というか動けない)。
 ケアマネ、看護師とともに衣類の着替えを促すと「動けないのにどうやってやるんだ!」「そこを持つな!そんなやり方じゃだめだ!」と怒り出す。食事について問うと「この歯でどうやって食べろっていうんだ!」とどなる。睡眠について尋ねると「眠れないんだ」ついで便通について問うと、「トイレに行けないからずっとがまんして1か月くらい出てないんだ」という。眠剤や下剤をだしてもよいと話すと「お願いします、一度でいいからぐっすりねむりたいんだよ」という。「ビールと一緒じゃダメですよ」というと「そのくらいわかっていますよ、先生、でも色々気を使ってもらってありがとうございます」とさいごはやわらかくなる。
 ケアマネと看護師が上着をぬがし新しいシャツを着せる。介護用ベッドも用意することになった。

 以上が初回往診時のカルテ記載である。

 その後しばらく毎週往診した。また歩けるようになりたいといった話ができるようになった。生まれや生活史を聴いた。リハビリの可能性について話す僕の言葉にも耳を傾けるようになった。アルコールをやめてリハビリのために地域の病院に入院した。その結果近所を歩けるようになった。「入院中、朝と夕方の2回必ず病室に来てくれて色々アドバイスしてくれた院長先生に感謝してます」と述べていた。

 この辺まではよかったのだが、その後再びビールを飲みだす。転倒し急性硬膜下血腫で入院手術。治って退院するが再び酔って警察に保護される。さらにまた酔って倒れ、大腿骨頸部骨折のため入院手術を受けた。
 飲酒して繰り返し入院するならもう在宅診療は無理と告げる。しかし骨折後は外を歩けなくなった。そしてベッドに寝たままビールは飲み続けた。
 酔った状態で何かあっても病院に紹介できないと告げた。それでも飲むことはやめなかった。“アルコール依存症は慢性自殺である”という精神分析医メニンガーの言葉を思い出した。
 以後は、黙認という言葉が適当かわからないが、アルコールについて触れることをやめた。かわりに“彼の人生”という言葉が僕のこころを占めた。酩酊状態での彼の訴えに耳を傾けた。しかし、彼の生活を支えているヘルパーさん達に対して自分本位で粗暴な口調が改められない彼をみると僕の感情は波立った。
 この絶望的ともいえる状態の彼に寄り添ったのがケアマネージャーと訪問看護師だった。ケアマネージャーは食べ物の要求があると買ってきて与えた。それは支配的な要求(デマンド)に従っているだけのようにみえた。しかしその結果彼が穏やかになり彼女を通して辛うじて精神状態が保たれているのをみるとその行為は彼の必要(ニーズ)に応えるものだったのかもしれないとも思った。
 看護師は彼の手術後の痛みを含め身体の不動性の痛みにマッサージで対処した。そのように彼の痛みに直接タッチしてケアしてくれるのは彼女しかいなかった。
 はじめはどなって命令口調の彼も変わった。「ケアマネの○○さんはいないとだめ、看護師の○○さんはいのち」というある日の彼の言葉には驚かされ、そしてこころに残った。

 僕が駆けつけたとき彼はベッドからポータブルトイレに移動しようとしたのか裸の下半身をベッドから外に出した状態で息絶えていた。このような死は想定していなかった。しかし、今思うと必然的な死、彼らしい死とも思えてくる。彼の死は孤独死である。だが彼が介護や看護を通して孤独を支える関係を人生のさいごに持つことができたのは幸運なことであったと思う。

附記1
 小堀鷗一郎の新刊『死を生きる』の裏表紙にはこう書かれている。 「重要なことは、患者一人一人に語るべき豊かな人生があり、彼らがその辿ってきた自らの人生に深く根差した死に方を望んだ、という事実である。」

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