今ここに見届けたりし
たまきわるいのちなりけり
たたかいの果て
20年前から高血圧のために僕の外来に通院していた男性について記してみたい。喋るとき呂律が回らないことをはじめて訴えたのが16年前。いわゆる構音障害という症状でその原因を色々調べたがはっきりせず。ALS(筋萎縮性側索硬化症)も鑑別診断に入れつつ経過をみた。ごくわずかずつ喋ることが困難になるようだが一緒に侵されることの多い嚥下障害は目立たず。しかしそのうち歩くことに支障が出てきた。足がつっぱりひきずるようになった。近くの総合病院、そして幾つかのより専門的な神経センタ―でもみてもらった。その結果、進行がきわめて緩徐であるがALSと診断された。
病院には通えなくなり訪問診療となった。往診時、居間の一角で専用の椅子に坐りテレビをみる様子、一語一語ゆっくりと区切りながら話す様子、立ち上がり歩行器でバリアフリーの床をすり足で懸命に歩く様子などをみることができた。去年あたりから腰痛がひどくベッドに寝ていることが多くなった。優しく介護されていた奥様を突然亡くされ、以後娘さんが代わって介護するようになった。果物以外、食事が摂れなくなり、るいそう、そして衰弱が進んだ。穏やかな言葉ながら、生きることの終わりに触れることもあった。怒ったり嘆いたり落ち込んだりすることはなく達観している風であった。全体的に静かな最終章だったと思う。呼吸と嚥下が最後まで保たれたことは幸いだった。(人工呼吸器や胃ろうなど延命的処置を施すことなく罹病期間16年というのは極めて稀である)
穏やかな看取りを終えて今思うことは、かかりつけ医の役割としての訪問診療の意味である。対症療法を除けば、ALSに対して治療的には全く無力であった。できたことは長期にわたる神経難病の症状の進行をその生活のなかで見守り記録することであり、そして難病とたたかう彼の人生のいわばさいごの目撃証人eye・witnessになるということである。この難病中の難病といわれる病と戦い、このようにさいごまで生き抜いた患者が存在したということ、それをひとりの医師として見とどけたということである。患者に寄り添うとはこのように長期にわたりかかりつけ医として患者を支えることなのだと思う。ご臨終ですと宣告するそのとき、その言葉のなかに過去10幾年の間に患者と共有した時間の量(かさ)がこめられている。それは、病院の医師や往診専門クリニックの医師の看取りの情景とは異なるものであるはずだ。
“珠洲焼のコーヒーカップ漆黒の受苦のことばのように置かれて”
2024年が終わり2025年が始まった。世界にとってのこの1年と自分にとってのこの1年が交わるところ、僕は今、立っている。
1年前の日記を開いてみる。
年末年始は、「特別な用意をせず家にあるもので質素を心がける」とある。大晦日、第九を聴き、「来年の今日があるのかわからない。そのための準備を」と書いてある。
昨年の元日の朝は散歩がてら近くの天満宮に初詣でをした。冷たい風が持病の腰痛、神経痛にこたえた。午後から医院へ行き、熱帯魚にエサをやり、庭の花木へ水をやり、届いた年賀状をみている時だった。午後4時過ぎ、スマホがけたたましく鳴る。能登半島に震度7の大地震発生。
その直後、今度は僕の緊急ケータイコールが鳴った。「母(96歳)が苦しがっています。どうしたらよいでしょうか」と切羽詰まった声。在宅診療中の患者の家族からだった。すぐに往診した。
このような不穏な状態から始まった2024年だった。日記は途切れることなく毎日記されている。殆どがその日に往診した患者の名前とショートコメントだ。それを見るとその患者を巡る物語が湧いてくる。小さな積み重ねだが今年も続けていこう。能登の人々の想像を絶する苦悩を思いながら、僕は自分の持場で自分ができることをしていこう。
以前、能登半島を旅行したことがある。レンタカーで1周した際、珠洲市にも寄った。冒頭の短歌のコーヒーカップはその時買ったものである。黒く艶のある少しざらついた感触のこぶりのカップ。輪島塗りの美しさとはまた違う素朴で人間的な味わいがある。受苦という言葉に能登の人々への共感をこめた。地震の災害から立ち直ろうとしたときに襲った豪雨、その重なる仕打ちのような災難。それはまさに旧約聖書のヨブの苦難を思わせる。
いつくるかわからぬ地震、自然災害そしていつまでも終わらぬ戦争。今年はどんな年になるのだろうか。・・・わからない。自分の人生がいつどのように終わるのかもわからない。だからこそ今、このコーヒーカップを作ったひとりの珠洲の陶工を思いながら朝のコーヒーをのむ。
附記
「受苦」はパッションから来ている。パッションは熱情、激情、受難(曲)を意味する。人間をhomo patiens(ホモ・パティエンス:受苦的存在)ととらえたのは『夜と霧』の著者フランクルである。
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