西林寺近辺地図
伊予鉄道 久米駅下車 森松行きバス 西林寺前下車 徒歩約2分
西林寺境内 配置図
第48番 西林寺 仁王門
第48番西林寺 本堂
福授地蔵尊 サボテンの大木から開花
御本尊 納 経
山 号 | 清滝山 |
院 号 | 安養院 |
寺 号 | 西林寺(さいりんじ) |
本 尊 | 十一面観世音菩薩 |
開 基 | 行基菩薩 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
住 所 〒791−1133 愛媛県松山市高井町1007
電 話 (089)975−0319
御真言 おん まか きゃろ にきゃ そわか
御詠歌 弥陀仏の 世界をたずね 行きたくば 西の林の 寺に詣れよ
西林寺略縁起等(抜粋) |
聖武天皇(在位724〜749)の天平13年(741)、行基菩薩が勅願により伊予 に入り国司、越智玉純公とともに、一宮別当寺として堂宇を建立し、本尊として 十一面観音菩薩像を彫造して安置した。 大同2年(807)弘法大師が、四国の霊跡を巡錫した際、この寺に逗留した。 ここで大師は、国司の越智実勝公と協議し、寺を今の地に移して四国霊場と 定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。 弘法大師は、水不足で悩む村民を救うため、錫杖で水脈を見つけた。寺の 西南300mにある「杖の淵」は、その遺跡だという。その水は、涸れることなく 土地を潤している。 「お大師さまのお陰で、水には不自由しない。」と地元の人々は、「杖の淵」 に修行大師像を奉安し感謝している。 昭和60年、「全国名水100選」に選ばれている。 江戸時代、寛永年間、火災で堂宇を焼失している。 元禄13年(1700)、松平壱岐守はじめ、家老・奉行など諸役人により一部 再建された。 宝永4年(1707)、中興の祖・覚榮法印が、村民の雨乞い祈願を成就して 松山藩に帰依されいる。 その後、本堂と鐘楼堂の再建に尽力され、さらに江戸時代末期に大師堂、 仁王門を復興している。 |
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