浄土寺近辺地図
伊予鉄道 久米駅下車 徒歩約5分
浄土寺境内 配置図
第49番浄土寺 仁王門
第49番浄瑠璃 本堂
お遍路や 杖を大師と たのみつつ 霜月の 空也は 骨に生きにける 子規
御本尊 納 経
山 号 | 西林山 |
院 号 | 三蔵院 |
寺 号 | 浄土寺(じょうどじ) |
本 尊 | 釈迦如来 |
開 基 | 恵明上人 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
住 所 〒790−0925 愛媛県松山市鷹子町1198
電 話 (089)975−1730
御真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
御詠歌 わがみをすてず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ
浄土寺略縁起等(抜粋) |
浄土寺は、天平勝玉年間(729〜749)に、女帝・孝謙天皇(在位749〜758) の勅願寺として恵明上人が創建した。このとき、行基菩薩(668〜749)が、彫造 した釈迦如来を本尊として祀られている。法相宗の寺院だったとのことです。 後に、弘法大師が、巡錫され荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。 さらに霊場として定めてから寺運は榮え、寺域は八丁四方に及び、66坊の末寺 を持つほどであった。 空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留されたのは平安時代中期で、天徳 年間(957〜961)の約3年間、村人たちへの教化に務め、布教して親しまれた。 第48番西林寺から3・3km歩くと空也谷というところがある。 この地は、村人たちが空也上人を慕って付けた地名で、現在の浄土寺がある。 浄土寺にある上人像は、この地を去るにあたって、村人から懇願され、自像を 刻んで残されたと言われている。 鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂宇を修復した。 応永23年(1416)兵火で焼失、文明年間(1469〜1487)に、領主:河野道宣公 にって再建された。現存の本堂は、国の重要文化財に指定されている。 本尊厨子と空也上人像も重文に指定されている。 |