浄瑠璃寺近辺地図
伊予鉄道 松山市駅 伊予鉄バスセンターから バス 久谷・丹波行き 約40分
浄瑠璃寺前下車 徒歩約1分
浄瑠璃寺境内 配置図
四国霊場第四十六番 医王山 浄瑠璃寺の石碑
第46番 浄瑠璃寺 本堂
境内に浄瑠璃町集会所 町民に開放している。 永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺 正岡子規
御本尊 納 経
山 号 | 医王山 |
院 号 | 養珠院 |
寺 号 | 浄瑠璃寺(じょうるりじ) |
本 尊 | 薬師如来 |
開 基 | 行基菩薩 |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
住 所 〒791−1133 愛媛県松山市浄瑠璃町282
電 話 (089)963−0279
御真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌 極楽の 浄瑠璃世界 たくらえば 受くる苦楽は 報いならまじ
浄瑠璃寺略縁起等(抜粋) |
浄瑠璃寺は、松山市内に所在する八ヶ寺の打ち始め霊場である。 参道入り口の石段左側に、正岡子規の句碑「永き日や 衛門三郎浄るり寺」 と彫られている。 この地は、お遍路の元祖と言われる衛門三郎の古里として知られている。 縁起によると、行基菩薩が和銅元年に布教のため、この地を訪れ、仏法を 修得する適地として、伽藍を建立した。 白檀の木で、薬師如来を刻み、本尊とする。脇侍に日光・月光菩薩と、眷属 として、十二神将を彫造して安置された。 大同2年(807)唐から帰朝した弘法大師が、この寺に巡錫し、荒廃していた 伽藍を修復され、四国霊場の一寺とされた。 室町時代の末期に、足利幕府の武将:平岡道倚が、病に苦しんだとき、 本尊に祈願したところ、全快したことに感謝して、寺塔を再興して厚く帰依した とのことです。 江戸時代の正徳5年(1715)山火事で本尊と脇侍を除いて、ほとんどの寺宝 伽藍を焼失する。 70年後の天明5年(1785)、地元の庄屋から住職になった「尭音」という僧が、 托鉢等をしながら、全国を行脚しして浄財を集め、本堂・諸堂を再興したとの ことです。 境内には、樹齢1000年を超す大樹「イブキビャクシン」(松山市天然記念物) があり、延命、豊作にご利益があるとして信仰を集めている。 |
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