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| 『私はあなたを知らない、』['26] | |||||
| 監督・脚本 中野量太 | |||||
| たとえ保育園でのあの騒動を起こさなくても、また、あのとき東浜紗月(堀田真由)がサボテンを処分したとは言わなくても、西山夕平(坂口健太郎)と紗月が長らくうまくいく相性のようには思えなかったと同時に、率直で屈託がなく実に妙なる笑顔をみせる沙月に友平が魅せられるのは無理もないと思わずにはいられなかった。おまけに最強年齢の三歳を過ぎたばかりの五歳の娘朝子(倉田瑛茉)があれだけ懐いてくれば、尚の事だ。沙月の悪意なき罪深さに心痛を覚えると同時に、夕平の度を越した懸命の振舞いに彼女が怯えるようにもなっていたであろうことに真実味があって、哀れにも思った。それだけのインパクトがある女性像を派手さは露とも見せずに演じていた堀田真由に僕も魅せられ、言わば翻弄されたようにも映る夕平に同情せずにはいられなかった。沙月の母(原田美枝子)は娘のというか、魅力的な女性の持つ“劇薬”とも言うべき、危うい特質をよく知っていたような気がする。 先ごろ観たばかりの『白鳥とコウモリ』は、三十三年、こちらは十三年。歳月を経て子供が辿りつく過去の事件における親たちの真実を観ながら、いずれ劣らぬ秀作だと思った。 高校を卒業したばかりの東浜朝子(早瀬憩)が町村弁護士(滝藤賢一)から訊くのを止められていた十三年前の夕平の殺意の有無を面会室で尋ねたのは、町村弁護士に「私、判ってしまった」と得意気に述べたであろうパン切り包丁が殺意を持った夕平の準備した凶器ではなく、母親への返却のために持参したものだとの確信からだったのだろう。殺意の有無を尋ねる面会の前の面会で、パン切り包丁が沙月のものだったのではないかと気づいたことを朝子から伝えられて「凄いよ、朝子」と絶句していた夕平の姿が印象深かった。朝子の気づきを聞いた町村がソファーに深々と凭れ込み天を仰いでいたのはきっと、何も語らなかった夕平にそれを質すべきだったことへの悔恨だったのであろう。それが判っていれば、返却に持参したパン切り包丁でなぜ切り付けたのかを問うことができたわけで、朝子と違って掌に切り付けたことを知っているはずの町村弁護士なれば、それがサボテンを処分されたことにカッとなって切り付けた傷害ではあっても、殺意ではないことを主張できたのに逃してしまった自分の迂闊にダメージを受けたからに違いないと思った。 他方、朝子は殺意の有無について問われた夕平が思い掛けなくも黙って泣きながら頷くのを観て、その思い掛けなさに驚きつつ観念する。実のところ、逆上して刃物を向けた際に殺意があったかどうかなど、当人でも本当のところは判らないからこその逆上ではないかという気がするが、頷いたのか、項垂れたのか、それさえも判然としないような夕平だったように思う。 沙月が「この人とは駄目だ」と思っても仕方がないように映る夕平の造形をきちんと果たしつつ、彼の善良さを損なっていないところがいい。かつてなら警察までは手配しないだろうが、今どきなら、沙月のように目端の利く女性なら迷いがないようにも思った。十三年前だから少々時代を先取りしている感もあるけれど、沙月の人物造形には見合っていたような気がする。 やられたなと思ったのが、「五年後」というテロップが表示されてからの運びで、保育園の運動会で脱げてしまった朝子のスニーカーと同色同型の靴が現われて“五年後の朝子”かと思わされた女性が、町村弁護士の娘だったこと。そして、止めると言っていたはずの面会を続けていたことだった。彼女を送るタクシーが保育士になっている朝子とすれ違うショットも含めて、少々あざとい造りのようにも思えるが、嫌な気が全くしなかった。「もう会わないと言ってたけど、…」というような弁護士父娘の関係と同じような「、」もあり得るのが人と人の関係であることを仄めかした映画のタイトルであることを告げているように感じたからかもしれない。 先に観た『白鳥とコウモリ』のほうは“自分たちの知らなかった過去”で、本作のほうは自分の“記憶に残っていない過去の出来事”だった。はじめのうちは『白鳥とコウモリ』の和真と美令たちと同じように、知らなかったことを教わるような感じで過去を辿っていた朝子が、ふと夕平に背負われて渡った橋での疲労と寛ぎの安心感を思い出したように感じる場面があって、夕平が思わず「それは黄色い風船だよ」と洩らす場面にもやられた。朝子の思い出しによって夕平がそのとき得たであろう言葉にならない万感が心に沁みた。いい映画だ。 | |||||
| by ヤマ '26. 9.23. キネマM | |||||
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