『ディスクロージャー・デイ』(Disclosure Day)['26]
監督 スティーヴン・スピルバーグ

 スピルバーグ作品とは思えないオープニングショットに吃驚し、なんなんじゃ、これは?と思いながら観ていたら、ますます何だこれは?と訝る神懸った珍妙な展開になりながらも目が離せず、アメリカにも「目の色が変わる」という慣用句があるだろうかなどと思ったりしているうちに、やっぱりそこに還って来るんだなぁと、童心を忘れないスピルバーグに感心した。

 彼は本気で♪Someday My Prince Will Come♪と思っているような気がした。もしかすると幼時に神秘体験をしているのかもしれない、という気にもさせられた。もし体験していなくても、神秘体験への憧れは確実にあるような気がする。それにしても、筋立てに見合わない程のスケール感は、さすがスピルバーグだと思わずにいられない。神かなにかはともかく“選ばれた人”がいるという人間観は僕の好みではなく、選ばれたのではなく変異であろうが何だろうが、“生れ出た人”という捉え方のほうが僕の好みだ。二十九年前に観た『八日目』の映画日誌に「もう一つの疑問は、神と愛と奇跡の物語において、神に最も近い処にいる存在としてダウン症者を登場させることの持つ意味である。『奇跡の海』のベスが、精神病院に入院していたことのある少し頭の弱い娘として登場することとも共通しているが、無垢なる魂の持ち主として、知的障害者にある種の役割が負わされることには、十五年以上も前のことではあるが、かつて精神薄弱児収容施設で指導員として働いたことのある身としては、抵抗を感じなくもない。実際、現実にそういう面があるので、無理もないというところもあるのだが、プラスのイメージであれ、マイナスのイメージであれ、特殊な眼で見るという点では差別や偏見と変わらないではないかという思いも湧くし、本当の意味で理解し、付き合っていこうとする場合には、そのことが却って妨げになることもあるような気がする。」と綴ったことに通じる部分を感じた。

 だが、スピルバーグ自身も含めて特異な才能を持つ者が、ある種の使命感を持つことは、今ほど「今だけカネだけ自分だけ」の蔓延した時代はなかったように感じられる時代だけに、大いに必要なことのような気もする。四年前に観た『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の映画日誌に「懐かしの「大いなる力には、大いなる責任が伴う」もきちんと登場した」と記してあるサム・ライミ版を観たのは、二十四年前になる。スピルバーグの『E.T.』を観たのは、四十三年前。『未知との遭遇』は四十八年前だ。

 登場人物としては実に不可解な存在だったが、存在感が抜きん出ていたのはノア・スキャンロンを演じたコリン・ファースだったように思う。演じていたのは、大統領に勝るほどの強大な権力を握っているかのようなワーデックス社の最高責任者であったが、フロントラインに立つ気概を持っているところが気に入った。天才数学者の元受刑者ダニエル・ケルナー(ジョシュ・オコナー)に指図ばかりしていたヒューゴ(コールマン・ドミンゴ)よりも、きっちり自分の身体を張っていたからだ。ダニエルの恋人ジェーン(イヴ・ヒューソン)との遠隔操作対決の場面の観応えは、ある意味、ダニエルと同じく神秘体験による異能者のマーガレット(エミリー・ブラント)がダニエルともども、執拗なるボイドから追われる逃走劇のアクションよりも緊迫感があったような気がする。
by ヤマ

'26.10. 1. TOHOシネマズ5



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