『拷問貴婦人』['87]
『オーガズム 真理子』['85]
監督・脚本 ガイラ
監督 加藤文彦

 先ごろロバと王女を観た際に三十九年前に観た『馬小舎の貴婦人』のタイトルを思い出したからか、ふと観てみた拷問貴婦人は、バーバレラもどきのなんともチープで怪しげなオーガズム感応マシーンに既視感を覚えて確認してみたら、二十四年前に東梅田日活劇場で『美女のはらわた』(監督・脚本 ガイラ)['86]と『凌辱めす市場 監禁』(脚本 ガイラ)['86]との三本立てで観ていた。

 筋立てはまるで覚えていなかったが、オープニングの張り巡らせた糸を跨いで全裸で身を捩るヒロコ(麻野桂子)とその糸端を繋がれたバイブに悶える全裸のクミ(木築沙絵子)に貴婦人の気品は窺えぬものの、二人が色責めに掛けられる話かと思いきや、1億6千万もの横領を働いたかどで自白を迫られる男が凄惨な拷問にあっている場面に転じ、元華族のプライドから何かと言えば昔の爵位に囚われている貴婦人は、いたぶられるほうではなく、いたぶるほうなのかと思った。だが、凄惨な拷問はこのオープニングだけで、後は専ら珍妙な色責めに終始する物語だった。

 キャラ的に面白いのは、何と言っても元帝国陸軍憲兵少佐と称する執事っぽい爺で、その口上が妙に可笑しかった。麻雀放浪記ならぬ麻雀放尿記だの、仁義なき戦いならぬ前戯なき戦いといった駄洒落やしょうもない四文字熟語の連打が座興のような作品だった気がする。それにしても、麻野桂子の乳房の量感が目を惹き、彼女が事件に便乗して巨額の横領を行なった支店長の性器を縛って射精できないようにして責め立て、苦悶と快感にのたうつ男に「お金とおちんちんのどっちが大切なの」と問う台詞が妙に可笑しかった。

 また、ヒロコらに捕らえられた支店長の愛人(風間ひとみ)が、全裸のまま膝裏に渡した棒で脚を引上げられM字開脚に吊るされた身体で盥に蠢く鰻の群れに股間を漬け込まれる責めに遭う場面に、大昔に何かで読んだことのある色責めを映画で観て、本当にこんなことが鰻責めとして成立し得るのだろうかと訝しんでいたものが画面になって現れたことに吃驚しながらも、何という作品だったのか失念していたことを思い出し、その回答が思い掛けなく得られてほくそ笑んだ。酒をどくどく注がれたくらいで秘所や肛門に鰻が自ら潜り込むとはとうてい思えないのだが、二穴責めに悶絶して失神した女体の引き上げられた股間から零れ落ちた鰻の姿が、泥鰌に変じていて失笑した。鰻も精を吸い取られて萎んだというのだろうか。


 三日後に観たオーガズム 真理子は、『拷問貴婦人』の収録されたディスクに「異常性愛」とのタイトルで併録されていた日活ロマンポルノ作品だ。

 トラックからポイ捨てされたコーラ瓶が、夜の国道わきの道端で青姦していたカップルの幸薄き幸夫(杉田広志)の脳天をたまたま直撃して死なせてしまうオープニングや、クリーニング屋で働いている真理子(清里めぐみ)がラブホテルにシーツの回収に行ってたまたま目にした手錠に狼狽えていたことに対して俺、変態なんだと言う田名部(平泉成)の手錠プレイくらいなら、相手が嫂(小川恵)だとしても取り立てて「異常性愛」と言うほどのものではない気がしていたのだが、経血塗れのセックス場面が現われるに至って、葡萄果汁と返り血塗れの性交場面も只の八つ当たり的復讐劇ではなく、ウェット&メッシー【WAM】のメッシーかと得心。遂には、狼男の如く満月の夜に赤い月に変じさせてヴァンパイアの様相を呈するようになる真理子の姿に確かに「異常性愛」だと納得した。

 幾度か現われる大きな月をあしらった夜景のショットが印象深い。あどけなさを残した面立ちの清里めぐみがなかなかの美乳で目を惹いた。また、平泉成がけっこう細かく丁寧な演技をしていたことにも感心した。何やら訳の分からない役柄だっただけに役者としての真面目さが際立つように感じられた。
by ヤマ

'25.12.24,27. スカパー衛星劇場録画



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