久我山昔話





   
久我山小の桜
昭和 20 年の頃の事だった。
久我山小学校の災害備蓄庫の所に中信局と呼ばれた大きな木造二 階建があった[後に中華料理の営業をした]。 ここに自動車運転士 として、勤めていた故小林武雄さんは、桜の苗木を4本植えたぁん だ。樹齢70 年となった桜は、春に見事な花を咲かすぅんだ。(小林 武雄さんのご子息 小林忠和さん談)(平成24 年12 月 47)


久我山の結婚式場
昭和 21年だった。久我山小学校の北端に交樂園という名の中華料 理の結婚式場が有ったんだ。
木造三階建のモダンな建物だった。当時、支配人は、加藤唯二さん 〔後にベニヤ洋菓子店〕で、料理長は、小田島幸吉さん。小田島さ んは、交樂園廃業により、富士見ヶ丘で、肉のおだじまを開業した んだ。(大瀬直彦さん談)(平成26 年2月 60)


おしどりバス
敗戦からしばらくして、京王のボンネットバスが走り始めたんだ。 駅から久我山病院行きで、岩通どおりは狭くて通れず、どんどん橋 (牟礼1丁目)を渡ってた。
玄照寺(北烏山)の敷地を借りて、Uターンしてたんだ。
乗客は無く、運転手と車掌さんの二人の「おしどりバス」と呼ばれ てたんだ。(平成29 年4月 98)







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