久我山昔話





 
大場養鶏所
戦後間もなく、新田ぶち通り近くで、鶏(にわとり)を二千羽位飼っ ていたぁんだ。
烏(からす)が卵をくわえて、飛び立ち田んぼに隠した。
子供達は、隠した卵を探したもんだ。鶏の鳴声と糞の匂いで、養鶏 所は、引っ越して、しもうた。(清水 操・時田 良一さん談)(平成 26 年6月 64)


馬車と踏み切り
自動車が少なかったので、牛車や馬車が久我山街道の砂利道をガ ラ・ガラと音をたてていた。
踏み切りに差し掛かった馬がヒーンと大きく嘶いて(いなないて) 駆け出したぁんだ。馬方は、手綱(たづな)を握り慌(あわ)てていた。 線路には電気が流れていて、馬の足が感電してしもうたのだ。今で も昔より弱い電気が流されているんだって。昭和20 年頃の話なぁ んだ。(平成28 年4月 86)


ちょうちん
 昭和 20 年代には、街路灯は、久我山に無 かった。
当時、夜道は危ないと家族が駅へ迎えに 行き帰宅してたぁんだ。乾電池は、貴重で、 今晩提灯(こんばんちょうちん)が使われ ていた。 久我山東自治会 会則の第 4条 目的の第1番に、街路灯の整備・増設 が 書かれているよ(創立昭和 34 年)。(写真 は、故小作福寿さんが久我山小学校開校
記念の昔話で紹介した、今晩提灯です。) (平成28 年7月 89)







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