久我山昔話



     馬頭さんと桜

 
久我山 5丁目 35番6号に、明治36年に建てた馬頭観世 音碑[根府川石・神奈川県産] が有るんーだ。
明治の頃は、馬か牛で荷車を 引くのが運送の手段だった。
小作伊之松さんの家では、自 慢の大きな馬を飼っていた。ところが、ある日、急に馬が 死んでしもうたので、うえみ
ちの角に埋めて、八重桜の木を植え、碑を建てた。八重桜は大きく なり、 春に満開の花を咲かせ、人々の目を楽しませた。
今は、木の切り株しか残っていないが、 八重桜の花を覚えている人は、大勢いるんだ。(平成 23 年2月 26)

六地蔵さま
久我山駅から北に向かう道は、昭和26 年頃まで坂を上った所〔久 我山 4-7-1〕 で突当たりの丁字路になっておった。
それは急な坂道の切通崖(きりとしがけ)で樹が覆(おお)い被(か ぶ)り、昼でも薄暗い道で、雨が降ると道の真ん中が川になって水 が流れおった。 六地蔵さまは、突当たりの丁字路に南見向きに並んで居(お)られた。
ところが戦後(昭和 26 年頃)、坂を緩く(ゆるく)し、坂の両側に商 店を造ることになり、丁字路を十字路にし、西宮中学校に向けて真 直(まっす)ぐにしたのだ。
突当たりの六地蔵さまは久我山共有墓地に移され、今は地蔵堂に 祀(まつ)られて居(お)られる。





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