久我山昔話




   久我山で一番古い物は

久我山5丁目 9番の三叉路に庚申塔があるんーだ。
庚申塔の側面右に「これよりみぎいのかしらミち」・左に「これよ りひだりふちゅうミち」と彫られた、みちしるべ付きなのだ。
杉並区内でも、 道標付では、一番古い庚申塔と記された案内板が、 傍に立っている。享保 7 年(1722)に建てられた、 約 290 年前の庚 申塔が久我山で一番古いのだ。(平成 23 年6月 29)
 

    ちょうづ菩薩
   
 
それは、玉川上水路〔久我山3-7〕 辺(ほとり) の共同墓地にあったんだ。
剣菱の酒樽を台座にした菩薩が祀られてる。 文化 12 年9月12 日と彫られてるので、約200 年前に造られた伝左衛門さんの墓なんだ。(倉 本守章さん談)
東八道路の延伸のため、平成の終わりに隣地 に移設されて祀られている。(平成 25 年 3 月 50)

富士講の碑
弘化 5年(1848)〔約170年前〕に、富士山仙元の講があった。 久我山から歩いて富士山へ代参に行ったんだ。講中で石碑を大熊 稲荷神社へ建てたが、平成の代に廃社になり、 石碑を久我山稲荷神 社の水屋の後ろに移設したんだ。
地元の石屋が、廃棄処分になったら忍びないと譲り受けて移設し たぁんだ。(平成29 年12 月 106)





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